[過去ログ] ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰? (969レス)
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494: 2015/08/15(土)21:54 ID:K8FoEjtX(1) AAS
なんでや
日本軍関係ないやろ
495: 2015/08/16(日)02:07 ID:t6dEBjth(1) AAS
>>480
>総統は、ソ連軍をというよりアメリカ本格参戦の影響をなめていたんだよ。
>戦争を決めたのはT-34じゃなくてB-17とB-24
1973年、第二次世界大戦を詳述するイギリスのテレビ・ドキュメンタリー・シリーズが放映された。
28編のエピソード中、わずか第3編と、第4編の一部しかロシア参戦に触れていなかった。
イギリスの視点からすれば、勝利は英米の勝利なのだ。
これはソ連政府には納得しがたかった。ソ連は自らのフィルム・アーカイブを欧米に提供した。
1978年に、一編48分、20編のシリーズがアメリカのドキュメンタリー・テレビ・シリーズとして、
バート・ランカスターのナレーションで放映された。ドキュメンタリーの題は“Unknown War”だ。
確かにプロパガンダ版で育った大半のアメリカ人にとっては知られざる戦争だった。
省5
496: 2015/08/16(日)09:26 ID:2u2n9HP1(1/4) AAS
例によってなんの反論にもなってないのが笑えるよなぁw
他スレでも言われてるだろ「だつおの駄文は反論になってない」って
497(5): 2015/08/16(日)09:40 ID:2u2n9HP1(2/4) AAS
対独戦に展開された兵員
米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)
ソ連軍約600万人(多くの老兵、少年兵を含む)
39-45年 航空機生産
米国324750(大半が高性能機、四発重爆多数)
英国131549
ソ連157261(低性能、木製機多数)
独軍の戦闘機隊戦力(1943年以降)
対連合軍の戦線76%
省1
498: 2015/08/16(日)10:16 ID:2u2n9HP1(3/4) AAS
レンドリース供与が実際にソ連の戦争遂行を支える上で最大の貢献をしたのは、「後方活動」の分野においでだった。
●トラック40 万台……主にアメリカ製(一部はカナダ製)の貨物トラックが大量に供与されたおかげで、戦争中期以降、
ソ連軍は兵姑能力を大幅に改善させるとともに、戦争後期においては部隊の機動性を大いに発揮させて戦車部隊を先頭に
快進撃を敢行することができるようになった。また、戦前からあった自動車工業を戦車その他の第一線兵器の開発・生産努力に
振り向けることが可能になった(主に自走砲生産)。
●高オクタン価ガソリン……航空機燃料の多くをアメリカからの供与でまかなうことができた。
●鉄道車輛多数と50 万t以上の軌道……戦前期からネックだったソ連の鉄道輸送を改善するとともに、戦争後半期には鉄道建設隊の
創設とあわせて奪回した地方に急速に鉄道輸送路を構築して、快進撃を行うソ連軍の補給路を確保することができた。
●缶詰、保存食料…… すべて軍用にまわされたアメリカ製缶詰や乾燥野菜、チョコレートなどの菓子類は、いついかなる時もソ連軍将兵1名あたり
1日lkg以上の食料補給を可能にした。アメリカ製の「ポーク・ビーンズ」缶などは戦争後期のソ連兵たちの貴重な蛋白質補給源となり、
省7
499(1): 2015/08/16(日)10:20 ID:2u2n9HP1(4/4) AAS
欧州の解放に最も重要な役割を果たしたのは米国だと考える人の数は非常に多く、
フランスでは61%、ドイツでは 52%に達した。英国では、この数は16% と低いが、
その代り46%が、英国軍の役割を一番に評価している。
500(5): 2015/08/16(日)10:33 ID:RAJuM+Eh(1) AAS
>>497
対日戦は、米軍50万、英軍20万だったっけ?
>>499
イギリスの役割は過小評価されてると思う。
エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。
ドイツ本国の空爆で独ソ戦のドイツの補給はクルスクはじめしばしば遅れたし。
501: 2015/08/16(日)19:05 ID:bVqoNINC(1/2) AAS
>>500
>エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。
[日本軍損害]
空母機20喪失
[イギリス軍損害]
沈没
空母「ハーミス」
重巡「コーンウォール」
重巡「ドーセットシャー」
駆逐艦「テネドス」
省3
502: 2015/08/16(日)19:07 ID:bVqoNINC(2/2) AAS
>>500
>対日戦は、米軍50万、
沖縄シュガーローフの戦い
著者:ジェームス・H・ハラス、出版社:光人社
沖縄戦初日のアメリカ軍の上陸日はL(ラブ)デイと名づけられ、1945年4月1日。日本軍の反撃は
まったくなく、予定より早く目的地に到着していった。
アイスバーグと名づけられた沖縄進攻作戦は、54万8000人の将兵と1500隻の艦船を動員する計算だった。
攻撃実施初日の兵力18万2000人というのは、1年前のノルマンディー上陸作戦のDデイを7万5000人も上まわっている。
外部リンク[html]:www.fben.jp
503: 2015/08/16(日)19:14 ID:n3lqvlxH(1) AAS
>>497
>対独戦に展開された兵員
>米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
>英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)
1. ポーランド問題
ヤルタ会談の半分以上の日程はポーランド問題に費やされた。
第二次世界大戦中、ポーランドは西からドイツ、東からソ連にそれぞれ侵略され、この両国に東と西を
分割占領されていた。その後ドイツはソ連占領地域の東ポーランドに侵入してポーランド全域を占領したが、
アメリカの支援を受けたソ連が再び東半分をドイツから奪還し、親ソ連のポーランド国民解放委員会を樹立した。
引き続いてソ連は西ポーランド(ドイツ占領地域)へ侵入し、首都ワルシャワに迫り、モスクワ放送で、
省14
504(1): 2015/08/16(日)19:18 ID:2durF+bj(1/3) AAS
>>492
イギリス海軍が旧式だからドイツ海軍が戦果を出せた…って自分の無知を表明してるようなもんだなw
この強力なイギリス海軍は1945年5月8日にドイツとの戦争が終わるや否や沖縄に殺到、
イギリス海軍の参加によって神風特攻隊は徹底的に殲滅された。
またマレー沖やセイロン沖の敗戦は共通して上空援護が無かった事に起因するもので、
それだけでドイツ海軍がイギリス海軍に与えた被害の大きさの原因をイギリス海軍の旧式化に帰結するのは視野が狭すぎ。
当時はドイツ戦艦ビスマルクが世界一で、撃沈されたのは専ら上空掩護が無かったから。
そもそもドイツ海軍のUボートやSボートは「通商破壊」が主任務なんだから大型艦の撃沈数で比べるのもおかしいw
つまりソ連へのレンドリースも、大西洋や地中海の英独の熾烈な「通商破壊」が背景にあった。
もしドイツとイギリスが和平してたら、ソ連へのレンドリースは100%絶たれてしまい、ソ連は壊滅してた。
省3
505(1): 2015/08/16(日)19:24 ID:0FcDASoi(1) AAS
>>497
>対独戦に展開された兵員
>米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
>英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)
>ソ連軍約600万人(多くの老兵、少年兵を含む)
イエナはチューリッヒ州にあるため、ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領が
もたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、イエナをいち早く占領してしまった。しかし、
ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、実際の現場のドサクサ紛れ
の占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
外部リンク:cccpcamera.asablo.jp
省6
506: 2015/08/16(日)19:55 ID:+EXV6bCO(1/3) AAS
AA省
507: 2015/08/16(日)19:58 ID:+EXV6bCO(2/3) AAS
>>500
>ドイツ本国の空爆で独ソ戦のドイツの補給はクルスクはじめしばしば遅れたし。
こうした理由から、上陸地点はノルマンディに決定された。次いで検討されたのが上陸部隊の規模である。
これは上陸当日に利用できる上陸用舟艇の数に左右される。
この、第二次大戦が生んだ新奇な船は、連合軍の全ての作戦に必要とされていた。特にノルマンディ作戦
と競合してこの種の船を必要としていたのが、日本と戦う太平洋戦線である。とにかくここでは上陸作戦を
やらないと何も始まらないから、とにかく割り当てを増やしてほしいという要請が絶えず出されていた。
舟艇を管理するのは海軍であり、アメリカ海軍にとって戦争とはすなわち太平洋戦争のことであったから、
アメリカ海軍はノルマンディ作戦に舟艇を割くのを渋り続けた。この調整には、最終的には陸軍参謀総長
マーシャル将軍と海軍作戦本部長キング提督のトップ交渉が必要だった。こうやって決定された割り当てにより、
省9
508: 2015/08/16(日)20:00 ID:+EXV6bCO(3/3) AAS
>>500
>エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。
戦後、ベルナルド・オランダ皇太子は、高名な戦史家で、本作戦を描いた名著『A Bridge too far
(邦題:遥かなる橋)』の著者でもあるコーネリアス・ライアン氏に次のように語った。ちなみに皇太子は当時、
亡命オランダ軍司令官で、作戦立案段階でモンティと会見、同国内の抵抗組織からの正確な情報などを提供
し作戦成功に役立てようとしたが、すげなく黙殺された経緯がある。「我が祖国は金輪際“モントゴメリーの成功”
などという愚にもつかぬわがままを許すことはできない」。
(しらいしひかる・戦史研究家)
学研「ノルマンディー上陸作戦」
結局モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦を90%成功したとし、「私の偏見的な見方では、もし作戦が当初から援護され、
省7
509(1): 2015/08/16(日)20:01 ID:3A8VNJXQ(1/3) AAS
>>497
>対独戦に展開された兵員
>米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
>英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)
>ソ連軍約600万人(多くの老兵、少年兵を含む)
東方国境紛争の経緯
■発生
・第二次大戦末期のソ連軍の侵攻→オーデル=ナイセ線の形成(1945 年 8 月ポツダム協定)
ケーニヒスベルクとその周辺はソ連へ移譲、その他のオーデル=ナイセ線以東の「旧ドイツ領」
は「最終的なポーランド西側国境の確定の時までポーランド国家の行政下に置かれる」→最終
省13
510: 2015/08/16(日)20:04 ID:3A8VNJXQ(2/3) AAS
>>497
>対独戦に展開された兵員
>米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
>英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)
大陸打通作戦がやれたのは、米国がドイツ打倒優先で米軍主力をヨーロッパへ向けたから。
大陸打通作戦の輝かしい大勝利の裏には、ドイツの悲しい犠牲があったことを忘れてはいけない。
511(2): 2015/08/16(日)20:06 ID:3A8VNJXQ(3/3) AAS
まあ米国としては、あまり対日戦争に拘り過ぎると、ノルマンディ上陸が遅れてしまうんだけどな。
1944年は日本軍の大陸打通作戦で中国は荒らされ放題だったけど、もしもノルマンディ上陸を
あれ以上遅らせたら、西ドイツがソ連圏に入ってしまう。つか1944年6月6日というのは、遅すぎ。
ゴミのような中国人がいくら日本軍に虐殺されても、米国にとっては大きな問題にはならんわけで、
中国はもっと早く切り捨てたほうが米国にとっても国益に叶うことだったはずだ。
512: 2015/08/16(日)20:15 ID:2durF+bj(2/3) AAS
>>505
> 実際の現場のドサクサ紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先する
だがソ連は逆に、ヤルタ合意に反してポーランドにルブリン政権を押し付けている。
ヨーロッパの戦いで決定的な役割を果たしたのはソ連に他ならないから、米英は引き下がるしかない。
ロシアは、対ドイツ戦勝記念日を5月9日としている。一方、米国、英国、フランスなどの欧米諸国は8日だ。なぜなのか。
1945年5月7日、ドイツ国防軍のアルフレート・ヨードル作戦部長は、フランス・ランスの連合軍総司令部で、
「5月8日午後11時からすべての軍事行動を停止する」という降伏文書に署名した。しかし、スターリン・ソ連共産党
書記長は、「第2次大戦を勝利に導いた決定的な役割はソ連軍が果たした。ナチスの心臓部はベルリンなので、
降伏文書はベルリンにあるソ連軍司令部で受けなければならない」と主張した。
反論する理由に窮した連合軍はこれを受け入れた。結局、8日午後10時43分、ベルリン近郊のソ連軍司令部で、
省4
513: 2015/08/16(日)20:18 ID:2durF+bj(3/3) AAS
>>509
ソ連のやり方も米英視点では問題があるが、米英軍とて赤軍と衝突すれば敗北は必至。
赤軍の戦闘力は鬼神のようなもので、米英ごときは歯が立たない。
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