長江・江南を提唱する考古学者の論文など一つもない (671レス)
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83
(1): 2022/06/07(火)18:36:23.44 ID:6opbaOQR(2/3) AAS
>>81
自演前科持ちが偉そうにすんじゃねーよ
早く首ククレ
274: 2023/01/21(土)23:59:41.44 ID:wSZ3PS/u(1) AAS
>>255
玦状耳飾は沿海州南部か朝鮮半島から入ってきた説が有力ですよ

都合の悪きは全て朝鮮人の南支那ブタニグロw

弥生遺構の総数は約36000遺構ほどで、そのうち弥生早期の遺構が1/4ほどで、
刻目突帯文土器が席巻した西日本の遺構がその半分以上

ゆえに4〜5000遺構はある訳だが

誤魔化してねえで早く言えよ南支那 半ブタ半黒人
省13
275: 2023/01/22(日)20:47:30.44 ID:mdYSxNt5(1) AAS
>>255
玦状耳飾は沿海州南部か朝鮮半島から入ってきた説が有力ですよ

都合の悪きは全て朝鮮人の南支那ブタニグロw

弥生遺構の総数は約36000遺構ほどで、そのうち弥生早期の遺構が1/4ほどで、
刻目突帯文土器が席巻した西日本の遺構がその半分以上

ゆえに4〜5000遺構はある訳だが

誤魔化してねえで早く言えよ南支那 半ブタ半黒人
省13
371: 2023/04/06(木)20:36:21.44 ID:RqMWpikA(1) AAS
>>367
玦状耳飾は沿海州南部か朝鮮半島から入ってきた説が有力ですよ

都合の悪きは全て朝鮮人の南支那ブタニグロw

弥生遺構の総数は約36000遺構ほどで、そのうち弥生早期の遺構が1/4ほどで、
刻目突帯文土器が席巻した西日本の遺構がその半分以上

ゆえに4〜5000遺構はある訳だが

誤魔化してねえで早く言えよ南支那 半ブタ半黒人
省13
461: 2023/06/09(金)20:16:52.44 ID:nERp7DKF(1) AAS
>>458-459
玦状耳飾は沿海州南部か朝鮮半島から入ってきた説が有力ですよ

都合の悪きは全て朝鮮人の南支那ブタニグロw

弥生遺構の総数は約36000遺構ほどで、そのうち弥生早期の遺構が1/4ほどで、
刻目突帯文土器が席巻した西日本の遺構がその半分以上

ゆえに4〜5000遺構はある訳だが

誤魔化してねえで早く言えよ南支那 半ブタ半黒人
省13
471
(2): 2023/06/14(水)10:09:06.44 ID:eqwLWsHG(1) AAS
一人で連投してる奴誰と戦ってんだよw
こんなやつ早く規制しろよ
536: 2023/07/26(水)21:17:51.44 ID:wkPUjV/u(1) AAS
>>517

玦状耳飾研究はすでに多くの研究史がある。とくにその起源についでは大陸起源説と
日本列島自生説の二つに大別できる。大陸起源説ではおもに江南地方起源説が有力で
あったが、近年では中国東北やロシア沿海州などの北方起源説が注目されてきている。
 筆者はとくに玦状耳飾だけでの研究ではいわゆる「他人の空似」という日本列島
自生説の批判をかわせないと考えていて、これを克服するためにも玦状耳飾と同様な
玉質の石材で作られている装身具をセットとして合わせて研究することによって、
大陸起源説と日本列島自生説のいずれがより合理的であるか、また大陸起源説であれば、
どこのどういう文化の影響のもとに日本列島の玦状耳飾をはじめとする石製装身具の
セットが成立したかを考えている。
省15
551
(1): 2023/08/10(木)11:51:50.44 ID:WPGXIIeQ(2/3) AAS
石器時代に出アフリカの後、日本列島に来た人がいた。
縄文時代のどこかで大陸からやって来た人がいた(細石刃??
その後も一気に大量にじゃなくてちょっとずつ人は来ていた。国境がないのだから。
縄文中期あたりに「倭人」となり、日本海沿岸の人が半島の南部(南端)にも定着した(環日本海文化)6000〜7000年前
この当時、半島は人はあまりいなかった。(5000年前以前の遺跡はあまり見つからない
縄文時代に海を超えた交流があったことは確か。
福井の鳥浜遺跡から出てくるものは交流がないと説明できない。
縄文時代の各地の遺跡からは様々なものが出てくる。
それがすべて「伝わった」ものなのか、独自に発明したものもあるのか。
大豆は昔は大陸から来たと言われていたらしい。
省3
583: 2023/08/25(金)12:39:23.44 ID:wtU/q2wY(1) AAS
>>575
朝鮮半島の隆起線文土器は列島の隆起線文土器とは時代が合わないゆえ
沿海州方面から入っている

朝鮮半島で最も古い時期の新石器時代住居跡からは隆起文土器が出土し、
B.C.6,000 年頃に編年される江原道東海岸の襄陽鰲山里遺跡と高城文岩里遺跡が
これに該当する。
外部リンク[pdf]:www.museum.pref.yamanashi.jp

土器型式の年表 
画像リンク[jpg]:www.jomon-no-mori.jp

特に、本章ではロシア沿海州地域と韓半島中東部地域間の明確な並行関係を確定したことが重要な成果であり、これを通じて鰲山里文化にロシア沿海州地域の影響がどのように現れたのかを具体的に示すことができた。鰲山里類型の時期になると押捺文土器が主体となり、隆起文土器が客体的に存在する点、横方向区画線内に文様を施文し、さらにこれを反復する押捺文土器の文様構成、壺の安定的出土、そして細長方形磨製石鏃の出現など、ロシア沿海州地域との類似した変化が読み取れる。以後、文岩里類型になると押捺文土器施文具での多歯具の盛行、隆起文土器の製作技法、同一個体における押捺文と隆起文の共存、エンドスクレーパの存在という共通点以外にもボイスマン?・2期の土器そのものが出土するなど、ロシア沿海州地域との交流がさらに密になっていたことを明らかにした。
省1
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