[過去ログ] ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰? (969レス)
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376(2): 2015/04/29(水)22:30 ID:pPwCGljV(1/2) AAS
>>370-374
また懲りずにだつおレベルの見飽きたコピペの連続か
>第二次世界大戦開戦時のドイツ空軍パイロットは、第一線機による飛行約100時間を含む総飛行時間約250時間で部隊に配備され、
>それが1942年下半期になる平均200時間に、1943年中期には平均150時間(そのうち実用機教程25時間前後)にまで落ち込む
ドイツの1942〜1944年までの各年航空機生産数は
15409機/24807機/40593機で、そのうち練習機生産数が1170機/2076機/3063機では、生産数に占める練習機の割合が10%にも満たない
末期症状の日本でさえ、練習機は最低20%以上を占める生産数だというのに
そこを批判されてるのに、練習機生産数が右肩上がりだとか笑わせる
377(1): 2015/04/29(水)22:38 ID:pPwCGljV(2/2) AAS
戦時中に搭乗員の大量要請が行われているのだから、若年搭乗員が部隊の大多数を占めるのはどこの国でも同じ
戦前に数千人レベルだったのが、どこも数万人レベルに10倍以上拡大してる
それにドイツのエース達も撃墜されまくってるぞ、撃墜後も基地に生還できたというだけで
1人で16回も撃墜されても生還したエースとかいるのに
つうかいくら書いても、そんなソ連軍に負けたドイツが更にひどくて更に情けない、という結論にしかならないし
ドイツは燃料が潤沢だったのかと
378: 2015/04/30(木)00:06 ID:GVSBPfUZ(1/2) AAS
>>376
>末期症状の日本でさえ、練習機は最低20%以上を占める生産数だというのに
具体的に書いてみ?
379: 2015/04/30(木)00:09 ID:GVSBPfUZ(2/2) AAS
>>377
それは何に対するなんの反論なんだw
レンドリースの燃料がなければ、ただでさえドイツ軍に劣るソ連空軍の訓練状態は
さらにひどい状態になっていたという事実は変わらないわけだが。
380(1): 2015/04/30(木)01:34 ID:KnSLdIXl(1/2) AAS
何度言われても同じことしか言わないんだな
ご苦労さんとしか言えんわ
お前はソ連がいかに苦しいか書くだけで
ドイツがそれ以上に破綻しているのが分かってない
って何回言われたの?君
381(1): 2015/04/30(木)02:08 ID:VJW8t6Sv(1) AAS
ソ連国内での石油生産がどれくらいで、レンドリースがその何割程度を占めたかとかの数字が、なんで出てこないんだろうか
確か1940年の段階で、ソ連の原油生産量は3000万トンにはなるはずなんだが
ドイツとは比較にならない生産量で、燃料不足になるとも思えないんだけど
むしろ石油精製技術の問題で、レンドリースは高オクタンガソリンなど、量より質を補うものだったと思うんだが
レンドリースされた航空機や戦車や車両の燃料を、レンドリースの石油製品で賄ったと考えるとわかりやすい
382: 2015/04/30(木)02:18 ID:KnSLdIXl(2/2) AAS
そりゃ実際のデータ持ってる奴なら
こんなこと言わないだろうよ
383(1): 2015/05/02(土)21:47 ID:+Ezj1sH9(1) AAS
ゴルバチョフはペレストロイカの一環として、事実上の農地私有を認めようとしているが、
いくら個人所有になったからといって、農業技術の伝承は途絶えたうえに、気骨のある農民は
家族ぐるみ根だやしにされてしまっている。一部の商品作物の増産は可能かも知れないが、
肝腎の穀物増産は望み薄だろう。
このようなスターリンの罪業が明らかになるたびに繰返される論法がある。いわく、
五ヵ年計画の輝かしい成功のためには多少の犠牲はやむをえなかった。いわく、スターリン時代の
重工業発展がなかったなら、ナチスの侵略によってさらに大きな犠牲が生まれただろう、云々。
ブレジンスキーはこうした弁護に決定的な反証をつきつける。
第一に、五ヵ年計画の成功は凡庸なものでしかなかったということ。20世紀初頭には同じような
レベルにあった日本やイタリアの方がはるかに少ない犠牲ではるかに高い経済成長を行なっているし、
省7
384: 2015/05/07(木)11:04 ID:PL/45RCP(1) AAS
日本 機種別航空機生産の推移 (単位:機)
戦闘機 爆撃機 偵察機 練習機 その他 合計
1941年 1080 1461 639 1489 419 5088
1942年 2935 2433 967 2171 355 8861
1943年 7147 4189 2070 2871 416 16693
1944年 13811 5100 2147 6147 975 28180
1945年 5474 1934 855 2523 280 11066
385: 2015/05/07(木)23:51 ID:f0BnhQQg(1) AAS
>>380
普通に考えたら、レンドリースがなければソ連の状況は加速度的に悪化し
それに伴ってドイツ軍は消耗が減り状況は相当楽になるってことだろw
386: 2015/05/08(金)01:23 ID:llOQzEig(1) AAS
>>383
ロシア革命で一旦落ち込んだものの、戦前ソ連の経済成長率は他の列強より抜きん出てるぞ
特に1929年からの世界恐慌で、他の資本主義国が軒並みマイナス成長の中、ソ連だけは1939年まで目立ってプラス成長してるのが大きい
387: 2015/05/08(金)02:02 ID:EDfq9rVX(1) AAS
ロシア人の多くは、ソ連は第二次世界大戦で、同盟国なしに勝利することが出来たはずだと考えている。
社会学者たちの調査によって明らかになった。
ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、
ソ連は第二次世界大戦で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、回答者の32パーセントが、
それに反対の見解をとっている。
1941年6月22日に行われたドイツの攻撃に関しては、回答者のおよそ半分が、ソ連指導部にとって予期しない
ものだったとの考えを表している。
ロシアでは、第二次世界大戦開戦日の6月22日、「記憶と悲しみの日」が制定されている。全ロシア世論研究センター
はこの日を前に、第二次世界大戦参戦国の国民に対するロシア人の現在の見方について調査した。
調査の結果、好感度が最も高かったのは、共に39パーセントを獲得したイタリア人とフランス人だった。続いて日本人、
省3
388: 2015/05/08(金)20:10 ID:EBHomKfs(1) AAS
ソ連の原油生産量は41年は3300万トンをピークに減少してるよ。
44年と45年は2000万トン以下の生産量だった。
389: 2015/05/08(金)23:31 ID:yG5CS9MH(1/2) AAS
ソ連側が一方的な戦力を編成して圧倒的に優位な側に立ったのは44年以降、というか44年ドクトリン発動以降でそれ以前は常に僅差でアメリカの物量がなければ負けていた
T34に関しても量産したのが大量に前線に送られるのはクルクス前後からでモスクワの戦いから2年するまで大規模物量の編成なんて出来なかった
以降はT34と砲兵師団による進化型の縦深攻撃で突破したんだけど、軍事計画のベーっすがナチを超過する規模になったのは支援を受けてなお43年後半だ
それまでのペースは変わらないし、レンドリースがなければ46年くらいにならないと44年ドクトリンは完成しないし、そこまで遅れるならばナチは世界初のヘリコプター付き現代型砲兵師団を編成できた
それさえできれば完全にソ連を阻止できた。ナチのポテンシャルはそこまであり、44年にそういった部隊を解体して再分配したあたりから負けは確定したんだが
レンドリースさえあればどれだけミスしてもナチは進行不可能な戦力を構成した。縦深攻撃に対するカウンターは作れた
390: 2015/05/08(金)23:48 ID:yG5CS9MH(2/2) AAS
レンドリースさえなければチェコとバルト沿いのポーランド国境帯の森林帯に数個の砲兵師団を固めて
ルーマニア方面に砲兵旅団を多数配置してっていう絶対防衛構造は構成できた
ポーランドやそっちのほうはどちらにせよ陥落したけどそれより進ませない事は難しくなかった
西部はオランダーベルギーまでは守れて、南部は突破される見込みはなかった
政権はともかく軍事上の阻止はできた
391: 2015/05/09(土)22:44 ID:e9rBwb+k(1/6) AAS
>>376
プラン19によってドイツの訓練体系が崩壊したなどという結論はかなり怪しい。
ドイツ空軍は40年に補充飛行隊、42年には補充戦闘集団が設置されて訓練されるようになるが、
これらの訓練所には一線機が各種配備されそれで訓練できるようになっていた。
また実際は、輸送機の大部分が爆撃機パイロット養成の練習機として使用されていたという事情もある。
訓練体系が崩壊したのは米軍四発爆撃の空襲による消耗および、特に精油工場が破壊されたことが大きい
392: 2015/05/09(土)22:50 ID:e9rBwb+k(2/6) AAS
>>381
原油生産量=航空機燃料生産量ではないからな。
ガソリンに精製されるのはごく一部だし航空燃料になるのはさらにその一部だ。
また原油にも品質のバラツキがあって航空機燃料精製に向かないものもある。
また、加鉛しないといけないし手間とコストがかかるのよ
393: 2015/05/09(土)22:54 ID:e9rBwb+k(3/6) AAS
多くの戦車製造企業はウラル東方へ移転したばかりで操業再開もままならず、このモスクワ攻防戦前後の時期がソ連にとって戦争中、
戦車供給が最もきびしい時期だった。
しかし、11月はじめ頃までにようやくイギリスからの援助物資の流れがロシア北部のアルハンゲリスク港を通じて入りはじめ、
戦車・装甲車輛の第一陣も届きはじめた。
内訳は、Mk?マチルダ歩兵戦車145 輛、Mk?バレンタイン歩兵戦車216 輛、軽装甲兵員輸送車ユニバーサル・キャリアー330 輛であった。
これらはすぐさまモスクワ西方および北方戦線地区に送られ、激しい戦いでボロボロになった戦車部隊の補充に用いられた。モスクワ正面の
西部方面軍の戦線では、早くも11 月中にはイギリス製歩兵戦車が投入されていた(ドイツ軍は11 月25 日に初めてイギリス製戦車に出会う)。
激しい攻防戦を通じ、連日消耗していたソ連軍戦車部隊にとって、イギリスから到着した戦車の補充は戦力をかろうじて維持していく上で
貴重なものであったことがわかる(第3 打撃軍の戦車大隊は、事実上マチルダやバレンタインが部隊の主力となってしまっている)。
驚くべきことにこれら消耗しきった西部方面軍、カリーニン方面軍の戦車部隊は、その後の春の雪解けにいたるまでの反撃作戦の先頭に立って
省1
394: 2015/05/09(土)22:56 ID:e9rBwb+k(4/6) AAS
ソ連における生産・供給数に比べた米英製戦車の割合は約10 万2500 輛に対して約1万800 輛と約1割弱であって、数字だけから見れば
米英から供給された戦車が、「東部戦線におけるソ連軍の勝利に決定的な貢献をした」 とはいえるものではない。
しかし、最近になって東部戦線の機甲戦闘の実相に関する新資料がロシアや、またロシアの資料を研究する米英の研究者によって発表され、
おもしろい事実が次々に明らかになってきた。
たとえば、バレンタイン歩兵戦車が活躍したエピソードの舞台となったカフカス戦線(ザカフカス方面軍)では、1942 年11 月1日現在、
その戦車戦力総数252輛のうち73.5 %にあたる185 輛が“外国製戦車(イノ・タンキ)" で、しかも残りのソ連製戦車はいずれも教育部隊所属なので、
第一線の戦車は100 %米英製戦車だったのである。
すなわち、激しいドイツ軍の進攻にさらされた重要方面であるカフカス方面軍を支えた戦車戦力は、米英製戦車なくしてはあり得なかったと
いうことである。
395: 2015/05/09(土)22:59 ID:e9rBwb+k(5/6) AAS
時にソ連製戦車が戦線の恐ろしい業火の中で大量に失われ、戦車戦力が枯渇に等しい事態に陥った時、
比較的まとまった数(月に数百輛単位)で供給された米英製の戦車がかろうじて戦線を支えることがあったのは、明白な事実である。
全体の供与数は、確かにソ連が生産した戦車の全数量に比べれば小さなものだが、毎月数百輛にものばった供与数はドイツ側の東部戦線への
戦車投入数を上回り、激しい戦いの最後の瞬間で局面を変える貴重な追加戦力となった。そのことは、モスクワやスターリングラードの戦場で
証明されている。
旧ソ連の公式見解である「米英からの供与兵器(戦車)は、たいした役割を果たしていない」という言がいかに空疎なものかが理解できるだろう。
航空機については、たとえば戦争後半期の重要都市や方面軍部隊の防空にあたったソ連防空軍(PVO)の装備戦闘機の70 % が米英製であり、
2度以上ソ連の最高勲章である金星章を受賞したソ連戦闘機パイロットの3分の2がアメリカ製戦闘機P39 エアラコブラに搭乗していた。
(古是三春)
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