[過去ログ] ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰? (969レス)
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(2): 2015/10/12(月)22:28 ID:lnkA/1pu(1) AAS
チャイナ戦線はマジでオマケだろ

?チャイナ戦線に振り分けられた戦力は正面装備でいえば日本の全戦力の10%で対ソ戦線満州武力の半分以下
?動員をかけたのは軽装憲兵歩兵集団であり、装備や物量からして(交戦と武器使用が少ない)たいした負担にならない
?防空や航空戦の負担も微妙でやはり規模が小さい

現実的に開戦前にチャイナ戦線は負担が終わっていたので開戦後の負担はそれまでよりも少ない
チャイナ戦線負担説は完全な虚実。砲弾使用料とか物資使用料で見ればいいよ
陸の燃料負担なんかチャイナ戦線では少ないんだぜ。徒歩と馬メインだからww
583: 2015/10/13(火)02:58 ID:/XeFk9Qy(1) AAS
>>582
>チャイナ戦線負担説は完全な虚実。砲弾使用料とか物資使用料で見ればいいよ

戦争末期、国家の地上戦力の約 30% にあたる180 万人の日本軍が中国および満州に駐留していた。
サリー・ペイン( Sally Paine )は、「アメリカは、展開可能な日本軍の 3 分の 1を中国が足止めしていなかったら、
許容範囲内の損害で太平洋戦争に勝利することはできなかっただろう」と結論付けている。
外部リンク[pdf]:www.nids.go.jp
584: 2015/10/13(火)08:08 ID:vmXXnNa1(1) AAS
>>582
それだけの話で済むなら、
「じゃあ何でもっと動員しなかったの?勝てたんじゃないの?何で?」
と言われて終了する。

全戦力の10%って言っても、動員できる兵力(つまり対ソ戦備に影響無く、本土で編成が完結している兵力)の
何%かを考えないと意味がない。
たぶん君の言う「全戦力」って書類上の話じゃないか?
585: 2015/10/18(日)03:54 ID:diMTFP7U(1) AAS
AA省
586: 2015/10/19(月)22:53 ID:eGEJmt/f(1) AAS
一九四四年二月の終わり頃、ふたりはウルム近郊のヘルリンゲンにあるロンメルの自宅で会い、
胸襟を開いて話し合った。
 東部戦線の陸軍高級将校のある者ったいが、ヒトラーを捕虜にしてラジオで引退を発表させるのはどうかと提案した、
と彼に話した〔市長はのちにそう語った〕。ロンメルはこの考えに賛成した。
 わたしはさらにつづけて、彼はドイツでもっとも偉大で人気のある将軍であり、国外でも彼ほど尊敬されている
ひとはいないと言った。「ドイツで内戦を防ぎうるのはあなたしかいない。あなたの名を、ぜひ運動にお貸しください」。
 ロンメルはためらっていたが、結局は肚を決めた。
「ドイツを救出するのがわたしの義務だと信じます」彼はシュトレーリンに言った。
<第三帝国の興亡5 ウィリアム・L・シャイラー 198頁>

 ああした来歴をもつ反共主義については事情はまったく違っていた。ゴーロ・マンは一九四五年五月のヒトラー・ドイツ
省9
587: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/10/20(火)18:37 ID:NFbzyq0J(1) AAS
>…ボレロ実施における最大の危険は,太平洋における日本軍の存在であったが,

ミッドウェー海戦に勝利してハワイを占領しても、米国のような超大国がそう簡単に諦めるとは思えない。
とはいえ1944年6月6日の「Dデイ」の日付はさらに遅れ、西ドイツはソ連圏に入っていただろう。

>一九四四年二月の終わり頃、ふたりはウルム近郊のヘルリンゲンにあるロンメルの自宅で会い、
>胸襟を開いて話し合った。
> 東部戦線の陸軍高級将校のある者ったいが、ヒトラーを捕虜にしてラジオで引退を発表させるのはどうかと提案した、
>と彼に話した〔市長はのちにそう語った〕。ロンメルはこの考えに賛成した。

ノルマンディ上陸作戦は、決してナチスドイツを打ち負かした作戦では無かった。ノルマンディ上陸以前に、
ドイツ国防軍は敗北を認めていた。ドイツはソ連とだけ戦争しても敗北していたのである。
第二次世界大戦は、ヨーロッパではドイツVSソ連、アジアでは日本VS米国で勝敗がついた。
省1
588: 2015/10/21(水)18:53 ID:w6Z6Mv1e(1/3) AAS
イギリス爆撃機集団が、ドイツ都市を焦土にしなかったら
ソ連はドイツに負けてた。
589: 2015/10/21(水)19:04 ID:BEkSwk/H(1) AAS
―戦争当時、スターリンについてはどのように思われていましたか?
 スターリンをどう思っていたかって?私はだね、こういう風に考えている。もしもスターリンがいなかったら、
あの戦争もなかったはずだ。戦争があったとしても、一瞬にして終わっただろうな。こちら側からは日本軍
がウラルを狙って攻めてきて、あちらからもドイツ軍が、やっぱりウラルを目指してくる。どちらの側にも
兵器がたくさん。あそこには100万の軍隊がいたんだからね[日本の関東軍のことか?]。だが実際には、
戦争はあっちの方からは始まらなかった。敵はスターリングラードで転んでそれっきり、すっかり大人しくなってしまった。
外部リンク[html]:www.geocities.co.jp
590: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/10/21(水)19:14 ID:xSydg2w1(1) AAS
>ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰?

レンドリースと戦略爆撃で勝てるつーなら、中国だって日本に勝ってたろう。
それからイギリスが受け取ったレンドリースはソ連の三倍にも及ぶ。
バグラチオン作戦と大陸打通作戦。ベルリンに翻る赤旗と、南京に翻る日章旗。
勝った国と、勝たせてもらった国。撃破されたナチスドイツと、降参した日本。

それが第二次世界大戦の結果として、現在も尾を引いている。
591: 2015/10/21(水)19:17 ID:w6Z6Mv1e(2/3) AAS
ソ連が独ソ戦初期に踏ん張れたのも、イギリスからのレンドリースの力が大きい
初期はアメリカが戦時体制に入っておらず、直ちに供与されたのはイギリスの援助
ハリケーンやスピットファイアのレンドリースがなければ、モスクワは陥落していたし
バレンタイン戦車やチャーチル戦車がなければ、カフカース油田はドイツに征服されていた
592: 2015/10/21(水)19:21 ID:+t7gaF5m(1) AAS
 ロシア人の多くは、ソ連は第二次世界大戦で、同盟国なしに勝利することが出来たはずだと考えている。
社会学者たちの調査によって明らかになった。 
 ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、
ソ連は第二次世界大戦で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、回答者の32パーセントが、
それに反対の見解をとっている。
 1941年6月22日に行われたドイツの攻撃に関しては、回答者のおよそ半分が、ソ連指導部にとって予期しない
ものだったとの考えを表している。
 ロシアでは、第二次世界大戦開戦日の6月22日、「記憶と悲しみの日」が制定されている。全ロシア世論研究センター
はこの日を前に、第二次世界大戦参戦国の国民に対するロシア人の現在の見方について調査した。
 調査の結果、好感度が最も高かったのは、共に39パーセントを獲得したイタリア人とフランス人だった。続いて日本人、
省3
593: 2015/10/21(水)19:23 ID:GhfCIsIE(1) AAS
しかし英国とドイツ及びフランスで、英国の世論調査機関ICM Researchが
「スプートニ ク・オピニオン」プロジェクトの枠内で実施した調査によれば、
これら3か国の人々は、第二次世界大戦に関し正しい知識を有しているとは、到底言い難い。
調査国によっては、19 から24%の人々が、第二次世界大戦中の欧州解放において
鍵を握る役割を果たしたのは誰か という設問に答えられなかった。
例えばアンケート参加者のうちわずか 13%が、欧州の解放で重要な役割を果た
したのはソ連赤軍だと正しく答える事が 出来たにすぎない。ただドイツでは17% がそう答え、
他の国々よりは比較的高い 数字が出た。一方フランスでは、わずか 8%、英国では13%だった。
なお欧州の解放に最も重要な役割を果たしたのは米国だと考える人の数は非常に多く、
フランスでは61%、ドイツでは 52%に達した。英国では、この数は16% と低いが、
省3
594: 2015/10/21(水)19:28 ID:w6Z6Mv1e(3/3) AAS
ソ連がクルスクで勝てたのは
ゴモラ作戦で、ランカスターがハンブルクの工業地帯を壊滅させ
英米軍がイタリア上陸してイタリアが降伏して
ヒトラーが主力をイタリアに回したおかげ。
595: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/10/24(土)11:36 ID:R+oPEOmJ(1/5) AAS
 フィンランド軍は、ソ連側の要求を一蹴し、準備不足のソ連軍の弱みをついて、猛烈に反撃した。
「わが軍のほとんどの将兵は、フィンランド軍に木っ端微塵にやっつけられた」と、フルシチョフは
後に記している。これは誇張ではない。この冬季戦では、フィンランド兵四万八〇〇〇人に対し、
ソ連側は実に一二万五〇〇〇人以上の将兵を失っている。フィンランドは、ソ連政府に心理的
にも打撃を与えた。フルシチョフは続けて言う。「ドイツは、ソ連の実態が、粘土のような脆弱な
足を持つ巨人、であることを見て取った。フィンランドが、あのような抵抗を続けられるのなら、
力のあるドイツが強力な一撃を食らわせば、この巨人は簡単に倒れると、ヒトラーは考えたに違いない。
フィンランドに敗れ、スターリンは慌てふためいた。これではとうていヒトラー軍に対抗できないと、
完全に自信をなくしてしまった」。結局フィンランドは、ソ連の提示した最初の条件を呑むことになるが、
この戦争の経緯は、スターリンの期待を大きく裏切るものであった。
省11
596: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/10/24(土)11:52 ID:R+oPEOmJ(2/5) AAS
 一九四四年はじめ太平洋にあったアメリカの戦闘員は、対ドイツ戦を戦っていた兵員数とほぼ同じであり、
両方の戦域にそれぞれ約一八〇万人が展開していた。もちろん太平洋にはより多くの海軍と海兵隊が、
そしてイギリスと地中海には主として陸軍と空軍が展開していた。そして一九四四年から後半にかけては
上陸用舟艇の数が英米の戦略を支配する最重要の要因となった。なぜなら上陸用舟艇が地上軍部隊を
敵の保持する海岸に投入するために、欠くことのできない手段であったからである。ヨーロッパにおける
戦略的な戦力集中の頂点であった一九四四年六月までに、連合国は対ドイツ作戦のためにイギリスと
地中海に大型の上陸用舟艇(兵員・トラックないし戦車を海岸基地から上陸地点まで運ぶもの)
一六〇九隻を集中した。同じ種類の上陸用舟艇は太平洋では三七六隻が運用されていた。大型の輸送船
から兵員を海岸まで運搬する小型の上陸用舟艇は、ヨーロッパにおいて三〇二九隻が運用可能であり、
太平洋では三六〇九が運用されていた。ノルマンディー上陸作戦開始当日、連合軍はフランス海岸に
省4
597: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/10/24(土)12:25 ID:R+oPEOmJ(3/5) AAS
「対日戦おまけ論」は、実態とかけ離れた冷戦時代の西側世界の偏見でしかない。

> 一九四四年はじめ太平洋にあったアメリカの戦闘員は、対ドイツ戦を戦っていた兵員数とほぼ同じであり、
>両方の戦域にそれぞれ約一八〇万人が展開していた。

もしDデイ(ノルマンディー上陸作戦)が無かったら [転載禁止](c)2ch.net
2chスレ:whis

もし米国が「ドイツ打倒優先」を放棄したら、Dデイは無かったことになる。だがDデイなどなくても、
ソ連はずっと前から快進撃を続けていた。Dデイ抜きなら西ドイツもソ連圏入りだ。

> 西部正面ではまったく違うのである! ここで敵が我方の防衛線を突破すれば、当面の結果は予測がつかない。
>すべてが示唆するのは只一つ、敵がヨーロッパの西部正面に攻勢をかけてくるということである。遅くとも春、
省11
598: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/10/24(土)12:36 ID:R+oPEOmJ(4/5) AAS
>同盟国・日本の目の前(おそらく津軽・宗谷両海峡)を最大の敵国・ソ連の戦争を支える資源や補給物資が
>通過していくのだから、 さぞや悔しい話だったと思う。

日本は、同盟国ドイツにも恥を掻かせた。ソ連を攻撃せずソ連へのレンドリースを素通りさせ、
ベルリンへ向けて進軍する赤軍を支援していた。

>…ボレロ実施における最大の危険は,太平洋における日本軍の存在であったが,

太平洋戦争によってDデイは大幅延期、米英に大きな恥を掻かせた。

大陸打通作戦は米中同盟を破壊し日米同盟へと導き、日本は敗戦国でありながらイギリスやフランスと
ほぼ同等の地位を得ることができた。海外領土を失ったのと米軍の進駐は、イギリスもフランスも日本も同じ。
現在でもヨーロッパじゅうに米軍基地がある。
599: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/10/24(土)19:51 ID:R+oPEOmJ(5/5) AAS
ソ連はレンドリース抜きでも敗北することはなかった。それは1941年冬のモスクワ戦で証明済みだ。
またレンドリースの半分は太平洋方面なので、例えイギリスが脱落してもソ連はレンドリースを確保できる。
日本だってソ連参戦までは独力で米英中を相手に抗戦を続けていたはずだ。
600: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/10/27(火)10:00 ID:WR3iOzsO(1) AAS
 開いた口がふさがらないほどの驚きを体験したのは、ヒトラー自身も同様だった。
 翌日、八月十六日午前四時二十五分、外務次官ヴァイツゼッカーは駐ソ大使シュレンブルグ
の「大至急極秘電」を受理した。
 前夜午後八時(モスクワ時間)にソ連外相V・モロトフに面会して、外相リベントロップの
訪ソ申し入れを伝えた報告である。
 外相モロトフの反応は予想外に好意的で、申し入れを「最大の関心」をもって受け取り、
わざわざ外相リベントロップが来るからにはそれなりの成果が必要だろう、と次の三項を提案した。
 ?独ソ不可侵条約の締結、?日ソ関係を改善し国境紛争(ノモンハン事件)を終熄させるために
ドイツが日本に影響力を駆使する、?バルト海諸国の共同保障。
 そして、外相モロトフは、とくに不可侵条約についてドイツ側が賛成なら、ドイツ外相はたんなる
省6
601: 2015/10/28(水)02:06 ID:rS4FGOW5(1) AAS
>>539
> 米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは4日間でやってのけた。

4年もかかったのは本当に対日戦がおまけだったから。
第二次大戦の時のイギリス軍は、時間より人的被害を重視してる。

マレーでも、ビルマでも、準備ができるまでは攻勢にならなかった。
キチガイが攻めてきたから受けてきただけ。
対伊戦や対独戦でも、体制が整うまで攻勢にはなかなか出なかった。
対日戦がおまけだから、態勢が整うまでさらに時間がかかってるわけだ。
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