[過去ログ] 【謎】考古学初心者雑談4【解明】 (899レス)
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24: 2019/01/08(火)12:23 ID:AlMUhXRU(1/8) AAS
確かに、現代の技術で5ミリ未満の厚さの銅鐸を鋳造するのは極めて困難なことは事実であるが、
小型や中型の銅鐸であれば数回の試行で厚さ2、3ミリのものを再現できるし、
大型のものでも数十個に1、2個と成功率は低くなるが決して不可能ではない。
要は作業回数など、時間や手間の無駄が多くなるので、現代の優れた鋳造職人の方にも当時の技法での復元が難しいっていう話・・・。
流石に本業をほったらかして、銅鐸の復元だけに、貴重な労力と時間を費やすのは、経営や生活が成り立たなくなるから、その意味では不可能と言えるかも・・・。
それにしても、銅鐸が古代の簡易天文観測装置であったなら、なぜ古代の人たちは、鋳造した銅鐸を、2〜4ミリの厚さにこだわったんでしょう?。
ある程度の厚みを持たせたほうが剛性あって、持ち運びや据え置いての観測にも
耐久や安定あって都合がよさそうですが・・・。
銅鐸の厚さは楽器としてなら、音や響きかたに影響が大きくなるので、厚みや薄さにこだわるのは当然ですが、
天文観測の精度やカレンダーの機能に、銅鐸の厚さ薄さは関係ないでしょう?。
25: 2019/01/08(火)12:24 ID:AlMUhXRU(2/8) AAS
はやし浩司センセーは、動画の中で森浩一氏が平成9年に行った講演から、
「現在のトップ技術で作っても厚さが分厚い物しかできないのです。今度、加茂岩倉遺跡で出土した一番いい銅鐸は2ミリです。現在2ミリで全部鋳物で仕上げる技術はありません。」とか
「弥生人の持っていた技術力は今の新幹線が走っている時代のトップレベルの科学者達でも、物によるとたちうちできないくらい高かったのです。」
なんて引用しているが、森浩一氏が同じ講演の中で、佐原真氏が提唱し、現在の主流となっている「大型化した銅鐸は『見る銅鐸』である。」という説に疑問をしめし、
鰭の薄い大型銅鐸でも吊り下げることが可能であったことから、
「大型の銅鐸も音を鳴らす用途があった」というような話をされているのはご存じなのでしょうか?。
銅鐸と日本文化(銅鐸の用途)
外部リンク[htm]:www.manabi.pref.aichi.jp
26: 2019/01/08(火)12:26 ID:AlMUhXRU(3/8) AAS
森浩一氏の講演録「銅鐸と日本文化」
外部リンク[html]:www.manabi.pref.aichi.jp
森浩一氏が、講演の中で紹介している三宝伸銅の久野雄一郎氏は、講演の中でも触れられているが、
従来の「銅鐸や銅鏡の原材料は朝鮮半島から輸入されたもの」とする説に対し、
銅鐸や銅鏡に用いられた銅や鉛が、国産のものであったとする新説を唱えた人物である。
(ちなみに、下の動画で演奏に使われている銅鐸は三宝伸銅が造った復元品である。)
銅鐸演奏/土取利行 Toshi Tsuchitori play Ancient Japanese bronze bell DOTAKU
ototatchinuru18
動画リンク[YouTube]
「青銅器の考古学」や「銅鐸の復元研究」などを著した久野邦雄氏 (久野雄一郎氏の実弟) は、復元した銅鐸を使って音響工学的実験を行い、
省14
27: 2019/01/08(火)12:34 ID:AlMUhXRU(4/8) AAS
銅鐸の復元は、きわめて困難なことではあるが、採算性やコストを度外視して、時間や手間を惜しまず失敗を怖れず、試行錯誤・トライ&エラーを繰り返せば、不可能ではない。
弥生・土製鋳型を造る「須玖タカウタ遺跡 土製鋳型再現実験」春日市
動画リンク[YouTube]
平成23年12月20日 モノづくりのルーツに迫る〜鬼虎川遺跡出土の鋳型から銅鐸を復元 | 東大阪市
外部リンク[html]:www.city.higashiosaka.lg.jp
上田合金 よみがえった弥生時代の銅鐸 鬼虎川遺跡 ものづくりのまち
techplazaHGSosaka
動画リンク[YouTube]
銅鐸復元 〜鋳造〜 教育工学委員会、2016年02月29日 itsumi.citykobe.jp/201602doutaku/
外部リンク:itsumi.citykobe.jp
省3
28: 2019/01/08(火)13:46 ID:AlMUhXRU(5/8) AAS
2856【02再】 Horse shaped Haniwa as Robot Vehicle Theory 日本の馬型埴輪はETたちの乗り物であった説by Hiroshi Hayashi, Japan
動画リンク[YouTube]
>あのアインシュタインは、こう書き残しています。
>イマジネーション、つまり創造的にものごと空想することは、知識よりも重要である、と。
>いわく「空想することは知識より重要である。
>なぜなら知識というのは、私たちが現在知っていることか、理解していることに限られる。
>一方、空想することによって、人は世界を限りなく広げることができ、
>そして、その世界にはさらに知るべきもの、理解すべきもの、すべてが隠されている」と。
想像するのは、個人の自由だが、個人的な想像だけで、現実や事実を覆したり否定できると思っているなら、それは間違っている。
先ず、現代の科学や学問の世界では、空想が事実と認定されるには証拠が必須、
省13
29: 2019/01/08(火)18:52 ID:AlMUhXRU(6/8) AAS
2856【06再】 They are NOT Humans+King Tut and his Families ツタンカーメン王と家族+彼らは人間ではなかったby Hiroshi Hayashi, J
動画リンク[YouTube]
ツタンカーメン王や彼の家族や親族の病的な身体的特徴は、近親婚による遺伝子疾患によるものとは思わないのかな?
例えば遺伝子疾患のひとつ、マルファン症候群は、発症者の特徴として、
異常に細く長い手足や指、長身痩躯の体型、皮下脂肪が多くなって筋肉や脂肪のつき方が、一般人に比べアンバランスになること、
また、眼球の水晶体変異なども特徴として、よく顕れる。
これらの特徴の多くは、ツタンカーメン王や彼の家族の身体的特徴と合致する。
アクエンアテンは、円錐形の眼球を持つと伝えられたり、描かれたりしているが、これをマルファン症候群による水晶体変異の可能性を指摘する研究者もいる。
マルファン症候群 - Wikipedia
外部リンク:ja.wikipedia.org
省3
31: 2019/01/08(火)22:37 ID:AlMUhXRU(7/8) AAS
木村和則
銅鐸と銅矛がセットで、かつ、天文観測器(カレンダー)説は、最も納得のいく説だと思います。素晴らしいです。
一方現代の日本の考古学は、縄文時代をシャーマニズムに結び付け過ぎでは?と感じました。
当時は決して未開ではなく、現代と同様に科学的・現実的だったのかも。
前方後円墳やピラミッドも、人々の生活に密着した、現実的なものなのかもしれませんね。
Hiroshi Hayashi
銅鐸=鐘、銅矛=短剣説が崩れるのは時間の問題かと思います。
動画リンク[YouTube]
縄文系民族の末裔とも言われている、アイヌや琉球に「トゥスクル」や「ユタ」といったシャーマンが存在するところを見ると、
縄文時代とシャーマニズムやアニミズムといった精霊信仰とを結びつけるのは、さほどおかしな話ではない。
省5
32: 2019/01/08(火)23:13 ID:AlMUhXRU(8/8) AAS
銅矛じゃあなく銅戈(どうか)が、銅鐸と一緒に出土した例は、いくつかある。
198:弥生時代の「銅戈」2本出土(長野県) ( 人類学と考古学 ) - 川沿いの考古学徒の日記 - Yahoo!ブログ
外部リンク[html]:blogs.yahoo.co.jp
しかし、銅戈が約30センチメートル前後、銅鐸が約20センチメートルということで、銅戈を銅鐸の舞の孔に差し込んで天体観測だのカレンダーだのには使いにくいことは変わらない。
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