神武東征=コリアン・コンクエスト (263レス)
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13: 2020/12/26(土)02:42 ID:OZY5s2AB(1) AAS
「飛鳥の原に百済の花が咲きました」 兪弘濬 [著] ; 橋本繁訳

? 百済人、加耶人の移民開拓史

日本に住んだこともなく何の縁もない私が、日本で故郷のように感じる場所がある。
今も日本というと最初に思い浮かぶのは、奈良県高市郡明日香村を中心とした地域、通称飛鳥である。
明日香村は今日ではとても小さな村にすぎないが、もとは大和政権の中心だった。
日本史でいう飛鳥時代を開いた歴史の現場である。日本という言葉が初めて現れたのも飛鳥時代だった。

この飛鳥政権を建設した主役は、推古女王から統治権を委任された聖徳太子と、百済系渡来人と推定される蘇我氏一族であった。
当時、蘇我氏の権力は大変なもので、聖徳太子の母親も蘇我氏の血を引いており、推古女王の母親も蘇我氏だった。
蘇我氏は四代にわたり一〇〇年もの間、大和王朝の大臣となったので、飛鳥時代は蘇我氏の時代であったといえる。
そして、その蘇我氏の力を支えたのは、他でもない、渡来人だった。

飛鳥南側の山裾の、高松塚古墳が眺められる檜隈には、東漢氏と呼ばれる渡来人集団がいた。
彼らは、土木、養蚕、製鉄技術者としての扱いを受けて大和政権に奉仕していたが、蘇我氏の没落とともに徐々に歴史の舞台から消えていった。
しかし、彼らの子孫は絶えることなく「渡来人出身」として、僧侶、技術者、学者、官吏として活躍した。
特に、坂上氏は、東北地方の先住民である蝦夷の征伐に功績を立てた、奈良時代の代表的な武人家門になった。
今もこの村の奥深くには、渡来人の祖先を祀った於美阿志神社が残っている。

七一〇年、大和王朝が都を奈良に遷すとともに飛鳥の栄光は終わり、それから一三〇〇年過ぎた現在では、偉容を誇る寺院も、宮殿跡も、邸宅もない。
しかし、飛鳥を包み込む山裾のあちこちに、飛鳥時代の遺跡がひしめき合っている。それを半日かけて巡るのは、夢の旅路といえる。

韓国人にとっての日本踏査一番地は、やはりここ飛鳥である。
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