[過去ログ] 加藤綾子 Part 151 (1002レス)
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232
(1): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:14 ID:0TJhVxQx(13/39) AAS
>>225
サティアサイババについてはよく調べてみないといけないよ
どの時点から堕ちてしまったのかをね
SSOの効能書きを拠り所としている人にとってはサティアサイババを否定すれば
ガヤトリーマントラに対して期待しているそれらの効能も否定することに繋がるから
絶対にできないという苦しい立場はよくわかるけどね

>>226
そのガラケーの話が本当なのかどうかね
その一方で効果がなかったという書き込みを
十把一絡げにオタメシ2の自演ということにして完全否定している
省19
233
(2): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:17 ID:0TJhVxQx(14/39) AAS
>>230,231
これも何度も何度もここで指摘されてきたことだが、
ある薬剤が特定の薬効を持っているが如く、
特定のマントラが何かの効果をもたらす、と考えるのは根本的に間違っている
表向きは、例によって人々の関心を向けさせるためにそういう効能書きを大袈裟に謳うケースもある
それは前にも書いたようにインド的レトリックに過ぎない
Aというボタンを押すとA'という反応が返って来るような意味での、
マントラを機械的に唱えればよい結果がもたらされる、というものでは全くない
そこに信心、神への信頼、神への明け渡し、という姿勢がなければ
それは単に同じ言葉を繰り返してトランス状態になっているだけだ
省5
234
(1): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:22 ID:0TJhVxQx(15/39) AAS
>>231
お忘れの様子なので再度

宇宙一切をうごかす≪音霊≫のしくみ
ガヤトリのスーパーサイエンス

シュリラム・シャルマ・アーチャリア氏の著書
からの引用です。
これは、サイババ、サティアサイオーガニゼーションとは全く関係がなく、いくらオタメシ2がサイババ否定することで効能書きを否定しようとも、サイババ関連抜きにしても昔からガヤトリーマントラは実施すべき強力な力となる事が分かります。
「カムデヌ」は甘露のミルクを与える天の牛だとインドでは信じられています。
それは神々が飲むミルクとされ、それを飲むと常に満足感に満ち溢れ、幸せと豊かさの状態を保つ事ができると言われています。
カムデヌの特性は、近づいた人の望みが瞬時に叶ってしまう事です。
省4
235: アルファラジュ 2022/04/14(木)14:27 ID:frGYAFxu(1/4) AAS
>>232

> >>225
> サティアサイババについてはよく調べてみないといけないよ
> どの時点から堕ちてしまったのかをね
> SSOの効能書きを拠り所としている人にとってはサティアサイババを否定すれば
> ガヤトリーマントラに対して期待しているそれらの効能も否定することに繋がるから
> 絶対にできないという苦しい立場はよくわかるけどね
>
> >>226
> そのガラケーの話が本当なのかどうかね
省21
236
(1): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:28 ID:frGYAFxu(2/4) AAS
>>233

> >>230,231
> これも何度も何度もここで指摘されてきたことだが、
> ある薬剤が特定の薬効を持っているが如く、
> 特定のマントラが何かの効果をもたらす、と考えるのは根本的に間違っている
> 表向きは、例によって人々の関心を向けさせるためにそういう効能書きを大袈裟に謳うケースもある
> それは前にも書いたようにインド的レトリックに過ぎない
> Aというボタンを押すとA'という反応が返って来るような意味での、
> マントラを機械的に唱えればよい結果がもたらされる、というものでは全くない
> そこに信心、神への信頼、神への明け渡し、という姿勢がなければ
省9
237
(1): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:28 ID:0TJhVxQx(16/39) AAS
そもそも>>219

「カムデヌ」は甘露のミルクを与える天の牛だとインドでは信じられています。
それは神々が飲むミルクとされ、それを飲むと常に満足感に満ち溢れ、幸せと豊かさの状態を保つ事ができると言われています。
カムデヌの特性は、近づいた人の望みが瞬時に叶ってしまう事です。
天の木である「カルパ・ヴィリクシャ」と同じように、謙譲と祈りの気持ちを持って近づく人の願望は成就します。
カムデヌはガヤトリの別の名前です。
カムデヌであるガヤトリは彼女を信じる者の全ての苦しみを取り除きます。
(28ページ)

カルパ・ヴィリクシャは天国に存在し、その木の下に座る者は誰でも望みが叶うと言います。
全ての願望が瞬時に成就するのです。
省7
238: アルファラジュ 2022/04/14(木)14:29 ID:frGYAFxu(3/4) AAS
>>234
> お忘れの様子なので再度
> 宇宙一切をうごかす≪音霊≫のしくみ
> ガヤトリのスーパーサイエンス
> シュリラム・シャルマ・アーチャリア氏の著書
> からの引用です。
> これは、サイババ、サティアサイオーガニゼーションとは全く関係がなく、いくらオタメシ2がサイババ否定することで効能書きを否定しようとも、サイババ関連抜きにしても昔からガヤトリーマントラは実施すべき強力な力となる事が分かります。
> 「カムデヌ」は甘露のミルクを与える天の牛だとインドでは信じられています。
> それは神々が飲むミルクとされ、それを飲むと常に満足感に満ち溢れ、幸せと豊かさの状態を保つ事ができると言われています。
> カムデヌの特性は、近づいた人の望みが瞬時に叶ってしまう事です。
省17
239: アルファラジュ 2022/04/14(木)14:30 ID:frGYAFxu(4/4) AAS
>>237

> そもそも>>219
>
> 「カムデヌ」は甘露のミルクを与える天の牛だとインドでは信じられています。
> それは神々が飲むミルクとされ、それを飲むと常に満足感に満ち溢れ、幸せと豊かさの状態を保つ事ができると言われています。
> カムデヌの特性は、近づいた人の望みが瞬時に叶ってしまう事です。
> 天の木である「カルパ・ヴィリクシャ」と同じように、謙譲と祈りの気持ちを持って近づく人の願望は成就します。
> カムデヌはガヤトリの別の名前です。
> カムデヌであるガヤトリは彼女を信じる者の全ての苦しみを取り除きます。
> (28ページ)
省13
240
(1): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:32 ID:0TJhVxQx(17/39) AAS
>>236
きちんと内容を把握したうえでレスしてくださいね?

普通の人々は災難と出会った時に避けられない運命だとただ泣くばかりですが、ガヤトリの実習者達は、蓄積してきた霊的な気づきのおかげで余裕を持ってそれに向き合います。
ガヤトリの勤行は、危機を避け特定の望みを叶えます。
そしてその結果はしばしば驚くべきものです。
完璧な闇、間違い、心配、怖れが蔓延しているところに聖なる光が現れたかのように絶望が希望に満ちた状況に変わり、難しい仕事が簡単に済むようになるのが観察されています。
それは叡智の母・ガヤトリの恩恵です。
(42ページ)
ガヤトリの実習者は小さな努力で、高い極みのゴールに到達します。
それは覚醒した行者が厳しく長い期間の苦行を経て獲得するものと同じです。
省4
241
(2): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:34 ID:DI8yX5ok(1) AAS
>>240
> きちんと内容を把握したうえでレスしてくださいね?
>
> 普通の人々は災難と出会った時に避けられない運命だとただ泣くばかりですが、ガヤトリの実習者達は、蓄積してきた霊的な気づきのおかげで余裕を持ってそれに向き合います。
> ガヤトリの勤行は、危機を避け特定の望みを叶えます。
> そしてその結果はしばしば驚くべきものです。
> 完璧な闇、間違い、心配、怖れが蔓延しているところに聖なる光が現れたかのように絶望が希望に満ちた状況に変わり、難しい仕事が簡単に済むようになるのが観察されています。
> それは叡智の母・ガヤトリの恩恵です。
> (42ページ)
> ガヤトリの実習者は小さな努力で、高い極みのゴールに到達します。
省8
242
(1): 2022/04/14(木)14:41 ID:0TJhVxQx(18/39) AAS
>>241
失礼ですが理解されているとはお見受けできませんね
数えきれないほどの人のガヤトリに対する信仰と想いは、目に見えない領域に潜在的な力としてそのまま残っています。
過去のガヤトリの信仰者によって創られた階段の助けを借りて、私達はやすやすとガヤトリの行の果実を手に入れる事ができます。
過去の偉大な探求者達が極限的な厳しい修業で得たものと同じくらいの恩恵をガヤトリの勤行をすることにより、急速かつ自然に受け取る事ができます。
ガヤトリマントラほど強力なエネルギーを保持するヴェーダのマントラはありません。
それゆえに小さな努力によるガヤトリの勤行を通して、大きな利益が得られるのです。
243
(1): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:42 ID:xgwNVSqt(1) AAS
よわふぎ
>>242

> >>241
> 失礼ですが理解されているとはお見受けできませんね
> 数えきれないほどの人のガヤトリに対する信仰と想いは、目に見えない領域に潜在的な力としてそのまま残っています。
> 過去のガヤトリの信仰者によって創られた階段の助けを借りて、私達はやすやすとガヤトリの行の果実を手に入れる事ができます。
> 過去の偉大な探求者達が極限的な厳しい修業で得たものと同じくらいの恩恵をガヤトリの勤行をすることにより、急速かつ自然に受け取る事ができます。
> ガヤトリマントラほど強力なエネルギーを保持するヴェーダのマントラはありません。
> それゆえに小さな努力によるガヤトリの勤行を通して、大きな利益が得られるのです。
↑↑↑↑↑↑
省2
244
(1): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:43 ID:0TJhVxQx(19/39) AAS
人生でガヤトリの行が始まると、心はゆっくりと確実にその方向に導かれ、何らかの理由によって中断せざるを得ない場合は行をまた行いたいという強い欲求が起きてくるようになるのです。
そして苦難や困難や困窮という結果には決してなりません。
(129ページ)
245: アルファラジュ 2022/04/14(木)14:44 ID:uMnDdt3p(1/3) AAS
>>244

> 人生でガヤトリの行が始まると、心はゆっくりと確実にその方向に導かれ、何らかの理由によって中断せざるを得ない場合は行をまた行いたいという強い欲求が起きてくるようになるのです。
> そして苦難や困難や困窮という結果には決してなりません。
> (129ページ)
↑↑↑↑
ほらまた脳内停止のコピペ発作

逃げ回るなよキチガイ
246
(1): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:45 ID:0TJhVxQx(20/39) AAS
ガヤトリの実習者は、ガヤトリの女神が喜ぶ形で「プラサード(おさがりとして配る神に捧げた 砂糖菓子・霊的な成長を望む道へと方向転換する事が一番のプラサード)」を配ることを 誓ってください。 この動機を持って信心と善の種を蒔いている人に、ガヤトリの勤行の秘密を 伝えてください。 霊的な向上心の重要性がわかっていない人には、ガヤトリの行によって得られる物質的な 利益を説くといいでしょう。 そうやって行の道に入った者は、最初は世俗の欲望を満たすために母なるガヤトリに救いを求める でしょうが、最終的には霊的に成長するために勤行をするようになるでしょう。 列車のスピードが遅かったとしても、ちゃんとレールに乗っていればいつかは最終目的地に着くのです。
247: アルファラジュ 2022/04/14(木)14:45 ID:0TJhVxQx(21/39) AAS
ガヤトリの実習者は、ガヤトリの女神が喜ぶ形で「プラサード(おさがりとして配る神に捧げた 砂糖菓子・霊的な成長を望む道へと方向転換する事が一番のプラサード)」を配ることを 誓ってください。 この動機を持って信心と善の種を蒔いている人に、ガヤトリの勤行の秘密を 伝えてください。 霊的な向上心の重要性がわかっていない人には、ガヤトリの行によって得られる物質的な 利益を説くといいでしょう。 そうやって行の道に入った者は、最初は世俗の欲望を満たすために母なるガヤトリに救いを求める でしょうが、最終的には霊的に成長するために勤行をするようになるでしょう。 列車のスピードが遅かったとしても、ちゃんとレールに乗っていればいつかは最終目的地に着くのです。
248
(1): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:49 ID:uMnDdt3p(2/3) AAS
>>246

> ガヤトリの実習者は、ガヤトリの女神が喜ぶ形で「プラサード(おさがりとして配る神に捧げた 砂糖菓子・霊的な成長を望む道へと方向転換する事が一番のプラサード)」を配ることを 誓ってください。 この動機を持って信心と善の種を蒔いている人に、ガヤトリの勤行の秘密を 伝えてください。 霊的な向上心の重要性がわかっていない人には、ガヤトリの行によって得られる物質的な 利益を説くといいでしょう。 そうやって行の道に入った者は、最初は世俗の欲望を満たすために母なるガヤトリに救いを求める でしょうが、最終的には霊的に成長するために勤行をするようになるでしょう。 列車のスピードが遅かったとしても、ちゃんとレールに乗っていればいつかは最終目的地に着くのです。
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ワンパターンのコピペ発作

早く死ね
249
(1): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:50 ID:0TJhVxQx(22/39) AAS
>>243
真面目に話す気がないのなら出てって頂きたい

声と聴覚は脳内で密接に関わっています。「聴覚のフィードバック効果」といって、オーセンティック・ヴォイスを出せるようになると、みるみるうちに現実に変化が起きると言います。
声によって健康面はもちろんのこと、性格から容姿まで変わってしまうそうですから、決して「声の力」を侮ってはいけません。そうした変化が起きるということは、声が人間の意識の深いところにまでつながっている証しなのではないかと私は思います。
なぜ念仏を称えるだけで「無の境地」になれるのか 「声の力」を最大限に利用して、みずからの宗教体験を深めた人として私が想起するのは、鎌倉時代に専修念仏を広めた法然上人です。 私はもともと禅宗の僧侶だったのですが、法然さんの日本思想史上における大きな働きに注目して、アメリカ留学中に法然研究を始めました。禅のほうでも、何時間も坐禅を続け、禅定が深まってくると、幻視体験が起きることがあるのですが、すべて魔境、つまり幻覚として否定されます。
ところが、法然さんは自分の念仏信仰の核心に幻視体験を据えていました。私はなぜそんなことが起きるのか、その理由を探り続けたのですが、その結果、彼が実践していた口称念仏には「声の力」が重要な位置を占めていることに気づきました。法然以前、平安時代にも念仏行者はいたのですが、たいていは観相念仏、つまり心の中で念仏を称え、阿弥陀の姿を想像するというやり方だったのです。
私は最初、極めて単純な念仏を口で称え続けるだけで、なぜ法然さんが深い神秘体験が持ったのか、不思議に思いました。しかし、単純な言葉を反復することにこそ、大きなポイントがあったのです。よく知られていることですが、マラソン選手は走っているうちにランナーズ・ハイになることがあります。
同じように水泳選手も、泳いでいるうちにスイマーズ・ハイになることがあります。それは単純な動作を反復することによって、意識の状態が変わっていくことを示しているように思われます。
250: アルファラジュ 2022/04/14(木)14:53 ID:uMnDdt3p(3/3) AAS
>>249
> 真面目に話す気がないのなら出てって頂きたい
>
> 声と聴覚は脳内で密接に関わっています。「聴覚のフィードバック効果」といって、オーセンティック・ヴォイスを出せるようになると、みるみるうちに現実に変化が起きると言います。
> 声によって健康面はもちろんのこと、性格から容姿まで変わってしまうそうですから、決して「声の力」を侮ってはいけません。そうした変化が起きるということは、声が人間の意識の深いところにまでつながっている証しなのではないかと私は思います。
> なぜ念仏を称えるだけで「無の境地」になれるのか 「声の力」を最大限に利用して、みずからの宗教体験を深めた人として私が想起するのは、鎌倉時代に専修念仏を広めた法然上人です。 私はもともと禅宗の僧侶だったのですが、法然さんの日本思想史上における大きな働きに注目して、アメリカ留学中に法然研究を始めました。禅のほうでも、何時間も坐禅を続け、禅定が深まってくると、幻視体験が起きることがあるのですが、すべて魔境、つまり幻覚として否定されます。
> ところが、法然さんは自分の念仏信仰の核心に幻視体験を据えていました。私はなぜそんなことが起きるのか、その理由を探り続けたのですが、その結果、彼が実践していた口称念仏には「声の力」が重要な位置を占めていることに気づきました。法然以前、平安時代にも念仏行者はいたのですが、たいていは観相念仏、つまり心の中で念仏を称え、阿弥陀の姿を想像するというやり方だったのです。
> 私は最初、極めて単純な念仏を口で称え続けるだけで、なぜ法然さんが深い神秘体験が持ったのか、不思議に思いました。しかし、単純な言葉を反復することにこそ、大きなポイントがあったのです。よく知られていることですが、マラソン選手は走っているうちにランナーズ・ハイになることがあります。
> 同じように水泳選手も、泳いでいるうちにスイマーズ・ハイになることがあります。それは単純な動作を反復することによって、意識の状態が変わっていくことを示しているように思われます。
↑↑↑↑↑↑
省2
251
(1): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:54 ID:0TJhVxQx(23/39) AAS
>>248
あなたはいったい何を仰ってるのですか?

私も比叡山で修行中に、この不動明王真言を毎日、千遍唱えさせられました。念珠を繰りながら唱えるので、確実に千遍唱えます。
あまりに激しい修行のため、いつも疲労困憊していたのですが、なぜか毎回のように七百遍ほど唱えたあたりから、自分の意識が突然変わるのを感じました。それまでの睡魔や疲労感などが完全に消え、極めて透明な世界に入っていくのです。
坐禅とは異なり、真言読誦は両眼を開けたままやるので、同じお堂の中で誰が何をしているか、はっきりと見えているのですが、何も気にならないのです。
私はそれまで、いわゆる不動心というのは、どんな境遇においても確固不動たる心のことだと思っていました。
しかしその経験を通じて、不動心とはそうではなく、一切の感情に妨げられない透明な心のことだと確信しました。禅でいう「空」や「無」などがどんな境地であるか、体で納得できたのです。それを沈黙の坐禅ではなく、「声の力」によって体験できたことに、新しい発見がありました。
それは不思議な体験でした。同じ言葉を機械的に反復して唱えるだけで、そんな境地になるのです。天台密教では、不動明王真言以外にも、何百と唱えるべき真言があります。しかし法然さんは、その中からナムアミダブツという念仏だけを選び出し、それだけで救いの必要十分条件を満たすと考えたのです。
神仏の「おかげ」は、気のせいではなく、確かな根拠があるものだと私は考えています。平均年齢が25歳前後と推測されていた鎌倉時代において、法然上人80歳、親鸞聖人90歳という驚くべき長寿が全うされたのも、ひとえに「声の力」によるものではなかったかと思われるのです。
「人生100年時代」と言われるようになりましたが、医療環境も栄養状態も整っている現代においては、普段から「命の声」を出していれば、100歳という長寿も珍しいことではなくなるような気がします。 宗教的なことだけではなく、詩吟、長唄、謡曲、コーラスなどを趣味にしておられる方も、発声の仕方に意識を向けることによって「命の声」が回復され、身心の健康増進に確かな効果があるのではないかと思います。
省1
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