弥生人イスラエル十支族説 (53レス)
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33: 2024/08/02(金)15:06 ID:B/zQUQvM(1/2) AAS
ヘブライ語は、2世紀頃には口語としては死語となっていたそうだ。
文語のヘブライ語は祭祀や学者など少数の者が使用していたとされている。
そうすると、日本におけるヘブライ語の渡来は2世紀以前に限定されることになり、それ以後にはヘブライ語話者の渡来は考えにくいことになる。

10支族がアッシリアによって滅亡離散したのは前722年のこととされている。
その10支族の一派が日本にまでやってきたとすれば、だいたい弥生前期前葉頃を考えるのがよい。
この時期は、水田稲作の板付遺跡で稲作が活発に行われていた頃に当たる。

なお、その200年後頃にユダ族のバビロン捕囚が解除され、レビ族の支派のアテル氏族のかなりの人数の行方が分からなくなり、カナンに帰還したアテル氏族はごく少数だったとされている。
このアテル氏族の一派も日本にまでやって来ていたとした場合も、彼らはまだヘブライ語を話していたようなので、この時期の日本へのヘブライ語の渡来も想定可能である。

いずれにしても、日本にまでイスラエルの離散者がやって来る状況というのは、その現地での離散が相当な規模であった場合となるのではないか。
そうした規模の離散が起こったのは、上の二つの事件のときと考えるのがよいだろう。

このように考えた場合、日本語にヘブライ語の語彙の痕跡があるとすれば、それは2世紀以前のヘブライ語話者の渡来によるものとすべきだろう。
そのうちで最も可能性が高いのは、前722年の10氏族の大離散によるものと捉えるのがよいのではないか。
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