[過去ログ] ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰? (969レス)
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505
(1): 2015/08/16(日)19:24 ID:0FcDASoi(1) AAS
>>497
>対独戦に展開された兵員
>米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
>英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)
>ソ連軍約600万人(多くの老兵、少年兵を含む)

イエナはチューリッヒ州にあるため、ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領が
もたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、イエナをいち早く占領してしまった。しかし、
ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、実際の現場のドサクサ紛れ
の占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
外部リンク:cccpcamera.asablo.jp
省6
506: 2015/08/16(日)19:55 ID:+EXV6bCO(1/3) AAS
AA省
507: 2015/08/16(日)19:58 ID:+EXV6bCO(2/3) AAS
>>500
>ドイツ本国の空爆で独ソ戦のドイツの補給はクルスクはじめしばしば遅れたし。

 こうした理由から、上陸地点はノルマンディに決定された。次いで検討されたのが上陸部隊の規模である。
これは上陸当日に利用できる上陸用舟艇の数に左右される。
 この、第二次大戦が生んだ新奇な船は、連合軍の全ての作戦に必要とされていた。特にノルマンディ作戦
と競合してこの種の船を必要としていたのが、日本と戦う太平洋戦線である。とにかくここでは上陸作戦を
やらないと何も始まらないから、とにかく割り当てを増やしてほしいという要請が絶えず出されていた。
舟艇を管理するのは海軍であり、アメリカ海軍にとって戦争とはすなわち太平洋戦争のことであったから、
アメリカ海軍はノルマンディ作戦に舟艇を割くのを渋り続けた。この調整には、最終的には陸軍参謀総長
マーシャル将軍と海軍作戦本部長キング提督のトップ交渉が必要だった。こうやって決定された割り当てにより、
省9
508: 2015/08/16(日)20:00 ID:+EXV6bCO(3/3) AAS
>>500
>エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。

 戦後、ベルナルド・オランダ皇太子は、高名な戦史家で、本作戦を描いた名著『A Bridge too far
(邦題:遥かなる橋)』の著者でもあるコーネリアス・ライアン氏に次のように語った。ちなみに皇太子は当時、
亡命オランダ軍司令官で、作戦立案段階でモンティと会見、同国内の抵抗組織からの正確な情報などを提供
し作戦成功に役立てようとしたが、すげなく黙殺された経緯がある。「我が祖国は金輪際“モントゴメリーの成功”
などという愚にもつかぬわがままを許すことはできない」。
(しらいしひかる・戦史研究家)
学研「ノルマンディー上陸作戦」

結局モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦を90%成功したとし、「私の偏見的な見方では、もし作戦が当初から援護され、
省7
509
(1): 2015/08/16(日)20:01 ID:3A8VNJXQ(1/3) AAS
>>497
>対独戦に展開された兵員
>米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
>英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)
>ソ連軍約600万人(多くの老兵、少年兵を含む)

東方国境紛争の経緯
■発生
・第二次大戦末期のソ連軍の侵攻→オーデル=ナイセ線の形成(1945 年 8 月ポツダム協定)
ケーニヒスベルクとその周辺はソ連へ移譲、その他のオーデル=ナイセ線以東の「旧ドイツ領」
は「最終的なポーランド西側国境の確定の時までポーランド国家の行政下に置かれる」→最終
省13
510: 2015/08/16(日)20:04 ID:3A8VNJXQ(2/3) AAS
>>497
>対独戦に展開された兵員
>米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
>英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)

大陸打通作戦がやれたのは、米国がドイツ打倒優先で米軍主力をヨーロッパへ向けたから。
大陸打通作戦の輝かしい大勝利の裏には、ドイツの悲しい犠牲があったことを忘れてはいけない。
511
(2): 2015/08/16(日)20:06 ID:3A8VNJXQ(3/3) AAS
まあ米国としては、あまり対日戦争に拘り過ぎると、ノルマンディ上陸が遅れてしまうんだけどな。
1944年は日本軍の大陸打通作戦で中国は荒らされ放題だったけど、もしもノルマンディ上陸を
あれ以上遅らせたら、西ドイツがソ連圏に入ってしまう。つか1944年6月6日というのは、遅すぎ。

ゴミのような中国人がいくら日本軍に虐殺されても、米国にとっては大きな問題にはならんわけで、
中国はもっと早く切り捨てたほうが米国にとっても国益に叶うことだったはずだ。
512: 2015/08/16(日)20:15 ID:2durF+bj(2/3) AAS
>>505
> 実際の現場のドサクサ紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先する

だがソ連は逆に、ヤルタ合意に反してポーランドにルブリン政権を押し付けている。
ヨーロッパの戦いで決定的な役割を果たしたのはソ連に他ならないから、米英は引き下がるしかない。

ロシアは、対ドイツ戦勝記念日を5月9日としている。一方、米国、英国、フランスなどの欧米諸国は8日だ。なぜなのか。
1945年5月7日、ドイツ国防軍のアルフレート・ヨードル作戦部長は、フランス・ランスの連合軍総司令部で、
「5月8日午後11時からすべての軍事行動を停止する」という降伏文書に署名した。しかし、スターリン・ソ連共産党
書記長は、「第2次大戦を勝利に導いた決定的な役割はソ連軍が果たした。ナチスの心臓部はベルリンなので、
降伏文書はベルリンにあるソ連軍司令部で受けなければならない」と主張した。
反論する理由に窮した連合軍はこれを受け入れた。結局、8日午後10時43分、ベルリン近郊のソ連軍司令部で、
省4
513: 2015/08/16(日)20:18 ID:2durF+bj(3/3) AAS
>>509
ソ連のやり方も米英視点では問題があるが、米英軍とて赤軍と衝突すれば敗北は必至。
赤軍の戦闘力は鬼神のようなもので、米英ごときは歯が立たない。
514
(1): 2015/08/16(日)20:57 ID:ORKVVrbM(1) AAS
>>511
>ゴミのような中国人が

なら、なんでゴミのいる国に日本は侵略したんですかねw

アホウヨこうしていつも恥をさらすな。裕仁のようにいつまでも降伏を
優柔不断に決められんのと一緒で自分のメンツにこだわってバカを晒すいい例だ。
515: 2015/08/16(日)21:39 ID:g1FdBweh(1) AAS
>>514
>なんでゴミのいる国に日本は侵略したんですかねw

侵略でなくて、今で言う、平和維持活動PKOですね。平和を維持したくないという、
現地チンピラ、ゲリラとそれを支援するやくざどもに邪魔されてしまいました。
516
(4): 2015/08/18(火)07:26 ID:rmYmtrKf(1/5) AAS
>>504
第二次世界対戦は基本的にドイツとイギリスの戦争だもんな。
ソ連は後半のみ。
日本はドイツ相手の片手間もいいとこのイギリスにさんざんに負けてる。
517: 2015/08/18(火)07:30 ID:rmYmtrKf(2/5) AAS
>>511
イギリスの言う通りにイタリアに注力してりゃな。
ドイツはイギリスの海軍や空軍に勝てっこないんだから
518: 2015/08/18(火)07:31 ID:rmYmtrKf(3/5) AAS
ドイツはイギリスにバトルオブブリテンで完敗
エルアラメインでも完敗
どうにもならん。
519
(8): 2015/08/18(火)07:33 ID:rmYmtrKf(4/5) AAS
同盟国日本は、絞り粕にすぎないイギリスインド植民地軍に20万人が一方的に殺される大敗北を喰らう有り様だし
520: 2015/08/18(火)07:37 ID:rmYmtrKf(5/5) AAS
バトルオブブリテンとその後の航空戦線の負けは痛々しい。
ゴモラ作戦で、ハンブルクがやけのはらになったせいでクルスク大会戦の負けが決まったようなもたのだ。
521: 2015/08/18(火)10:24 ID:A2zYpsWc(1) AAS
AA省
522
(1): 2015/08/18(火)10:31 ID:jLnMm5oZ(1/4) AAS
>>519
>同盟国日本は、絞り粕にすぎないイギリスインド植民地軍に20万人が一方的に殺される大敗北

ナチはキルレシオ()で勝ってる(キリッ

真実

「無条件降伏後、西側三国に占領されたドイツ地域には、米兵よりも、
ドイツ人捕虜の方が多かった・・・・・・」
 連合軍は一九四五年六月に捕虜の数を数え終え、収容された「戦争捕虜及
び武装解除された憲兵」は七六一万四七九四名、うち「四二九万九〇〇〇名
は降伏時にすでに捕虜となっていた」と公表した。
省4
523: 2015/08/18(火)10:39 ID:jLnMm5oZ(2/4) AAS
>>516
>第二次世界対戦は基本的にドイツとイギリスの戦争だもんな。ソ連は後半のみ。

■ フランスはすぐに降伏した。イギリスは全期間を通してひどかった。
  アメリカは間違いなく勝てるという確信を持てるまで様子見してた。
  勝利はすべてソビエトのおかげと言っても過言じゃない。 +5 ロシア
外部リンク[html]:kaigainohannoublog.blog55.fc2.com
524: 2015/08/18(火)10:45 ID:jLnMm5oZ(3/4) AAS
>>519
>同盟国日本は、絞り粕にすぎないイギリスインド植民地軍に20万人が一方的に殺される大敗北

 カーティン首相が英米の 「ドイツ第一主義」戦略を明確に批判したため、チャーチル英首
相は激怒した。しかし、 チャーチルは 1914 年にまったく同じ点に言及していたのである。
「英国軍が海上で粉砕された場合、太平洋地域に住む白人 500 万人に残された道は、米国
に保護を求めることである 6。」ローズベルト米大統領も不満であった。しかし、カーティン
にすればオーストラリアは自らの生存に意を配る必要があり、そのために米国に依存せざる
を得ないのであればそれは仕方のないことであった。真珠湾攻撃後、アジア・太平洋地域
の状況が急速に悪化する中、カーティンは 1942 年初めにチャーチルに宛てて、「シンガポー
ルからの撤退は許しがたい裏切り行為と見なす」 と書き送った。裏切り行為に対する非難は、
省18
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