飛鳥時代辺りの神社 古神道 (148レス)
飛鳥時代辺りの神社 古神道 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1539598195/
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85: 出土地不明 [] 2018/11/19(月) 10:20:49.26 ID:A+crthwN 弥生時代後期の弥生人骨は、弥生時代中期までの長江系ではなく、華北・朝鮮系の渡来系だった 2018年11月18日 ◇青谷上寺地遺跡 ◇DNA分析 後期、盛んな交流 鳥取市青谷町の青谷上寺地遺跡で見つかった弥生時代後期の人骨について、 県埋蔵文化財センターや国立科学博物館などが実施しているDNA分析調査の中間報告会が17日、 同町の市青谷町総合支所で開かれた。大半の人骨のルーツが大陸からの渡来系だったといい、 同博物館の篠田謙一副館長は「日本人の成り立ちを知る重要な手がかりだ」と話す。(河合修平) 遺跡からはこれまでに約5300点の人骨が出土。調査では、頭蓋骨約40点から微量の骨を削り取り、 DNA分析を行っている。報告会では、母から子へ受け継がれるミトコンドリアのDNA配列を分析し、 母系の祖先をたどった調査結果を篠田副館長が説明。市民ら約130人が聞き入った。 篠田副館長によると、九州北部の遺跡から出土した弥生前期の人骨の分析では、 在来の縄文系と渡来系の遺伝子が見つかった。当時の人が両方の祖先を持っていたことを示しており、 青谷上寺地遺跡の人骨についても、両方の遺伝子が検出されると予想していたという。 しかし、今回DNAを抽出した人骨32点のうち、31点が渡来系で、縄文系は1点だけ。 DNAの型は29種類に分かれ、血縁関係がほとんどないことも分かった。 青谷は遺跡の発掘調査から、大陸などとの交易拠点だったと考えられており、分析からも、 多くの渡来人が入ってきて、交易で栄えていたことがうかがえるという。 また、従来の研究では、稲作の普及や定住生活の広がりに伴って 弥生後期には日本人の中に渡来系と縄文系が交ざっていたと考えられていた。 しかし、今回の調査結果は定説に当てはまらず、篠田副館長は「これまでの説について 発展的に考える契機になる」と述べた。 https://www.yomiuri.co.jp/local/tottori/news/20181117-OYTNT50025.html 弥生人と言われていた民族も弥生前期は二重瞼の長江系、弥生後期は一重瞼の朝鮮系で、別民族。 一重瞼の天皇一族は勿論朝鮮系ですね: 従って、天皇は O2 で間違いない http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1539598195/85
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