おえい、サギー南支那ブタニグロチンク、出てこい! (291レス)
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289: 10/13(日)17:22 ID:/dy7pErq(1) AAS
>>193
西新町遺跡が砂丘の遺跡と呼ばれる所以です。この砂丘の一番高い稜線一帯(赤い線)が
明治通りにあたり、藤崎までの間に遺跡が多く発掘されました。また、Sd(砂丘)と
Pd(平野)の接際部が商店街通りにあたります。
日本で最古の「作り付け竈を持った竪穴住居」が多く発掘されました。
この「作り付け竈を持った竪穴住居」は朝鮮半島で多く見られ、朝鮮半島との交流が
盛んであったことがわかります。
竪穴住居は、当初、中央に囲炉裏でした。しかし中図のような「作り付け竈」ができ、
容易に高度な作業が出来るようになりました。「作り付け竈」により、鋳型を使った
器物を色々作ることができるようになり、先進技術があったことがうかがわれます。
外部リンク[html]:nishijin-jitikyou.blogspot.com
縄文時代から弥生時代まで、日本列島に住んだ人々は煮炊きをする際に「炉(ろ)」を
用いていました。床面に穴を掘り石を組む(石囲炉)あるいは土器を埋める
(土器埋設炉)、地面をわずかに掘りくぼめる(地床炉)などの形態があります。
時代や地域によって形は様々ですが、いずれにしても開放的で熱が周囲に逃げるため、
熱利用の面からは非効率的と言えます。
弥生時代の終わり頃、九州北部に朝鮮半島から造り付けかまどが伝わります。
これは竪穴建物の壁面に粘土などで構築して造り付けるもので、古墳時代前期
(3世紀後半)には近畿地方でも見られるようになります。古墳時代中期後半
(5世紀後半)には東日本まで広がり、その後長きにわたり、形は変わるものの煮炊きの
場として使われました。それとともに、焼き物の移動式かまども、同じく朝鮮半島から
古墳時代中期には日本列島に伝わります。しかし、多くの地域では移動式かまどの
出土数は多くなく、日常用と言うより祭祀時の煮炊きなど限られた使用状況が
想定されています(稲田、1978)。
外部リンク[htm]:www.pref.tottori.lg.jp
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