青のミブロ 1 (501レス)
上下前次1-新
474(1): 警備員[Lv.8][新芽] (ワッチョイ 97de-S3rH) 11/25(月)02:05 ID:dwMoR0uo0(1) AAS
>>473
禄は公に奉公したときに貰えるもの
新選組の誕生「会津藩御預 新選組」
1863(文久3)年2月4日、幕府の募集策によって小石川伝通院に300人近い浪士たちが集まった。この中には、のちの新選組の中心メンバーとなる天然理心流近藤道場の近藤勇をはじめとする土方歳三、井上源三郎、沖田総司ら、また、芹沢鴨を中心とする水戸派の浪士たちの姿もあった。予定より多く参加があったため禄位が減ることに対して不満をもった一部を除いて、残った240名余りは中山道を京都へ向かう。
上洛後の2月29日、浪士たちに対し、清河八郎は、一転、浪士募集の本来の目的と異なる主張をする。大勢はこれに従い江戸に帰還したが、近藤勇の一門と芹沢鴨一派らは、将軍の警護の目的で参加したのだ、と主張し、京都への残留を希望し、清河と対立する。「しいて江戸にたたれるにおいては、われらは同志※13名だけは京にのこり申す」(末記)という芹沢に対し、清河は怒り、畳を蹴って席を立ったという。
たとえ幕府から禄位はなくとも、という覚悟で、芹沢と近藤は鵜殿に京都残留を願い出る。「私共の体がどのようになっても京師に止まりたいと申し上げると、鵜殿鳩翁は関心を寄せ、すみやかに松平肥後守殿(容保)にその旨を達した。肥後守は大いに喜ばれ、これまでどおりに経費を下され、※14人の者は京師に止まるよう御沙汰された」(浪士文久報国記事)と、容保公から京都守護職預かりの肩書きをもらい3月12日、ここに新選組の前身である「壬生浪士組」が誕生したのである。
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 27 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.004s