[過去ログ]
中世ジャップランド (34レス)
中世ジャップランド http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/
上
下
前
次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
1: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/09/10(火) 10:51:04.91 ID:5PTaqyBAo 中世ジャップランドって 江戸時代 Or 戦国時代 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/1
15: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/09/28(土) 19:35:38.76 ID:iFJXePbgI アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・06 ではシューベルトの場合はどうなのか?それはこらの、お話を聞いて頂いてもらう事 で理解できるだろう。この五人のケース一つ一つについての詳細は他に譲ることにして 、この「怨霊」に相当するインド・ヨーロッパ系の言葉を求めると、たとえばギリシャ 語の「το δαιμονιον(ト・ダイモニオン)」がある。これは英語なら「e vil spirit」」で、単なる「妖怪・変化・魑魅魍魎」ではなくて、恨みのあ る相手に対する復讐という、はっきりとした動機を備えて実行力ある「悪霊」(デーモ ン)を意味している。ギリシャ神話ないしギリシャ悲劇に登場する有名な「Ερινυ ξ(エリーニュス)」というのがあるが、そのもっとも具体的・典型的な、イメージを 伝える存在であるようだ。「母親殺し」という、「母権制」の社会では、最大の罪を犯 したミュケーナイの王子「オレステス」にとりついて、責め続けるこれらの悪霊が登場 する。この場面は、アイスキュロスの「オレステイア(=オレステス三部作)」を飾る 圧巻であるが、これは「アイスキュロスの断片」(D450))というタイトルであり 、そのごく一部がシューベルトのリードとして結晶している。まあ、元々ギリシャ神話 や、キリスト教社会では、怪物や巨人が出て来ては、多くの前の神と新しい神との交戦 も始まり、多くが母親や父親の死をもって 世界が繋がれ行く。と言う図式はかなり多 い種の物語である。ゼネレーション・ギャップや世代格差と言われる、時代の変化は、 かなり古くからの悩ましいものだったのだろう。シューベルトに限らず、歴史上に名だ たる大芸術家の作品は、「芸術そのものに内在する魔性」とでもいったものが、介在し 、内在し、存在することは、どうしても否定することの出来ない事実である。この種の 「魔性」は、洋の東西を問わず、優れた「文化人」であって、しかも「余執・妄執を残 したまま 非業の死をとげた」人物をして、「怨霊」となって猛威を振るい、最後には 「神」として崇拝の対象にさせる「魔力」の根源である。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/15
16: & ◆gtT4b0qytE [] 2024/10/05(土) 15:46:59.82 ID:3hfQfqvC5 アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・07 実は近年の研究で、経済に何が必要か。と言う研究で、コンピューターサイエンスの 、シュミレーション分析科学では。水を治める事。が世界の帝王学や政治科学である。 と答えている。考えれば、インダス文明やメソポタニア文化から エジプトや殷の黄河 文明にローマ帝国も、全てに水の豊富な事が至上の条件ではある。唯一南米の、インカ 帝国の系列では、伝統的に、霧の空気から 水や雨を得る方法を得ていた様だ。これは 低い温度で 流砂銀、つまり水銀を貯めて、水がその上に溜まるのを 高い山から水源 として、溝に流していた。今の企業や政治では、経済や社会にとって何が必要なのか、 という発想での経済政策を考える必要があり、短期的なGDPへの配慮は不要な筈では あるが、経済学と言う概念が金融の貨幣の増収の為に勝手に妄想された。ところが現実 の人間生活と言うのは、地球上の貯め込んだ歴史的遺物の掘り出し物、つまり石炭とか 石油とか、水素とかウランとかを勝手に掘ってエネルギー原料として取り出す様になり 、食糧に至っては、地中の成分や養分による成長に頼る 動植物を食して浪費生活に耽 る日々を文化としたのである。経済が完成された学問では無い理由は簡単である。現実 世界に実験は繰り返せないし、繰り返しやったとしても、科学と言う成分分析の特徴が 唯一の個性的反応を起こさないのである。つまり、先ずこの行動論理に「水の量」の、 計算が入っていない。さらに、安心の生活と言う「心理学」を近年は取り入れているが 、それでも未完のままに論じ、日々、現実の経済と経済学の理論のギャップを、埋める べく新しい考え方が、生まれ、理論が修正されていく。そもそも西洋流の経済学は、大 きく間違い、私たちの社会を変容させる武器には使われても。理解し助けになるツール にもならないのである。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/16
17: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/08(火) 13:24:36.24 ID:gkGO8Rw2z アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・08 これまでは、南米のインカ文明の系統樹は、有史以来の長くて2千年ぐらいと思われ て来た。しかし近年の測量技術から、アマゾンの熱帯雨林で1万2000年前の洞窟壁画の 発見し絶滅した大型動物や狩猟社会の生活が描かれていたり、発掘で紀元前2千年前の 地層、つまり4千年まえの石垣が見つかって、世界最古とされトルコのアナトリア巨石 遺構や、中国源流の王国遺跡とかと ほぼ同じに人類が発祥した手がかりが、出て来て 大きな人文人類学が変化してきている。グアテマラ北部のペテン低地に位置する、古代 マヤ文明の重要な都市遺跡のティカル遺跡の発掘調査は 年々大きな新発見している。 この遺跡は、かつては、マヤ文明の政治、経済、宗教の中心として栄えていた。現在で も、その壮大な建築や文化の痕跡が残されて研究の元になっている。ティカル訪れた時 、ジャングルの中から突然現れる、このピラミッドや神殿に人々は圧倒される。今回は その感動と共に、ティカル遺跡の最新研究や発掘レポートからの、歴史を詳しく追って みる。ティカル遺跡は、紀元前6世紀ごろから紀元後10世紀ごろまで栄えた、マヤ文明 最大級の都市の一つとされる。その頃は最盛期で、10万人以上が住んでいたとされて、 メソアメリカの、他の都市と交流がある形跡が次々と発見されている。ティカルの名は 、マヤ語で「水の場所」を意味し、ジャングルの奥地にあっても水の確保ができる地形 的な強み。が、あったと言う。つまり、この南米文化圏でも、他の文明と同じ様に「水 」と「人口過多」であって、食糧や領土よりも 如何に水を確保し、人を安心させた、 生活を維持する 王の威厳と意地を保てるか。がここにあったのだろう。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/17
18: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/08(火) 13:25:05.73 ID:gkGO8Rw2z アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・09 この遺跡は広大な敷地に広がり、ピラミッド、神殿、宮殿、そして球技場など、数百 に及ぶ建築物が発見されている。特に有名なのが、ジャガーの神殿(Temple I)や、夏 至冬至、更に彼岸に農業神ククルカン現れるピ ラミッド IVといった壮大な建造物が、 ある。これらのピラミッドは古代マヤの王たちが葬られた場所であり、宗教儀式が行わ れた神聖な場所とされる。カタン半島でも、北部・ユカタン州の州都メリダから東へ約 120km。チチェン・イッツァ遺跡が同じ様にある。チチェン(泉のほとり)、イッツァ( 魔術師)の組み合わせで、「泉のほとりの魔術師」という意味の街は、セノーテと呼ば れる地下源泉の上に築かれていた。遺跡は北部の 8〜10世紀に築かれたトルテカ期の物 であり、長い時間この地域が安定して栄えていた事を物語る。そして、南部には10〜13 世紀に築かれたプウク期のものすらあるのだ。こうした街を築いたイッツァ人は7世紀 頃に、姿を消している。しかし、10世紀に、メキシコ高原で栄えたトルテカ文明の影響 を受けたイッツァ人が、再びここで都市を建造。この時期に築かれたのが「カラコル」 という天文台であった。10世紀以前の建築物が多く残る南側のエリアは 「旧 チチェン 」と呼んでいる。ティカル遺跡での、もう一つの魅力は、ジャングルに囲まれたままで 、その独特な雰囲気の空気感である。遺跡に向かう途中に、グアテマラの密林を通り抜 け、突然目の前に巨大なピラミッドが現れる瞬間は、まさに圧巻。木々に隠された古代 の建造物を見つけた時は、まるでタイムスリップしたかのような感覚にとらわれてしま う。つまり、鳥や猿の声が響き、自然と一体化したこの遺跡の場所は、完全に同化して 人工的なものとは思えないほどの建造物で、自分が古代に迷い込んだ様に感じるのだ。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/18
19: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/08(火) 13:26:16.48 ID:gkGO8Rw2z アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・10 特にピラミッド IVの頂上に登ると、ジャングルの上に突き出す形で 遺跡の全景が広 がる。それは、映画『スター・ウォーズ エピソードIV/新たなる希望』のロケ地として 知られた景色でもある。ティカルの主要建造物。ティカルには、数々の重要な建造物が あり、遺跡を巡る際の見所として、ジャガーの神殿(Temple I)はティカルのシンボル 的存在。一説には地球神で、ジャガー神殿と言われる。このピラミッドは、ティカルの 有力な王であるパカル王の墓とされる、高さは約47メートル。頂上に神殿舎があって、 宗教儀礼祭が行われた場所という。階段を登るのはかなりの勾配でエジプトピラミッド が3・4・5の30度にちかい4寸勾配なのに対してここは7寸勾配で立っているのだ 。ティカル最大の建造物で、約65メートルの高さを誇ります。頂上からは、他の遺跡群 やジャングルが見渡せ、その絶景は多くの観光客に人気だが、朝日を眺めるツアーは、 静かなジャングルに包まれながら日の出を迎える瞬間は絶景の祝福感を味わえる特別な 体験だろう。ジャガーの神殿(ピラミッド IV)に続き大広場(The Great Plaza)は、 ティカルの中心部に位置する。ここでも重要な儀式や集会が行われた場所で、周囲には 神殿や宮殿が取り囲むように建てられていて、広場に立つと、そのスケールの大きさに 圧倒されるのである。ティカルは、広大な遺跡群であり、遺跡間を歩いて回るだけでも かなりの距離があり、ピラミッドを登るのはかなりの体力が必要です。遺跡探訪を楽し むために、歩きやすい靴と十分な水分補給を準備が必要である。ティカル遺跡に足を踏 み入れると、数千年前にここで繁栄したマヤ文明の痕跡を、現代の私たちがそのまま感 じ取ることができる。石のピラミッドはそのままの姿で残り、古代の人々がここで祈り 、星を観測し、日々の生活を送っていた。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/19
20: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/08(火) 13:26:46.26 ID:gkGO8Rw2z アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・11 ティカルは単なる観光地ではなく、「時を超えた文明」としての神秘的な謎を持ち続 けている。ここの古代世界が、どんな風景だったかは、未だはっきりしていない。生贄 の儀式はあった様だが、相対的には、この南米地域は農業国家であり、肉食のユダヤや 放牧の騎馬民族の様な様態の、西洋の様な光景だったとは、とても思えないのである。 今、このままだと「ドイツは全体主義」に向かってしまう。と悲鳴を上げているのは 、エネルギー安保に不安がよぎるドイツである。東西統一を果たし「経済と民主主義」 の危機に瀕している。と専門家は言う。9月1日に行われた旧東独地域の2州の、チュー リンゲン州とザクセン州での州議会選挙の結果が右派左派共に中道路線が惨敗だったの である。極右政党、AfD(ドイツのための選択肢)が、チューリンゲン州では大差で第1 党に躍り出て、ザクセン州では1.3%ポイントという僅差で第2党となった。この結果に 主要メディアは、『極右で、反民主主義で、排他主義の危険政党AfDが急伸した !』と 、あたかもドイツが、かつてのナチス発祥期の独裁国家になりかけている時代のように 、報じている。一方で、ボロ負けしたのが中道穏健派路線の、社民党、緑の党、自民党 。この3党で、中央政権での政府を担っている3政党である。緑の党はザクセン州では 、かろうじて泡沫政党として少数が残ったものの、チューリンゲンでは議席を失った。 そして中道の王道の自民党は、どちらの議会からも拒否され脱落したのである。その為 この結果には、どう見ても、チューリンゲン州とザクセン州の有権者が、ここ近年(こ の3年間)のショルツ政権の行政に落第点をつけたもので、おそらく全国民の意見の、 代表としての拒否の証左だろう。というのも、ドイツは現在、ウクライナ戦争で大変な 危機的状況で、倒産、リストラ、企業の国外移転という嵐が吹き荒れている。からだ。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/20
21: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/08(火) 13:33:15.79 ID:gkGO8Rw2z アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・12 まさに坂を転げ落ちるような大変速い速度で、不況の沼に陥っている。もちろん、全 てを、ショルツ政権(社民党)のせいにするのは酷である、何もしないショルツ首相と 、経済音痴のハーベック経済相(緑の党)の責任は大きいものの、国際社会を牛耳る 米国の剣捌き次第で起こったものであって、とんだトバッチリではある。しかしながら 、国の行末の責任が時の政府にあるのは間違いない。ところが張本人の社民党と緑の党 は、いたって全く反省の色がなく、「旧東独の国民は40年近くも SED(ドイツ社会主義 統一党)の独裁政権下で暮らしていたため、未だに、民主主義が身についていない。」 などと言い、我々の政策を、もっと丁寧に説明する必要がある。」と責任回避に乗じた 説教を言う始末である。民衆の力で、独裁政権を倒した人々に、民主主義は何かという 、御題目を唱え、国民に教えようという訳だ。こうした、旧西独の政治家が東を上から 目線で眺めている様子は、統一後、34年が過ぎようという今でも、それほど、変わって いないのであった。ところが2週間遅れの 9月22日に 州議会選挙を控えていたブラン デンブルク州では、どの候補者でも、そんな悠長なことは言えなかったのだ。同州で、 元々社民党色が強く、統一以来34年間、第一党として政権を仕切っていた御仁ヴォイト ケ氏の人気が高かった。とりわけ、この10年間2期の州首相を務めていて、この全国的 に人気が、失速・失墜していた社民党の、数少ない基盤票基礎議席のある一つとして、 観られていた。このヴォイトケ氏率いるブランデンブルク州が、ここでも、現在は AfD の追い上げは強く、厳しい状態となっている。そこで、選挙戦の最終盤に、社民党はも ちろん、 CDU(キリスト教民主同盟)や、その他の党でも、大きな危機感が広がって、 やっと 「AfDを勝たせてはならない!」という大同団結の空気が流れ、超党派の共通の 認識が、やっと強まったのである。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/21
22: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/08(火) 13:48:56.42 ID:gkGO8Rw2z アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・13 しかし、そこで奇妙な事が起こる。州外の CDU の大物政治家が ブランデンブルク州 の有権者に向かって、社民党に投票するようアピールしたのである。つまり必死で戦っ ていたCDUキリスト教民主同盟の候補者らにしてみれば、背後から味方の弾が飛んで きた形である。或いは他の戦線から競争相手に援軍に訪れた。とも言える状況になった 。日本で言えば公明党議員応援が、投票に私、比例に自民党と書いてくれ。など言う形 と同じである。いくら混戦模様のバトルロワイヤルと言えど、弱き自党候補者を捨てて 他党候補応援となれば、それは内紛状態である。ところが、選挙は、この風雲児の AfD VS CDU+連合、となっていて、肝心の政策論争は 置き去られた演説公示となった。 超党派グループの、目標はただ一つ、「いかにして極右AfDを抑えるか?」であった のだ。又、人気ゼロのショルツ首相に、足を引っ張られては 適わないと思ったのか、 ブランデンブルク社民党は、首相の応援演説などを、一切辞退した。計画通り捨てられ たのだ。こうしてショルツの率いる社会民主党CDU の得票はかろうじて生き延びる結果 とはなったが、キリスト教社会同盟は大きく票を減らしたのだ。又、緑の党(4.1%)と 左派党(3.0%)が巻き添えになり、議会から弾き出されたのである。結局、残ったのは 得票13.5%の、BSW(サラ・ヴァーゲンクネヒト同盟)と言う、風雲児AfDの、後 継二次母体に目された集団に票は流れた。今後のブランデンブルクの州議会には、社民 党、AfD、BSW、CDU の4党しか無く、他の緑の党やキリスト系右派などは なってしまっ た。東西ドイツ統一以降、同州で第1党を維持してきたSPD(社民党)は、得票率30.89% (前回2019年選挙の得票率比:4.70ポイント増加)を獲得し、第1党の座を死守したも のの、AfD(ドイツの為の選択肢)は、29.23%(同5.72ポイント増)で、前回に続いて、 第2党となって追いついて来ている。左翼党から分離して2024年旗揚げしたザーラ・ワ ーゲンクネヒト同盟(BSW)が 13.48%を獲得し躍進した一方で、キリスト教民主同盟、 (CDU)は過去最低の得票率となった。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/22
23: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/10(木) 01:52:36.40 ID:Xxyd1Fbq0 アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・14 9月1日に東部ドイツのザクセン州とチューリンゲン州で行われた 州議会選挙結果と 、(2024年9月5日記事)この結果では、中道が消え代わりにに、極右と極左が躍進した 。BSW(=サラ・ヴァーゲンクネヒト同盟=理性と公正のために)は、一躍第3党に躍り 出た。SPDは得票率31%。これまで、旧東独地域の地方選でも強さを見せ、今月の、 テューリンゲン州議会選をやっと勝利した。AfDは得票率29%で第2党だから、ほぼ 同じ勢力ともなった。ショルツ首相の選挙区が、ブランデンブルクの州都、ポツダムで ある。ひたすら「ヴォイトケ」の名前を看板にして戦ったのだが、選挙民に響かなった 。あっさり捨て置かれた国民らしく、結果は散々足るものだった。極右AfDを除けば 、残るは3党。施政方針の違う政党で、ゼブラ(しまうま内閣)や信号機政府と言われ る中の穏健中道を除くその3党で、どんな連立が組めるのだろうか? 社民党とCDU (キリスト教民主同盟)が組んでも、ちょうど半数で、過半数にはならない。だったら 、社民党と1月にできたばかりの新党であるBSWも参加させるしかない。しかし左派 が割って出てきた議員連盟であり、共産主義者の集まりだとして既存の政党が無視して きた党員達でしかない。それでも過半数を取るためには組むのだろうか。かつて労働党 から共産化して飛び出たナチス(社会主義労働者党)を支持して、大きく失敗したよう に。しかし、こんな野合のような連立、しかも有権者の3割の意見を無視することを、 是とした連立が通用するなら、党も要らなければ、選挙も要らない。それどころか議論 すらない。今回のCDUと社民党のような、政策を無視した不条理な協働は、民主主義 の要である「選挙」という仕組みを冒涜していることにならないか。実はここにドイツ と日本の違いがある。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/23
24: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/11(金) 01:09:51.87 ID:b+bblV9r8 アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・13 この選挙によって、ドイツでは、SPD(エス・ペー・デー:ドイツ社会民主党 〉と、 共に国政で連立を組む緑の党(Grune)と自由民主党(FDP)は、いずれもが、議席獲得に 必要な5%の得票至らなかった。又中道路線を取っていた 左派(Linke)さえも、議会 から消滅したのである。つまり最重要事項は、国民を苦しめている経済問題やエネルギ ー問題でも、移民・難民問題でもなかった。ただただ、AfD の撲滅であり、国民はあっ さり捨て置かれた。のであり、そして、実際問題としてこのアピールが効いて現状の、 極右極左の台頭に、死守した形になったのである。こうした分裂はドイツ国内ではしば しば起っている。ウクライナでのロシア寄り、つまり東側の保守的主張と、EU寄りの 革新的西側加入に騒動する民衆と同じである。二千年代にドイツ国内で普通の建設会社 は、軒並み潰れて行った時がある。英国でサッチャー改革の批判の頃だ。その頃生き残 った企業は、特大の海外で、イラクのフセインの地下室や、カダフィーのプラントとか 宮殿を請け負う、いわゆるメジャーブランドか、フレスコ画まで書いている芸術家崩れ の日本で言う、大工や職人級の個人事業のみの時代があった。この後、ドイツ経済は、 実は行き詰まっていた。ところが、東西ドイツが再統一する1990年の事だ、グラス ノッチ(情報公開)と、ペレストロイカ(改革=リストラ)を叫んだミハイル・ゴルバ チョフが1985年春にソビエト連邦で議長席に座り、政権を握った時、国民にはそれらの 意見が何を意味するのか、分からないままだった。当然より多く共産主義に染まっての 閣僚・官僚・学者は、もっとわかって居なかった。国民は、既に60年以上の間、抑圧、 秘密、疑惑に浸っていて、保守の殻すなわち旧来の慣習の秘密警察や年金での余生更に 分業化した縦割り思考は全く連携や忖度のみ。ゴルバチョフはそれを変えたかったが、 政治紛糾で、武力による議会攻撃するポリス・エリツィンの登壇で、更に混迷した。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/24
25: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/11(金) 01:10:59.92 ID:b+bblV9r8 アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・16 ところが実は我々、つまり、西側諸国の民が注目したのは、全然違う事だったのだ。 湾岸戦争である。湾岸戦争は、イラクとクウェートのみの戦争ではなく、アメリカを中 心とする多国籍軍とイラクの主導で行われたものだ。実はクウェートと言う国はイラン に、革命政党のバース党のフセインが、イラクを掌握し分離し国をつくった時作られた どさくさ紛れに出来たイギリスの傀儡国家である。殆どイギリスの国策としての油井の 権利を持ってここを中心にイラン・イラクの国境線が引かれ、中立緩衝地帯とされた所 を、まんまと英国主導で国にしたのである。イラクがアメリカ支援のフセインの国であ り、シリアは同じ改革政党バース党だが、対イスラエルの義勇軍でのレバノン防衛隊を 引く事になる。つまり英米のユダヤ上陸作戦に抵抗した。その経緯からフランス・ソ連 の支援を受けるしかなく、資金力に乏しかった上に、アラウィー派に属し前任のハーフ ィズ・アル=アサドは、国王となるも多くが欧州の西洋好きで、国民には、なじまなか った様だ。更にイランバース党と言う西洋主義のイスラムは、このイスラエルのユダヤ 統治に、エジプトをも掌握して囲い込んだ。エジプトは、古くから西洋とは関係を持っ て建国していた。しかし、それ故にアラブ世界と西洋世界の文化の派間(はざま)に、 数多くの国力が削がれた。1798年、フランスはナポレオン・ボナパルトによるエジプト 遠征をし、エジプトは、近代国家形成時代を迎えた。フランス軍を打ち負かし、撤退後 の混乱を収拾したのは、オスマン帝国が派遣したアルバニア人部隊の、隊長であった。 エジプトにやってきた軍人ムハンマド・アリーである。ここでやっと国体の姿を取り戻 したが、その時に大きな力となったのものは、英国や仏国の投資家の援助や資金であり 。次々に古代文化の発掘隊を送る先進国の投資家の中に、スエズ運河建設もあった。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/25
26: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/17(木) 11:17:05.11 ID:JQm7iAnVo アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・17 こうして、早くから西洋文化との衝突した エジプトは、革命国家として名を馳せた 国であった。幾つもの歴史的変遷を得たが、しかし、いずれの王も、イスラムの、ムス リム戦士の支持を得た者でなければならず、その欧州化の混乱には、欧州の傀儡国家と して力を借りた政権しかできなかった。1882年、反英運動が高まり、オラービー革命で のイギリス軍の武力鎮圧では、逆に火が付いて、独立を果たして交渉で、エジプトは、 自国のピラミッド発掘を手放して、イギリスの保護国となった。いわゆる傀儡国家であ る。しかし、結果として、政府の教育支出が大幅カットされた為。1914年には、第一次 世界大戦によってイギリスは、エジプトの名目上の宗主国であるオスマン帝国と開戦し 、エジプトはオスマン帝国の宗主権から切り離された形にたどり着いた。1919年のイギ リス当局の下、元官僚で愛国ワフド党を率い独立運動指導者サアド・ザグルールらを、 逮捕・国外追放した。これを契機に、反英独立運動には再び火が付き、エジプト革命が 勃発。真の独立・エジプト王国を目指す事になる。第一次世界大戦後の、1922年にエジ プト王国が成立して、翌年イギリスは、その独立を認めたが凄まじい戦いであった事を 知る者もいた。それは、スエズ運河建設に英仏の資本家が交差し、イギリスの間接的な 支配体制の為だった。エジプト王国は、立憲君主制を布いて議会を設置して、改めて、 緩やかな近代化を目指すが、直ぐに第二次世界大戦であった。1940年、枢軸国イタリア の王国軍がリビアから侵攻し、これを英軍が迎え撃ち(北アフリカ戦線)は戦勝国側に 辿りつく。この第二次世界大戦前後に、現在はイスラエルになっている地域へのユダヤ 人が火事場泥棒の如く移民にやって来て、パレスチナ問題を深刻化させた。合わせて、 スエズ運河の通航料の国益をはかったエジプトは同じ民族でありながら英国軍駐留を認 めた。ここでエジプトパレスチナ人は、ムスリムからもエジプト政府からも捨てられた のである。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/26
27: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/17(木) 11:48:06.17 ID:JQm7iAnVo アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・18 この一連の環境で、ついにイラクは戦争を決意したのだ。こうして1990年にイラクは クウェートへ侵攻したのである。このクウェート侵攻に対し、国連安全保障理事会は、 イラクに撤退を、要求し、更なる禁輸措置といった新たな経済制裁を課したのである。 ここに、実はイスラエルは介在した。知っての通り、イスラエルは全方位に対中東戦争 をやっている。1948年〜1973年までにおよそ30回ほど、大規模な戦争では4度起こり って、それぞれに、第一次〜第四次に分類されている。よく、アラブVSイスラエルの 戦争とされるが、アラブでなく対ペルシャ人であり、元々オスマントルコの、カリフの 支配地と言う中に、米英が武力を盾に乗り込んで来て、アラブVSペルシャに持ち込ん で、アラブ人に手を貸した構図である。ここで、建国時時の大国エジプトが戦争を起こ し、反対の立場を鮮明にしたのだが、同じ民族同胞だったので、国家経営には、避けら れない動きであったのだ。1948年 5月14日、イスラエルの独立宣言と共に、パレスチナ 内戦は、すぐさま国家間戦争と化す。翌日には、イスラエル独立反対抗争が周辺アラブ 諸国(エジプト、サウジアラビア、イラク、トランスヨルダン、シリア、レバノン)で 起り義勇兵団がパレスチナへ進軍した。パレスチナ人側に立ち戦闘を始め、アラブ側の 兵力は約15万以上、イスラエル側の兵力は3万弱といわれ、数で優勢なアラブ連合軍は イスラエルを包囲した。しかし米英の肩入れと、モサド工作で各国間の不信感から連携 が取れず、最新兵器を前に士気も低かった。緒戦は、物的優位によりアラブ連合軍が、 善戦したがしかし、二度の休戦期間の間に、イスラエル軍は米英機器で部隊を強化する ことに成功した。こうしてアラブ諸国の足並みの乱れからも、ヨルダン方面の進軍を除 いて、戦況はイスラエル優位になり。そしてそのまま1949年、双方が国連の停戦勧告を 受け入れた。ここで大きく領土が開いた、これがガザの占領であった。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/27
28: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/17(木) 12:01:41.65 ID:JQm7iAnVo アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・19 1949年6月の国連の停戦勧告の受け入れは、微妙な不満を残した。イスラエルでは、 この戦争を独立戦争と呼ぶのは戦争によって、イスラエルは独立を確保し、領土も国連 による分割決議以上の範囲が確保されたからだ。聖都であるエルサレムこそ、西側の、 新市街地区しか確保することができなかったが、首都機能は海岸部のテルアビブに暫定 的に置かれることが出来た。パレスチナにおいてもアラブ側に残された土地の多くは、 エルサレム旧市街(東エルサレム)を含んで、旧市街は死守し、ヨルダン川西岸など、 トランスヨルダンという、ヨルダン国王の地に確定した。地中海沿岸のガザ地区がエジ プトに、それぞれ分割された。さらに、従前どおりスエズ運河の英国との共同運営が、 出来たのである。それでも、この戦争の結果は双方に不満を残すものになった。イスラ エル側では、念願の独立国家の建国に成功して、当初の国連分割決議よりも、はるかに 広い領土を確保したが、肝心のユダヤ教の聖地「嘆きの壁を含むエルサレム旧市街」は 依然としてイスラム教国であった。更に橋頭堡だった水源場所は トランスヨルダンの 手にわたり、ユダヤ教徒は、聖地への出入りが不可能になってしまった。アラブ側も、 イスラエルの建国を許してしまい、人口比に比べわずかな領土しか確保することができ なく、戦争の負担に比べ利の少ない物だったのだ。その後はイスラエルに対する敵意を 募らせ、終戦後も両国民勢力の敵対は全く収まらず、以後21世紀に入っても続く対立の 原型が形作られた。また、この戦争によって、主にイスラム系のパレスチナ人は、多く が国を追われた事も問題を大きくした。大量のパレスチナ難民となって周辺各国へと、 流入し、貧困の下の青年は過激なムスリム兵士に育ったのである。その後、イスラエル は首都をエルサレムへと移転させたが、この移転は、世界各国から認められずに、各国 大使館は、旧暫定首都であるテルアビブに置かれたままとなった。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/28
29: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/17(木) 12:02:31.69 ID:JQm7iAnVo そしてそのまま1949年、双方が国連の停戦勧告を 受け入れた。ここで大きく領土が開いた、此の時エジプトが確保したのがガザの占領で あった。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/29
30: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/21(月) 03:33:09.92 ID:TAU7WDqPP アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・20 イスラエルとエジプトは、和平交渉などにより 国家間紛争が沈静化した以降でも、 パレスチナ解放機構(PLO)などの 非政府組織との軍事衝突が頻発していた。アメリカ ・イギリス・フランスが、イスラエルに、ソ連がアラブ側に対し支援や武器を供給して いたことで、思わぬ代理戦争の側面をももった。ソ連には少なからず、イスラム教徒は 意外に多いし、連邦内構成国家も、アフガン戦争はしていたが、内情は宗派闘争的な面 での敵・味方の対峙であった。だから戦争中も、砦でのアラーの祈り時間には休戦状態 で、抜け駆けには敵味方問わず集中砲撃を受けていた。このイデオロギーより中東地域 の風習や習慣の対立が、欧米社会の利権や武器売買などの経済的な動機で侵攻や占領を 許し、その有用性がこの地を重要性を占めていた。そのため、初期にイスラエル支援や 、武器供給したイギリス・フランスは、第3次中東戦争以降、石油政策などからアラブ 側に回り、サウジもそれに呼応している。さらに中国や イラン革命後の、イランでの 武器供給や、軍事支援においてアラブ側に入り込むなど、大国や周辺諸国の思惑の入り 混じる戦争となった。さらに混戦は、双方の宗教の聖地であったエルサレム、ヘブロン などの帰属問題の絡んだ宗教戦争の側面もみせた。今でも、イスラエルとアラブ諸国は 、犬猿の仲のようで、裏で政府は手を握る支援や暗殺が多発する。911でもイランや イラクの戦士は一人もいないしましては、ISやアルカイダに絡んだ人物も登場しない 。極めてモサドやアラブ王立軍の隊員名簿に彼らの名がある。第四次の中東戦争でも、 ほぼイスラエルは消滅する。と言う時に助けたのは、米軍が主導したアラブ戦闘機によ る部品空輸だったのだ。戦車や戦闘機の交換部品を空中落下で供給続けたのがサウジの 、米人駐留部隊であったのである。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/30
31: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/21(月) 03:42:21.26 ID:TAU7WDqPP アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・21 日本は幸いな事に戦後直ぐに起きた自由党と民主党の寄合い所帯の野合も、「戦前・ 戦中」の「皇民=大和民族」と言う一体感の中で、つまり、愛国主義での統一思想で、 国家神道を否定して、自由民主党は、まるで農業組合の様に、右派左派入り乱れて日本 の自民党と言う看板を上げ続けてきた。もし野党を、個人商店とすれば、自民党とは、 総合商社、雑物問屋のスーパー的存在である。つまり文具屋や八百屋や魚屋など専門性 を捨てて、一階に食料品店二階に衣料品と言った何でも屋の様態にある。そんな日本的 議会制民主主義の様態の中で、石破首相が誕生した。ひょっとしたら美味くいくかもし れない。とヒーローを望みたがる庶民の前に、野党でもない党内野党が忽然と躍り出た 。人々の最初の印象は是でもなく非でもなく。多くのリベラル保守を物真似した右翼で 、政治献金すら始末に負えない使い方した、米国流のデマゴークやプロパガンダの広報 による人気投票選で、これまで政治をやって来て、自由な無税の勝手な法律作りが横行 して、日本を支えて来た。もちろん、戦後世界に前途多難であった中でも、自衛隊がい て、その位置付けに、憲法九条の関係をどう解釈するかといった点についてすら、国民 的合意が達成されているとは言い難いまま。その事が分かっていながら、数十年が経過 している。その間、安全保障をめぐる状況は、切迫の度合いを強め、長らく政権与党で 安穏の内に堕落した、自民党の、政策責任は、決して小さくはない。しかし憲法で主権 在民が定められた民主主義国家の国民でありながら、その重要な課題へのコミットメン トを回避していたのは、ほかならぬ報道の無能さと一般国民の世論であり、一般の日本 国民の責任も、非常に大きい。つまり、新聞王・メディア王のマードックが仕掛けた、 ゴシップ攻勢資本に 感化されてフォーカスやフライデーがあいついで発刊され、人々 を白雉化していったのだ。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/31
32: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/21(月) 11:02:48.29 ID:TAU7WDqPP アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・22 日本の国情では、おそらくこれまで、実務担当者は、前提が判らない中で、その場の 整合性を保つ為に、やりくりを続ける事が至上命題として、強いられて来ていたはずで 、相当の苦労があったと想像に難くない。焼け跡の敗戦後の復興の中で無念に、悲しみ ながらの政府の政治であった。とは言え日本が、普通の国になる為に、今後にいきなり 核武装について目指すなど言及するのは、いくら何でも無茶であったろろ。世界での、 唯一の「被爆国」と言う立場をどう思っているか。と言う批判も聞こえたに違いない。 しかし又、世界一のレベルの物理学者を輩出して戦争に陥った国としてあっさりと核の 武装論を引く事は出来ないできないでいた。日本には島嶼国としても地政学もあった。 今や周りは、米国はじめ、ロシア・中国・北朝鮮が核弾頭をもって、外交防衛に、押し 寄せているのだから。この状況は、心理学的にも日本人の不安は高く、安全や安心への 欲求は他国より、より大きいものだ。最も根源的な、生活安全的ものであるに関わらず 、日本人は整然と生き、性善説による人の善性質や善人論の法理や憲法を信じていて、 それを放置した。中国や韓国に、国家予算以上の「費用」や「技術」更に「日数」をか けて、全く不満も言わずに、隣国の共存共栄の国家方針で、対米ブロックとして育てて 来た。これが何とも、成就せず不安定なままで、中国の抗日予算に割り当てられその上 に何を積み上げても、「そのままだと命にかかわる。」という環境の変化が生じたのみ で、終わったのだ。悲しい物だ。日本の馬鹿学者や評論家が、西洋拝礼の西洋かぶれと なって、自虐史観は兎も角、核投下は早期の戦争終結だ。とか、此の投下でその後死者 数が減った。避けられない判断だった。とか、米国DSの核開発プロパガンダを信じ、 日本国内に広報した。更に中国は、戦後の訪日首脳は、一緒に靖国参拝していたのにも 関わらず、共産党指導部の対米援助で、この抗戦美国を対日抗戦に変えたのだ。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/32
33: & ◆iOvfsM0uMlVW [] 2024/10/21(月) 11:03:13.59 ID:TAU7WDqPP アインシュタイン・トランス・・・・・・・・・・・・23 、戦乱ともなれば、それまで積み上げたものを全て捨てて、一から積み上げ直さなけれ ば為らなくなる。との論戦の国家方針に変え、変節の中国共産党独裁を得た。外交防衛 とは、そういう重い課題なのであったのだ。つまり、中国は折角の西側の投資を巧みに 使って開発発展させ、今や肩を並べ対西側への、暴力的政治に終始する始末で、日本の 悩みは尽きない。小沢政治の、常在戦場はいいが、日本人の生活は、常在戦場では生き られない。既に本土決戦の玉砕の域なのだ。大切な自分たちの命を守る、或いは子供や 孫を護る為に、経済一辺倒の西側思考の社会であってはならない。他人を考えない世界 に人類の明日はない。これは確実に国民合意に向けて論じ、核武装も、確実にそうしな ければならない。と、そう言う運命にある様に見える事は、断じて反対するべきなのだ 。つまり、戦争の兵器開発に、ここまでは許される。などと言う法理はない。例え拳銃 や鉄砲でも、殺人道具なのであって、核はダメ、機関銃や戦車はいい。など言うのは、 ほぼほぼ論外の理論である。中国と台湾、或いはロシアとウクライナの、イスラエルの キチガイじみた無辜のパレスチナ民の惨殺。と、これらの闘争劇は、人類は 許しては ならない惨劇なのだ。昨今の世界情勢を鑑みるに、安全保障は最も重要なテーマの一つ であることが、分かってもしかし、その安全保障について、日本人はこの数十年間に、 まともに考えることが出来ていない。いや人類そのものが対抗ユダヤ抗戦を捨てたのだ 。本来、考える能力がない訳ではない。実際、実務を担当している政府関係者は、限定 された条件の中で 必死に作業を進めて日本を支えてくれている。しかし、「与えられ た前提の下で」という条件付きである。つまり米国の核の傘や、日米安全保障の米国に よる防衛責任と言う 壁での暗黙の了解上の政策を強いられてきたのであるが、それは 世界も同じで「世界核戦争が無い中で」とか、「世界の気候変動が起こらない中で。」 の経済活動や森林伐採と言う、大前提を、米国人はトランプによって捨て去られたのだ http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/33
34: 過去ログ ★ [] [過去ログ] ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/34
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.369s*