[過去ログ] ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰? (969レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
409: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/05/12(火)17:09 ID:7nkTy+23(3/3) AAS
ロシアは、対ドイツ戦勝記念日を5月9日としている。一方、米国、英国、フランスなどの欧米諸国は8日だ。なぜなのか。
1945年5月7日、ドイツ国防軍のアルフレート・ヨードル作戦部長は、フランス・ランスの連合軍総司令部で、
「5月8日午後11時からすべての軍事行動を停止する」という降伏文書に署名した。しかし、スターリン・ソ連共産党
書記長は、「第2次大戦を勝利に導いた決定的な役割はソ連軍が果たした。ナチスの心臓部はベルリンなので、
降伏文書はベルリンにあるソ連軍司令部で受けなければならない」と主張した。
反論する理由に窮した連合軍はこれを受け入れた。結局、8日午後10時43分、ベルリン近郊のソ連軍司令部で、
ドイツ国防軍最高司令部のヴィルヘルム・カイテル総長が、ソ連軍のゲオルギー・ジューコフ最高司令官の前で
降伏文書に再び署名した。この時間がモスクワ時間で9日0時43分だった。このような理由で、今でも戦勝記念式典
は欧米では8日、ロシアと社会主義圏国家では9日となっている。
外部リンク[php3]:japanese.donga.com
410: 2015/05/14(木)21:35 ID:MicxJFfn(1) AAS
ソ連厨論破完了。
レンドリースが無ければドイツは勝ってたのは間違いない。
411: 2015/05/14(木)22:18 ID:gG7V4vEA(1) AAS
>>398
マジレスするのもあれだけど原爆技術の核心をたらしこんだソ連シンパの科学者がいてだなあ
412: 2015/05/18(月)15:00 ID:E+2hwOz9(1) AAS
画像リンク[jpg]:www.cnn.co.jp
ギリシャ当局は15日までに、首都アテネの地下鉄の駅などで、
第2次世界大戦時の国民の苦難を描いた50秒間のビデオ放映を開始した。
深刻な財政難に陥り、欧州連合(EU)諸国の金融支援に頼るギリシャ政府は、
主要債権国のドイツなどとの関係が悪化している。
ビデオには餓死する人々や強制収容所に送られる子どもたち、
破壊される村々が映し出され、
最後に「ドイツはギリシャに借りがある」との言葉で締めくくられる。
ギリシャ国防省の報道官は放映について、
「ギリシャ国民の歴史的記憶を救い出すことが焦点だ」
省14
413: 2015/05/20(水)20:43 ID:3KUe4jLJ(1) AAS
>欧州の解放に最も重要な役割を果たしたのは米国だと考える人
非の打ち所のないまったく正しい認識ワロタw
414: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/06/22(月)10:59 ID:xKhZOIwX(1) AAS
ここでやや先回りして、1941年10月の独ソ戦線全般における総括をしてみよう。
赤軍航空隊参謀部の資料によると、この月の損害は1729機に上り、しかもその内
の931機は敵戦闘機や高射砲による撃墜、あるいは戦闘任務から未生還、事故による
損壊のいずれにも分類されていない。損害の54%を占める飛行機の辿った運命は
いまだもって不明なままなのである。特にたくさんの襲撃機(308機中225機)が
「未確認損失」欄(赤軍内部では機体数計上方法の整理をした際に浮かび上がった、
撃墜、未生還などの戦闘損失や故障などの非戦闘損失のいずれにも該当しない原因
不明の損失)に記帳されている。どうもこれは、当時頻繁に発生したAM-38型エンジンの
故障と予備部品の不足から修理が不可能であったことと関係がありそうである。また、
およそ70%もの赤軍航空機は、空戦で失われたのではなかったといっても過言ではなかろう。
省1
415: 2015/06/23(火)21:59 ID:YEpCiPpN(1) AAS
レンドリースと戦略爆撃がソ連の対独勝利に大きく貢献したことは間違いないだろう。
またレンドリースと戦略爆撃がなくともソ連の国力はドイツを上回っており最終的には
ベルリンまで到達しただろう。
だがレンドリースだけで戦略爆撃がなかったらどうなっただろう。
戦略爆撃が無いということは英米は第二戦線を形成するつもりが無く
ドイツとソ連の共倒れを狙っていると猜疑心の強いスターリンは判断するのではないか?
そうなったらあの狡猾なスターリンのことだ。積極的攻勢に出ずにレンドリースの物資、装備を溜め込み
適度に国境付近まで押し戻したところでドイツと講和するのでは?
416: 2015/06/25(木)00:08 ID:QRDcY8mw(1) AAS
>レンドリースと戦略爆撃がソ連の対独勝利に大きく貢献したことは間違いないだろう。
>またレンドリースと戦略爆撃がなくともソ連の国力はドイツを上回っており最終的には
>ベルリンまで到達しただろう。
ソ連は自力でもドイツの攻撃を押し返せたがベルリンまでは無理だろ。
ドニエプル川あたりで膠着
417(1): だつお ◆t0moyVbEXw 2015/07/03(金)21:46 ID:QyHQBDC1(1/2) AAS
>>91
>1941年1月4日の世論調査では、米国がイギリスへの戦争物資援助を止めればイギリスは敗北するというのが多数意見。
>けれども米国がドイツイタリアと戦争すべきかというと、戦争は避けるべきというのが多数意見。
強大なドイツに脅かされる弱小なイギリスを助けにいこう、対日戦は片手間でいい、そう割り切れるくらいなら、
米国は1941年以前にドイツに宣戦布告しヨーロッパ派兵をしていたであろう。
自由と民主主義を守るためとか、イギリスを助けに行くだとか、そういう理由では米世論は沸き立たない。
太平洋戦争の全般的な影響に関する評価は一層難しい。戦争が他のさまざまな影響を混
在させている場合、全般的な影響がはるかに大きくなるためである。加えて、いかなる評価も、
仮に歴史が別の経過をたどっていたとしたらという可能性を連想させ、事実に反した解釈に
つながるものである。仮に太平洋戦争が起きなければ、米国とドイツは果たして戦争したで
省13
418: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/07/03(金)22:57 ID:QyHQBDC1(2/2) AAS
亀レスだが、おれさまが第二次世界大戦のソ連に好意的な理由を述べておく。
>>213
>おまえ共産党のスパイで
>日米を分断させたいのか?w
「共産主義ソ連と大日本帝国で共同して、米帝を倒す」、これが日本本土決戦「決号作戦」の骨子だ。
敵の敵は味方であり、満州国を承認しさえすれば、ナチだろうがソ連だろうが日本にとっては味方。
日本が降参したのは、専らソ連が参戦したから。ソ連の対日参戦により、本土決戦構想が台無しになった。
419(2): 2015/07/04(土)06:12 ID:VCiPisDI(1) AAS
>>417
ソ連軍は歩兵戦力が枯渇するから無理
攻勢不能で終了
420: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/07/04(土)10:09 ID:NtjcV6hX(1/5) AAS
>>419
>ソ連軍は歩兵戦力が枯渇するから無理
歩兵戦力が枯渇していたのは、ソ連ではなくてドイツ。
>>2
>第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
「米国が中立を維持していれば、ヨーロッパ戦線がはるかに長引き英国とソ連にさらなる
被害をもたらしただろう。両国が何とか自力でナチスを破っていれば、ソ連軍はドーバー
海峡に到達して西ヨーロッパを支配し、東ヨーロッパとロシアと中国の経済を共産主義体制
で硬直化させたように、西ヨーロッパを経済的に不毛の地に変えていたであろう。」
>実はこのルート、米英からソ連に渡った補給物資の半分以上が使ったとも言われているそうだ。
省8
421: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/07/04(土)10:37 ID:NtjcV6hX(2/5) AAS
>>419
>ソ連軍は歩兵戦力が枯渇するから無理
ノルマンディ上陸作戦が無ければ、ヨーロッパの戦争はあと一年くらいは先延ばしになり、
かつ赤軍はあと500万くらい死んで、西ドイツもオーストリアもソ連圏に入っただろう。
1946年3月にソ連邦元帥ゲオルギー・ジューコフはソ連地上軍の司令官となったが、
7月にはイワン・コーネフに変えられ、この状態が1950年まで続き、その後ソ連地上軍
司令官の地位は5年間にわたって廃止された。この組織の断絶は「おそらく朝鮮戦争に
何らかの関連があったのではないか」とされている[3]。1945年から1948年にかけて、
動員解除によってソ連軍は1130万人から280万人に減らされ[4]、1946年には33に増加していた
軍管区が21に減らされた[5]。また、地上軍は982万2000人から244万4000人に人員を減らした[2]。
省4
422(1): 2015/07/04(土)15:24 ID:L6FgkJKl(1) AAS
ソ連の歩兵師団は44年時点で定数の2割程度に激減してたから
423: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/07/04(土)15:42 ID:NtjcV6hX(3/5) AAS
>>422
>ソ連の歩兵師団は44年時点で定数の2割程度に激減してたから
東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日の正午の会議で、
総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、
救えると思うのは幻想にすぎない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この災厄でこれまで中央軍団にどれだけ
損害があったか、静かに訊ね、「一二から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団
に上るでしょう」と告げられた。
なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは三五万の訓練済みのドイツ兵
をロシア側に奪われたのだった。
省1
424: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/07/04(土)18:47 ID:NtjcV6hX(4/5) AAS
ドイツ打倒優先で対日戦はオマケだって?
ああ。そういうことなら日本としては中国のチンピラゴロツキ討伐に専念できるなwww
上記の?介石の講話は、ドイツの地位の上昇に基づいて、対独関係の改善と強化を主
張した一方で、全般においては、英米仏らに対する既定の路線の維持を再確認し、かつ
それを対独関係の前提としたのであった。こうした?介石の指示により、7 月 6 日、5
期 7 中全会は「国際情勢激変下の外交方針」として、
?日本のみを敵とし、日本以外のすべての国に対しては友好の増進と対立の減少を
根本とする。太平洋と密接な関係にある国と連合し、九カ国条約を擁護し、太平洋の情勢を安定化させる。
?欧州戦争に中立する米ソに対しては一貫した方針に基づき相互協力の強化に努力する。
?英仏に対しては固有の関係の維持に尽力する。
省7
425: だつお ◆t0moyVbEXw 2015/07/04(土)20:56 ID:NtjcV6hX(5/5) AAS
民族浄化は、闘争心に最もよく現れるが、世界の他の部分と同じようにヨーロッパで
も見られる。(ヒトラーの考えでは)ドイツ/アーリア人種の特性はボルシェビズムや民
主主義を通じたユダヤ人の侵入によって脅かされており、同様に人種的脅威にさらされ
ているイギリスとは協力できたし、そうすべきだった。ヒトラーは戦争中も依然として
イギリスに感服しており、連合王国がインドを含む世界的帝国を支配下に収めることを
可能にした人種的中核を賛美していた。そのため、特に日印関係については、「白人」つ
まりコーカサス人種であるイギリス人の支配への賛美と、「有色人種」日本との同盟の間
で振り子のように振れていた。1942 年 2 月のシンガポール陥落の後の個人的発言の記録
によれば、日本の支配を目にするよりも、戦時の敵国であるイギリスに 20 個師団を送る
方がどちらかというと好ましかったろうと述べており、これがヒトラーの態度をよく表
省5
426: 2015/07/05(日)00:43 ID:14kNsYyw(1) AAS
ソ連の歩兵師団は43年に定数の7割、44年時点で定数の2割程度に激減してたから
このペースで減少すると戦争が少しでも長引くと致命傷 攻勢不能だよ。
427(2): 2015/07/05(日)16:59 ID:kIPCPTOz(1) AAS
単に戦争が終わりそうだから前線主力以外の定数を減らしてただけじゃねーの
終結時500師団っていってもその全てが前線にあるわけじゃないし稼動してるともいえない
428: 2015/07/05(日)21:43 ID:gYMQF5Qj(1/2) AAS
AA省
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 541 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.016s