[過去ログ] 「いわゆる日本国憲法」は完全に無効だ。 (947レス)
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436(5): (○´ー`○)はカワイイ ◆k5svYop9G. 2005/12/18(日)12:30 ID:A3YFCv93(2/10) AAS
日本国憲法の制定には、国の外からと内からの双方の力が働いている。
外からの力とは、日本の敗戦により、「ポツダム宣言」を実施するために必要な措置をとる連合国最高司令官のもとで、
大日本帝国憲法(明治憲法)の変革が求められるようになったことである。内からの力とは、戦時中、軍部の行った
政治支配によって、敗戦当時、もはや戦前の議会制度をたんに修復させるだけでは、国民の期待する「民主主義」を
実現することができないまでに、明治憲法体制は深く傷ついていたことである。
日本政府はポツダム宣言の受諾にあたり、大日本帝国憲法(明治憲法)上の天皇の地位に変更を加えないこと、
すなわち「国体護持」を条件にすることを求めた。しかしポツダム宣言は、「平和的傾向を有する責任ある政府の樹立」、
「民主主義的傾向の復活強化」、「基本的人権の尊重の確立」などを要求しており、これらを受け入れることは、必然的に
明治憲法の根本的な改革に道を開くこととなっていく。
この終戦直後の短い期間、政府においては法制局と外務省が、いち早く憲法問題に気づき、その検討を始めていた。
法制局では、入江俊郎第一部長のグループが非公式に憲法を見直すための事務的な検討を行った。外務省条約局は、
日本みずからの意思で民主主義体制を整備する必要があるとの判断から、独自の検討を進めた。しかしこれらの動きは、
内閣の消極的な姿勢のもとで具体的な成果には結びつかなかった。
マッカーサーは10月4日、「自由の指令」を出す一方で、近衛文麿元首相と会談し、憲法の改正について示唆を与えた。
近衛はこれを受けて、佐々木惣一元京大教授とともに内大臣府御用掛として憲法改正の調査に乗りだす。
マッカーサーは、また、10月11日、新任の幣原首相との会談において、「憲法の自由主義化」について触れた。幣原内閣は、
前内閣と同様に憲法改正には消極的であったものの、内大臣府が憲法改正問題を扱うことへの反発もあり、政府として
この問題に対応することとした。こうして松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会(いわゆる松本委員会)が
10月25日に設置され、政府側の調査活動がスタートする。
つづく
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