[過去ログ] 関西学生アメリカンフットボール Part93 (870レス)
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806: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2014/12/14(日)14:21 ID:BUmnoNDl(1) AAS
 国立中央図書館は国内外の地図・地理情報部員の体系的な収集・管理を通して、関連研究者の調査、研究活動を支援し、地図・
地理情報の総合的な提供機関の役割を遂行しようと、25日「地図資料室」をオープンする。
 韓国および西洋の古地図は図書館・博物館などで着実に収集・所蔵しているが、機関別にサービスが行われ、これを体系的に重点サービスする所がなく、
東海(日本海)、独島(竹島)など関連事態に対する効果的対応が難しく、国内外の古地図の資源共有のための連係統合サービス体系構築が求められていた。

 これに国立中央図書館は国内外の地図・地理情報のゲートウエーの役割を担当する指導資料室の設置、
および効率的運営のために、海外図書館の指導資料室運営実態の把握、および国内地図専門家の意見収斂と諮問を受けて、地図資料室を開設する。

 合わせて、古地図目録情報共有および原文データベース(DB)連係のために、奎章閣(朝鮮王の文書保管庫)韓国学研究院、韓国学中央研究院の蔵書閣、国立中央博物館、ソウル大学校図書館、
高麗大学校図書館、星辰女子大学校博物館、コリアナ化粧博物館など、古地図を所蔵している主要機関と、国内外の古地図資源共有のための連係統合サービス体系を構築した。

 これに伴い国立中央図書館指導資料室ホームページに接続すれば、国立中央図書館をはじめとする24機関の古地図目録DB 1030件と原文DB 499件を検索して、利用することができる。

 韓半島で作られた現存する東洋最古の地図が龍谷大学の9年にわたる作業で復元されたと朝日新聞が23日報道した。
 朝鮮初期に作られた世界地図が現代先端の光学技術で本来の姿を取り戻せるようになった。

 報道によれば、龍谷大の岡田至弘教授チームは1402年、韓半島で作られた「混一疆理歴代国都之図」を3億5000万画素以上のデジタルカメラとエックス線処理技法などを利用、当時の色彩の復元に成功した。

 現存する世界地図中、最も古いものと評価されているこの地図は、横1.6m縦1.5m大で、中国が地図の中央に大きく位置しており、韓半島の疆域が今よりはるかに大きく表示され、日本は韓半島の下に小さく表示されている。

 混一疆理歴代国都之図は壬辰倭乱(文禄の役)または日帝強制支配期前後の時期に日本に渡っていったと推定されており、今まで原本が発見されたり公開されたことはない。

 龍谷大はこの地図の原本を発見、復元したと明らかにしているが、韓国学界ではこれまでこの地図は筆写本であると把握してきた。

 韓国内の考古学界では龍谷大側から地図と関連した資料を譲り受けて、精密分析作業に行う予定だ。

第13回大邱医大-東義大の国際漢方医学学術大会が19日午後2時から、大邱市で「老化疾患と漢方医学」を主題に開会した。
 大邱漢方医大の済韓東医学術院と東義大の漢方医学研究所が共同主催する今回の学術大会では、高齢化社会の老化疾患現況と問題点、解決案に関する多様な研究と学術発表が行われる予定だ。

 開幕式に続き米テキサス医大のチョン・ジンモ教授が主題発表し、国内外の学者が論文発表と自由討論を行う。

 大邱漢方医大のソ・プイル院長は「次第に深刻化している高齢化時代に、漢方医学の治療効果と予防医学的価値を確認する席になるだろう」とし、「漢方医学の現代的研究は国際的に活発に行われている」と話した。

「百済初めての都である地、慰禮城を捜す」。忠南天安市が16日、「天安慰禮城発掘調査開土祭」を行い、百済時代の慰禮城に対する初めての発掘調査に着手した。
 これまで調査されなかった城内部に対する精密発掘調査で、慰禮城の築造時点に対する正確な資料確保を行う。

 また、既存の調査で確認された城内の井戸などに対する発掘調査で、慰禮城の全般的な現況を把握する一方、学術研究のための基礎資料を確保して、これから保存管理対策や整備など過去の慰禮城の姿を復元するための案も模索する計画だ。

 天安市北面と笠場面の境界となる標高523mの慰禮山頂上に位置する直山慰禮城は、京畿道下南の慰禮城と共に、百済始祖・温祖王が定着した初めての都の地と推定されている。

 天安市はこれに伴い、今回の発掘を契機に慰禮城の名称が天安に残って伝わっている理由に対する客観的な研究を行う計画だ。

 慰禮城は1995年、ソウル大博物館による初めての試掘調査で、百済時代の遺物が大量に確認された。特に城内で収拾された一部の百済土器は、漢城百済時期のものと推定されている。

 また温祖王の母である「召西奴(ソソノ)」の墓と伝えられた石墓(石塚)等が残っており、三国時代初期の遺物が出土して、百済スタート過程で重要な役割を果たしていたという解釈がなされている。
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