[過去ログ] 日本人どこから来たんだ?15 (881レス)
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708
(1): ドレミ ◆YeeMODUSQg 2010/07/24(土)22:04 ID:cMAFapfT(3/7) AAS
>>702
中国人は江南倭人説は認めていないけど、残念ながらこっちは拒絶反応が無いもので・・・
多分、日本でも「雲南殺人祭り」があって、先住民が滅んだんだー!わーお!っぽい感覚ではないかと。

大涼山のほうの話題は気が滅入るので・・・ 
1930年代の四川・雲南の辺境の写真があると聞いて探してみたら
外部リンク[htm]:www.peopleschina.com
これは、今のチベット族嘉戎人と近縁の阿バ州の理県付近で確定でしょう。
画像リンク[jpg]:www.peopleschina.com
庄学本
外部リンク[php]:zhuangxueben.artron.net
省6
709
(1): 2010/07/24(土)22:05 ID:4Xk33hTY(6/8) AAS
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>707
【金沙遺跡で日本の神社建築のルーツを発見=祭祀用の高床式建物―四川省成都市】
>祭祀を取り仕切る蜀王だけが登ることを許されていたと推測されている。
>中国の古代建築物の専門家、楊鴻[員力](ヤン・ホンシュン)教授は
>この建物を「古蜀大社」と名付け、日本の神社の原型だと述べた。

古蜀大社はすなわち古代イ族の神社で、日本の神社の原型なんだお〜(^0^)/
710: 2010/07/24(土)22:10 ID:CLeksyOO(1) AAS
>>696
津軽海峡は最浅140mなので
最終氷期でも日本海は津軽海峡で太平洋と繋がっていた
塩水だったと思われるので湖と言うより地中海のような海だろう
711
(1): ドレミ ◆YeeMODUSQg 2010/07/24(土)22:17 ID:cMAFapfT(4/7) AAS
>>707
これ>>505からすると、日本も最初はインディカ米(長粒米)じゃないと辻褄があわないですね。
中国大陸で、ジャポニカ米は東北大米と呼ばれる傾向があり、今は黒龍江省が主な生産地です。
准河以南の60年前の農業では、(文献上は)長粒米の栽培が主流です。

よって自分的には、稲作文化の担い手は、室韋(しつい)か扶余(ふよ)のほうが、辻褄があう気がするんですよ。
これは、あくまでも、LUNAMASKさんみたいにジャポニカ米にこだわる場合からでる結論です。
日本の古代の栽培種がインディカ米(長粒米)という前提ならば、タイ系民族があり得るのではないかと思います。
712
(7): 2010/07/24(土)22:38 ID:Nvs1IcHj(1) AAS
「縄文人」について、ちと参考までに。

『縄文文化は東アジアの中で孤立してはいないし、むしろ東アジア的世界の一翼を担っていたとも言える。しかし、一方で日本列島
独自の展開を見せていることも事実である。そして幸か不幸か現代の日本国の領土とおおよそオーバーラップしているので
あるが、それはあくまで結果として一致しているのである。--(略)---少なくとも研究をする上で、日本列島周辺と比較することは重要
である。縄文時代に日本列島の範囲を示す文化要素の存在は、縄文文化の範晴を示すものとして、 「縄文式」土器の概念(日本列島
各地の縄文土器型式が列島外とは一線を画して、相互に結び付き合って一つのまとまりを示していて、これらの土器型式群の総称
として縄文式土器、縄文土器がある)として設定しうることを、土器型式以外の要素から証明することにつながると私は考える。』
---「文化としての縄文土器型式」 川崎保著 P187より一部抜粋

>日本列島各地の縄文土器型式が列島外とは一線を画して、相互に結び付き合って一つのまとまりを示していて、
>これらの土器型式群の総称として縄文式土器、縄文土器がある
省22
713
(1): 2010/07/24(土)22:40 ID:4Xk33hTY(7/8) AAS
わぉ〜わぉ〜、ドレミたん!!
>>711
ジャポニカ米には温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカがあるんだお〜

外部リンク:ja.wikipedia.org
>ジャポニカイネの起源がインドネシアやフィリピンなど東南アジアにあり、
>ジャポニカ稲の起源には「中国長江説」や「アッサム(インド)雲南(中国)説」がある
714: ドレミ ◆YeeMODUSQg 2010/07/24(土)22:56 ID:cMAFapfT(5/7) AAS
>>713
それ、ヒンディー語の記事とかないから、インドの研究成果を見ないとわからんですよ。
稲がインドに自生していたのは事実っぽい。
アッサム起源説といっても、現地のインドではどう言っているのか気になるところです。

雲南のは、「香米」といって、黒龍江省のとはまた別の短粒米です。
平地のマラリア蚊ぶんぶんのところで栽培するのではなく、棚田で栽培する種類です。
これは、アッサムの種類に近いらしいです。しかも、犂による農耕とセットです。

だから、このへんは結論を急がないで、インドのほうの文献を読むべきではないでしょうか?
715
(1): 2010/07/24(土)23:01 ID:4Xk33hTY(8/8) AAS
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
ついでにドレミたん!!
>>601

>>601の九州に上陸した装飾古墳文化人は、どの民族が渡来したと考えているのかな??
九州の装飾古墳
外部リンク[php]:kyuhaku.jmc.or.jp
イ族のお姉さん
外部リンク[cgi]:www.china-world.info
716: ドレミ ◆YeeMODUSQg 2010/07/24(土)23:06 ID:cMAFapfT(6/7) AAS
>>715
今のところ保留中。目玉模様は1930年代の写真にあまり残っていなかった。
717
(1): 白馬青牛 ◆8mr41B7alChB 2010/07/24(土)23:18 ID:ET0w6Air(1/2) AAS
>>681
江上氏の騎馬民族征服王朝説のどこにカビが生えとるんですか?
江上氏は世界史的視点から日本も北方民族が支配したと、あたり前の
ことを云われただけじゃけど。天皇朝鮮説を中国のメディアが唱えたと
あんたが判断したんはどの記事か提示せにゃあ。
@の日中韓同祖論なら、篠田氏の見識に当てはまるでしょう。(笑)
Aの中国が父としとるんは、朱子学派の慕夏主義ネット右翼の思考法
でしょうに。韓国が兄じゃの、韓国に僻み嫉妬が強い嫌韓ネット右翼の
脳内妄想でしょう。
B普通の日本人は、天皇家の権威を重んじとるんかね?戦前の日本でも、
省9
718
(2): 白馬青牛 ◆8mr41B7alChB 2010/07/24(土)23:50 ID:ET0w6Air(2/2) AAS
>>683
マラリア耐性とは、例えば人が南方へ移住して環境によって何世代で
耐性抗体が出来るとか、研究内容があるんでしょうか?
モンゴル人が高地しか移住してない原因をマラリアに対する抗体が
継続的に弱いという遺伝生物決定論の優生学に誤解される危険が
あるでしょう。雲南でもモンゴル人が水稲農耕地帯に適応したことは、
間違い無いですし、マラリア地域なら適応せんと云うんは疑問じゃと
思いますけどね。モンゴル人も現地の生活様式風土に影響されるよう、
環境が重要じゃと思いますよ。
外部リンク[html]:www.asia-photo.net
省2
719
(2): ドレミ ◆YeeMODUSQg 2010/07/24(土)23:59 ID:cMAFapfT(7/7) AAS
>>718
興蒙人に関しては、言語からの自動識別で蒙古族なので
よくわからない点があります。
食文化と抗体の活性化が関係があるといわれていて
あまり遺伝生物決定論的には論じられていません。
マラリア耐性のゲノム地図を見つけようとか動きがありません。
720
(1): 2010/07/25(日)00:09 ID:5YxgygHq(1) AAS
日本を席捲した騎馬民族が、100年後の朝鮮出兵では歩兵でのみ
渡海したという不思議。
ま、どうせああ言えばこう言うの屁理屈並べるんだろうけど。
721
(2): 白馬青牛 ◆8mr41B7alChB 2010/07/25(日)00:16 ID:24A6pppw(1/4) AAS
>>704-705
稲作文化と海部族は関連が薄いよ。日本の漁撈地域は、段々畑の畑作や
平安期頃なら牧畜複合した文化要素が強いよ。イ族は湖と関連しても、
沿岸文化とは関わりが無いね。
>>708
カムパもギャロンも全体的に北方形質の方が多いでしょう。雲南のチベット
・ビルマ系は一部に北方形質があっても、全体的には南方形質が強いで
しょう。
>>709
高床式なんか北方でもあるものを無理に南方誘致する必要も無いと思う
省5
722: 2010/07/25(日)00:34 ID:7SoAnp5k(1/5) AAS
>>721
>典型的鎖国史観じゃね。

では、典型的鎖国史観ではない「君」が考える、
縄文人の定義を提示してみてよw
723
(1): 白馬青牛 ◆8mr41B7alChB 2010/07/25(日)01:02 ID:24A6pppw(2/4) AAS
>>719
言語なんか、漢化が進めば漢化するでしょう。
自動識別の範囲は曖昧ですからね。民族においてもどこまで
モンゴル人とするかの問題になります。アフガンのモゴール族や
カルムイク・モンゴル族とモンゴル遠征軍の子孫とされる人たち
の分類も困難になりますね。チャガタイのモンゴルはトルコ人に
なったんですし、逆にカルムイクの先祖がオイラート・モンゴル
とすれば、サモエード語、トルコ語を話す民族がモンゴル化した
ことになりますから民族としてモンゴル族と自動識別でしょう。
ケルト系のスコットランド人やウェールズ人がケルトのゲール語や
省6
724: ドレミ ◆YeeMODUSQg 2010/07/25(日)01:07 ID:d/3w1YxI(1/3) AAS
>>719 自己レスです。
よくわからない点=雲南西部へのミャオ族進出時期とモンゴル帝国が一致していること。
モンゴル人も、ミャオ族の柔軟な現地適応力の知恵を学習しているはずです。
だから、テン王国とか南詔の時代とは全然ナレッジベースが違います。
ミャオ族には、父系同姓婚姻不可であるため、移転をしてしまった場合
嫁は現地人を迎えなければならず、娘は現地人と結婚する。
現地人の免疫系が母乳によって素早く獲得できるのと、現地の食文化の取り入れも早くなる。

免疫系の活性化は、母乳に重要性があり、徳川家光の乳母に春日局が選ばれたのは
疱瘡の既往歴があったからだといわれています。
725: 2010/07/25(日)01:09 ID:7SoAnp5k(2/5) AAS
>>712を、ちと訂正。

>土器型式群を基に考察すれば日本列島各地の土器型式は「列島周辺外」とは一線
>を画していて、「列島周辺外」と"同一文化圏"を形成することはないのである。

×列島周辺外
○列島外
726
(9): 2010/07/25(日)01:16 ID:w2cZFAeF(1/2) AAS
器物のことなんか殆ど分らんのに何処にでも口出す馬鹿がおるのう。あんた
の皮相的な批判(たとえば土器について、あんたが語るときよく持ち出すの
が中世の草戸千軒や土器は流通圏とかいう、ずれた話じゃが)に終始する
んなら、無理して話題に入らんほうがええぞ。

>>712を読んで「土器は流通圏で中世の草度千軒のように、中国陶器が出土
したら、広島県の備後は中国人云う電波の逆バージョン」みたいだというんが
あんたの理解なんじゃとしたら、実に浅い話だのう。わらけるわい。
理解力も持ち合わせてないんに、わざわざしゃしゃり出る必要もなかろうに。

現実的に縄文時代を通じて、大陸との関係を物語るような文物は、極めて
少ないんじゃ。例えば草創期の石器群や土器、石刃鏃、ケツジョウ耳飾、
省7
727
(1): 2010/07/25(日)01:24 ID:w2cZFAeF(2/2) AAS
「土器は流通圏で中世の草度千軒のように中国陶器が出土したら、
広島県の備後は中国人云う電波」

なるほどのう。そういえば埴輪の服装が胡服じゃから、古墳期に
北方民族が大量渡来したんじゃと抜かしとった馬鹿もおったのう。
明治期以降の日本人の服装は洋装が主流になるが、これもなんとか
民族の大量渡来かのう
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