【謎】考古学初心者雑談5【解明】 (173レス)
上下前次1-新
31: 2022/05/17(火)21:41 ID:plc38DOo(1) AAS
>>29
オーパーツとは「作られた時代にそぐわない高度な知識や技術による工芸品」のことで
翡翠の加工技術や遠方との交易は縄文時代にあったから、オーパーツでも謎でも無い
32: 2022/05/18(水)13:56 ID:DG1kNX3l(1) AAS
マヤ暦の現存する「最古のカレンダー断片」を発見!
マヤ文明といえば、「2012年に世界が終わる」というマヤ暦の終末論で一躍有名になりました。
当時は、無事に2013年を迎えてホッとしたり、「いや、マヤ暦は新たな周期に入ったのだ」と言われたりで、一喜一憂した人も多いでしょう。
しかし、マヤ文明が高度な技術を誇っていたことは確かであり、今でも考古学的な注目度は非常に高いままです。
そんな中、米テキサス大学オースティン校(University of Texas at Austin)の研究により、マヤ暦の現存する最古のカレンダー断片が見つかった、と発表されました。
省5
33: 2022/05/20(金)15:07 ID:F4SVGPzu(1/2) AAS
メソポタミア文明の神々の壁画、盗掘者を追っていた警察官により偶然発見される。
トルコ南東部の古代の地下施設で、メソポタミアの神々を描いた壁画が発見された。
嵐の神アダド、月の神シン、太陽の神シャマシュ、この地域で豊壌の女神とされていたアタルガティスなど、少なくとも6人の神が描かれている。
今から3000年近く前、当時の世界最大の帝国である新アッシリア帝国が、国境地帯で「ソフトな統治」を行っていたことを示す貴重な発見という。
外部リンク:natgeo.nikkeibp.co.jp
34: 2022/05/20(金)15:16 ID:F4SVGPzu(2/2) AAS
13万年以上前のヒトの歯をラオスで発見、謎の人類デニソワ人か、おそらく少女の奥歯
■やはり東南アジアで暮らしていた? 最新研究
ラオスのアンナン山脈で急勾配の岩場をよじ登ったとき、ローラ・シャッケルフォード氏はあまり期待していなかった。
米イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の古人類学者であるシャッケルフォード氏は、コブラ洞窟と呼ばれる狭い空洞に立ち、地元のモン族の少年が見たという骨を探していた。
懐中電灯をつけて、一見何もなさそうな壁から壁へと光を走らせた。
(以下略、続きはソースでご確認ください)
ナショナル ジオグラフィック日本版 5/19(木) 19:11
外部リンク:news.yahoo.co.jp
35: 2022/05/23(月)12:04 ID:em62wnTN(1) AAS
ストーンヘンジの周りから謎の巨大穴が何百個も見つかる
ただでさえミステリアスな場所の周りに。
イギリスの世界遺産・ストーンヘンジ周辺地域で、人間が丸々入るくらい大きな穴が数百カ所から発見されました。
より小さなものも含めると、その数は数千個に上ります。
その穴の多くは、ストーンヘンジよりさらに数千年も前から存在していると推定されています。
(以下略、続きはソースでご確認ください)
ギズモード・ジャパン 5/22(日) 6:00
外部リンク:news.yahoo.co.jp
36: 2022/05/24(火)23:34 ID:k3tiyyD7(1) AAS
1万年以上前に人類が残した世界最古の石像がトルコ東部で複数発見されている
画像リンク[jpg]:i.gzn.jp
古代の遺跡といえばギザの大ピラミッドやストーンヘンジなどが有名です。
作家のショーン・トーマス氏は1万1000年〜1万3000年前というピラミッドやストーンヘンジよりはるか以前に作られたとされる複数の石像がトルコの東部で発見されたと報告しています。
トーマス氏が報告している古代遺跡はトルコ東部のシャンルウルファ県で発掘されたもので、「Karahan Tepe」と名付けられています。
トーマス氏はKarahan Tepeの中でも印象的な出土品として男性器のような形状の高さ8フィート(約2.4m)の石柱をあげています。
トーマス氏によると、Karahan Tepeは1万1000年〜1万3000年前の遺跡だと推定されているとのこと。これは4000年〜5000年前に建造されたと考えられているギザの大ピラミッドよりはるかに古く、石造建築の遺跡としては世界最古とされています。
省6
37: 卍3286卍ss 2022/05/25(水)13:41 ID:o1hvlMbb(1) AAS
ココで再度。。
日本統治時代の朝鮮の教科書
動画リンク[YouTube]
38: 【B:80 W:74 H:86 (A cup) 149cm/58kg age:30】 2022/05/25(水)20:00 ID:ZL3e3lLZ(1) AAS
縄文時代の大集落跡、実は1000年古かった 鹿児島・上野原遺跡 年代再測定で1万年超前と判明
2022/05/25 07:30
霧島市の上野原遺跡(国指定史跡)の9500年前とされてきた集落跡の年代が、千年古い1万500年前だったことが、近年の研究で明らかになった。年代測定法の進展を踏まえ、中央大学と県埋蔵文化財センターが遺物を改めて測定した。集落跡からはこれまでに52軒の住居跡が出土しており、国内で1万年超前の大規模集落遺跡はほとんど例がない。遺構や遺物を保存・展示する上野原縄文の森は来年度に展示を改装し、年代を修正する。
遺跡の年代は、木炭などの放射性炭素(C14)の残存量で測る。近年、加速器質量分析装置を使うことで、精度が大幅に高まった。測定値と実際の年代のずれを補正する手法も開発され、より正確な年代が測れるようになった。このため、全国の縄文時代の遺跡で、年代の見直しが進んでいる。
上野原縄文の森の堂込秀人園長(64)によると、2020年までに中央大と埋文センターのチームが新方法で測定し直した結果、9500年前の集落跡の遺物は1万700〜1万400年前のものと分かった。
さらに、南九州の縄文人の生活に大きな影響を与えた鬼界カルデラの大噴火の年代も千年さかのぼった。噴出物でできたアカホヤ層は6300年前とされていたが7300年前と分かった。展示館の地層の説明は書き換えたものの、今のままでは「遺跡の年代と矛盾が生まれる」(堂込園長)ことになったという。
省1
39: 2022/05/26(木)16:23 ID:4DyADmCm(1) AAS
アマゾン奥地でこれまで知られていなかった「古代都市」の遺跡を上空からのLIDAR調査で発見 - GIGAZINE
外部リンク:gigazine.net
40: 【B:80 W:60 H:89 (A cup) 154cm/46kg age:18】 2022/05/26(木)18:12 ID:KFlkpwkU(1) AAS
縄文土器から穀物 「弥生」論争波及も 熊本大・小畑教授
熊本大大学院人文社会科学研究部の小畑弘己教授(考古学)らは25日、約3千年前の縄文時代末期にアワなどの穀物が渡来していたことが分かったと発表した。穀物は縄文土器から見つかり、「同時期にイネも来ている可能性が高い。弥生時代の定義の見直しにも波及する可能性がある」としている。
定説では日本での穀物栽培は弥生時代早期に始まったとされるが、詳しい年代は議論が続いている。これまで「縄文時代に始まった根拠」と主張された炭化した米などもあったが、年代測定の結果、後代のものが混入していたことが判明。縄文時代の穀物の存在は十分に立証できていなかった。
小畑教授らは、江辻遺跡(福岡県粕屋町)から出土した縄文時代末期の土器を調査。破片の内部に残る炭化したアワをエックス線CTなどで検出した。取り出して年代を測ると、これまで弥生時代で最も古いとされる炭化した米より、約50〜80年さかのぼる結果が出た。
小畑教授は縄文時代の終わり頃、北部九州の縄文人が朝鮮半島の青銅器文化の人々と接触して穀物を手に入れ、小規模ながら栽培していたと想定。「弥生時代は紀元前9世紀後半から8世紀に始まった、という説の可能性が高まったのではないか」と話している。(園田琢磨)
外部リンク:news.yahoo.co.jp
41(1): 生命体5618 2022/05/27(金)16:43 ID:NosMZQnJ(1) AAS
(・・?なんだろね、これ
画像リンク[jpg]:upload.wikimedia.org
今だ起源も用途も不明、古代ローマの「中空十二面体」の謎
外部リンク[html]:karapaia.com
42: 2022/05/30(月)20:21 ID:wq6xRrBC(1) AAS
完全な太鼓の埴輪が出土、全国初
奈良、古代から形変わらず
画像リンク[jpg]:nordot-res.cloudinary.com
奈良県田原本町の宮古平塚古墳(6世紀前半)から完全な形の太鼓形埴輪が出土し、同町が30日発表した。町によると、太鼓単体を表現した埴輪はこれまでに3例確認されているが、完全な形が残っているのは全国初で最古級。町文化財保存課の渡瀬加奈子技師は「現代と変わらない当時の太鼓の形が分かる貴重な史料だ」と話した。
見つかった埴輪は横置きで長さが28センチ、直径17.5センチの太鼓面が両面にあり、革を留めるびょう(直径1.5〜2センチ)や、革の端を表現した線もあった。
太鼓形埴輪は31日〜8月31日、唐古・鍵考古学ミュージアム(田原本町)で無料展示する。
省1
43: 2022/06/03(金)03:23 ID:eLgpCXSc(1) AAS
マヤのトウモロコシ神の像発見 メキシコ・パレンケ遺跡
【6月2日 AFP】メキシコ南東部パレンケ(Palenque)遺跡で、約1300年前にマヤ(Maya)人がつくったとみられるトウモロコシの神の像の頭部が見つかった。
国立人類学歴史研究所(National Institute of Anthropology and History)が5月31日、発表した。
発見された像は、西を向いていた。同研究所は「最初の太陽光と共にトウモロコシが生まれたということを象徴している」可能性があると説明している。
像は「神が冥界に行くことを模して、池に沈められたささげ物」の一部だったという。
研究者のアルノルド・ゴンザレス・クルス(Arnoldo Gonzalez Cruz)氏は今回の発見について、「トウモロコシの神の誕生と死、復活という神話の流れを、パレンケのマヤ人がどのように追体験していたのかということへの理解が深まる」と述べた。(c)AFP
外部リンク:www.afpbb.com
44: 2022/06/05(日)17:39 ID:jACd8+md(1) AAS
ストーンヘンジの建設者は「寄生虫がいた加熱不足の肉」を食べていたことがうんちの化石から判明
イギリス南部のソールズベリー近郊に位置するストーンヘンジは、紀元前2500〜2000年に建てられた先史時代の遺跡であり、円形に直立した巨石が並ぶ様子は多くの人々を引きつけてきました。
そんなストーンヘンジの建設者や飼い犬が残した「うんちの化石」から、建設者らが「寄生虫に汚染された肉」を食べていたことが判明しました。
Intestinal parasites in the Neolithic population who built Stonehenge (Durrington Walls, 2500 BCE) | Parasitology | Cambridge Core
外部リンク:doi.org
(以下略、続きはソースでご確認ください)
Gigazine 2022年06月04日 20時00分
外部リンク:gigazine.net
45: 2022/06/08(水)13:37 ID:mvMtCofc(1) AAS
ナスカに新たな地上絵 長さ60m、植物か
2022/6/8 11:19
南米ペルーの世界遺産「ナスカの地上絵」で知られる南部ナスカの丘陵地で7日までに、植物を描いたとみられる地上絵が新たに発見された。長さ約60メートル、幅約30メートルで、トウモロコシか、地元に自生するハマビシ科の植物を描いたものとみられる。地元メディアが報じた。
考古学研究の学生が発見した。考古学者アルベルト・ウルバノ氏は「紀元前200年から西暦450年の間に発展したナスカ文化のもの」と考えられると指摘した。ハマビシ科の植物は、この時代のつぼなどにもよく描かれていたという。(共同)
外部リンク:www.sankei.com
46: 【B:79 W:59 H:90 (A cup) 162cm/53kg age:21】 2022/06/10(金)21:41 ID:SWhNiyk8(1) AAS
約3400年前の“王国の遺跡”が突如出現! 歴史的発見に
10日にSNSで急上昇し、番組が注目したワードは「古代都市出現」です。3400年ほど前に栄えた王国の遺跡がある理由で突如姿を現して、注目を集めています。一体、どういうことなのでしょうか。
イラクのクルディスタン地方で撮影されたおよそ3400年前の古代都市は元々、チグリス川の中にありましたが、突如として出現したのです。
発掘現場からは陶器の器…。さらに、くさび形文字が刻まれた100枚以上の粘土板などが発見されました。これらは紀元前1550年から栄えたミタンニ帝国の時代のものだといいます。
国士舘大学・21世紀アジア学部附属イラク古代文化研究所、小口裕通さん:「ミタンニというのは北イラク、北シリア、トルコも含めて、あと地中海、東地中海方面も含めてかなり広大な領域を持って、支配していた王国」
省6
47(1): 2022/06/11(土)00:35 ID:ejmghYtY(1) AAS
国内3例目の馬具と判明 壱岐・久保頭古墳出土「日韓交流知る貴重な資料」
壱岐市教委は9日までに、同市芦辺町湯岳興触の久保頭(くぼがしら)古墳で昨年度出土した馬具の鉄製轡(くつわ)が、「復環式鏡板付轡(ふっかんしきかがみいたつきくつわ)C類」と判明したと発表した。国内では群馬、京都に次いで3例目。東北アジアで9例目。朝鮮半島で多数出土しており、調査した市教委社会教育課の田中聡一課長補佐兼係長(52)は「日韓の交流関係を知る中で貴重な資料」としている。
同古墳は2020年度に新たに発見された遺跡として登録された。発見時、墳丘の裾部が削られ、玄室の天井石など石材が失われていたため、市教委が構造や造営時期などを調査。その結果、直径14メートル以上の円墳の可能性が高く、玄室と前室で構成し、その全長は約6・8メートル。6世紀末から8世紀初めまで祭祀(さいし)が行われたことが確認された。
轡は馬の口に取り付け、手綱を付けるための道具。前室入り口の左側門柱石の前室内で出土し、さびに覆われていたため県埋蔵文化センターの協力でエックス線写真を撮影したところ、特異な形状の鏡板が付いた轡と判明。馬具を研究する福岡大人文学部歴史学科の桃?ア祐輔教授に照会し、複環式鏡板付轡C類だと分かった。
壱岐は、同C類が出土した京都の船山古墳と韓国南部の大伽耶(だいかや)地域(当時)の間に位置。桃?ア教授は、船山古墳がある丹後半島周辺は物部氏系氏族の移住が確認されており、轡は実用馬具として物部氏系氏族の韓国南部への往来の中で搬入された可能性が高いと推測している。
外部リンク:news.yahoo.co.jp
48: 2022/06/11(土)08:27 ID:ykyX/ft0(1) AAS
>>47
>丹後半島周辺は物部氏系氏族の移住が確認されており
つまり、「倭人(阿波勢力)」の移住ってこと。 @阿波
49: 2022/06/12(日)17:31 ID:BRheIL4I(1) AAS
はやし浩司について、どのような人物評価がありますか?
50: 2022/06/16(木)10:12 ID:/c4G17WA(1) AAS
弥生時代の遺跡から麻の糸束ねた「糸玉」初めて見つかる 徳島
徳島市の弥生時代の遺跡から麻の糸を束ねた「糸玉」が見つかりました。この時代の糸玉が見つかったのは初めてで、徳島県埋蔵文化財センターは、徳島での縄文から弥生にかけての文化の変遷を知るうえで貴重な発見だとしています。
糸玉が見つかったのは徳島市にある「南蔵本遺跡」で、県埋蔵文化財センターなどが発掘調査を行ってきました。
糸玉は麻の糸を30本ほど束ねて結んだもので、縦4.5センチ、横6.2センチあり、一緒に見つかった土器の年代から弥生時代初期のものと分かりました。
何に使われたものかは分かっていませんが、全体に漆で赤く塗られ、衣服の装飾品などに使われていたのではないかと推定されています。
省5
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