群像新人評論賞 (926レス)
上下前次1-新
335: 2021/11/06(土)14:55 AAS
今後のすばるクリティークがどうなっていくのかは解らないけれども
安定した学術的な職業に就いている方々が取り組むような
仕事が高く評価される傾向が続くなら、鬱屈した粗削りの独創性の受け皿がなくなるね
noteとかはてなブログに偶に批評家崩れを見掛けるけれどもあそこはそういう空間じゃないだろうし
自分の絶対的な理解者を出版社や編集者に求めるような、
自分が長期間苦心して作り上げた評論の採用や評価に完全に
自分の人生の意義を委ねているようなタイプの書き手には、厳しい悲報のような結果なのかも
336: 2021/11/06(土)15:04 AAS
すばるクリティーク、受賞された方々は本当におめでとう
337(1): 322 2021/11/06(土)16:02 AAS
335さんへ
スレの内容から察するにおそらくあなたは323さんと同一人物ではないかと思うのですが(間違ってたらすみません)、私にとって疑問なのは(ある意味押しつけがましいのですが)入選作が「シールズ(=政治運動の安っぽい、否若干手の込んだ礼賛)」であって「3,11」でも「コロナ」でもないことなのです。
いささか負け惜しみめいた(あるいはとても気障ったらしい)言い方になってしまいますが、本当に悲しいのは、表舞台で「当事者」の本音が聴けなくなってしまっているという、まさにそのことなのだと思っています。
338: 323 2021/11/06(土)17:24 AAS
>>337
どうも323=335です
よく気づかれましたね
自分が納得出来ない受賞や受賞作の傾向に公憤を憶えるのは当然のことだと思いますが
私としては貴方の責任感が虚無感に転化して潰れてしまうことを憂えています
正直、「3,11」や「コロナ」は既に複数回出版社や作家やマスメディアや
著名人が頻繁に取り上げているので、よほど光るものがなければ厳しいでしょうね
当事者の親密な関わりが持ちたいのであればボランティア団体や有志が結成する支援団体や勉強会、
NGOやNPOへの参加等の行動による関与や当事者でフリーペーパーや同人誌を作るなどしても良いわけですからね
正直、今の読者の動きを見ていても、当事者の多くは文芸誌の狭い世界での論考を重視はしないでしょうし
省7
339(1): 322 2021/11/06(土)18:26 AAS
改めて323さんへ
あなたがいわゆる被災者なのかどうか(失礼ながら)私には確かめる術がありませんし、また確かめようとも思いません。ただ以前別の意味での「当事者」と関わったことがあったので、323さんの言うこと自体が正論(ただし「当事者」以外は表立って言いにくいーー)ことはそれなりに理解出来るつもりです。今述べた過去の経験がな
ければ、もしかしたらボランティアやルポライターを目指していたかもしれません。あるいは(無謀にも)「評論家」を目指したこと自体が「逃げ」であり「虚無」であったのかもしれませんがーー。
私の関わった「当事者」は(私から見ても)極めて刹那的な考えの方で、正直辟易したのも事実です(詳細な事実は差し控えますが、「屍の山の中を歩き回ったことが、この人物をこういう性格にしてしまった理由の一つなのかもしれない」と変な邪推をしたのも事実です)。
重ねがさね非礼な言い方で恐縮ですが、「某作家の小説」(正直パラパラっとしか読んでないのですが)あれを読んで無邪気に感動出来る人も、私にはある意味羨ましく思えます。そうした「純粋な部外者」「無邪気な子供」は、根源的な「虚無」とも「刹那」と一生関わらずに済むのですからーー
340(1): 2021/11/06(土)21:16 AAS
議論は読んでないけど被害自慢ならオレできるぜ 3.11当日、家と両親が流された 遺体は今も捜索中 三日後、石巻の避難所から兄一家を訪ねてバイクで女川行った 途中、打ちあがった仏さんが数知れず転がってた 女川の兄一家は建物の下敷きになって波を被った 五歳の従弟も死んだ こんな話は地元じゃできない 自慢どころか、ありふれてんだ。天涯孤独になった人が多すぎる。高波が来たときは九死に一生だった。小高い丘に駆け上がったが、機材に掴まれと怒号が飛び、二十人以上いたのがオレを含め三人しか残らなかった。汚い水を飲み、二日間下痢をたれ流した
341: 322 2021/11/06(土)22:17 AAS
340さんのいってることがホントかどうか、これもまた確かめる術が私にはない。
ただ文学的に真に問題なのは、323さんの憤っているH氏が、必ずしも純粋な見世物根性、銭ゲバ意識だけであの「剽窃小説」を書いたとは言い切れないことだろう。
その昔某ノーベル賞文学者が、ナントカノートとかいう「ハンカチ準備ルポ」で吉本隆明にこっぴどく叱られたにもかかわらず、全くはんせいしなかったことが思い出される。純粋な善意がときとして暴力(古傷への塩塗りになってしまうことが、この手の人たちにはどうしても理解できないのだ.)
342: 340 2021/11/06(土)23:28 AAS
創作板に書いてんだからホントのわけないだろ
でも書いたのは友人の体験を元にした「もう一つの真実」には違いないのだ 信じようが信じまいが
「美しい顔」が責められるのは剽窃にかぎられるもので、創作動機まで邪推されるいわれはない 素材と「心」の関係は微妙で、坊主憎けりゃ式のすべてを否定し去る意見は凡庸で見っともない
343: 323 2021/11/07(日)00:01 AAS
>>339
貴方の本当に深い悲しみを共有出来ておりませんので
どうしても表面的な慰めしかなりえないのですが、
そこまでの沈痛な闘志がおありならばいつかは報われて欲しいと切に思います
書くという以外の行為によっては決して達成されない目的がおありならば
やはり書き続けるべきでその点に躊躇や葛藤は必要ないと思います
SNSで瞥見したところSealdsに関する論文は、SNSを活用した政治運動を安保法反対運動まで遡り、そのようなあり方での市民運動の傲慢や狡猾を批判した上で、政治運動や民主主義の今後のあり方や論じられ方を考究しようとする労作であるようですので、私は受賞者が報われて良かったと思います
344: 2021/11/07(日)01:14 AAS
>>333
内容はともかく
「どっからみても「文芸批評」というより「(ある特定の側に立った)政治的アジびらだ」
この感想が重要だと思う
345: 2021/11/07(日)01:17 AAS
あと、批評の批評ではなく、小説作品の批評を求めてると言ってたくせに結局は前者ばかりだった
本当に残念
文芸批評は文学で物を考えることの利点を忘れてしまった
作品に依拠する限り、その批評は多様な人を巻き込めるが、批評の批評では党派制や仲間意識でしか評価できない代物になる
346: 322 2021/11/07(日)01:19 AAS
323,340さん両氏へ
一番の問題は文学や運動に垣間見える「善意の暴力」への無自覚、それに比べれば「ウソ」も「剽窃」も、実のところ大したことじゃないと個人的には思います。今日は土曜なので夜更かししてしまいました(笑)なお今までの文のあちこちに誤字脱字を見つけてしまいました。お恥ずかしい限りです。
347: 322 2021/11/07(日)01:25 AAS
344・345さんへ
ご同意下さり有難うございます。書き込み中にあなたの文章が先に入っているのを見つけました。
348: 2021/11/07(日)04:57 AAS
俺が反省会を1人でするとw
ここは一番公平中立で正統に見えるから応募数も多かったけど選考は一貫してクセがある賞だった
外観に騙された人は多い
来年募集のすばるクリティークが楽しみだね
群像組がすばるに大挙して押し寄せて、群像が見出さなかった才能を発掘して欲しい
希望的過ぎるかな?
つまらない論文は群像
面白い批評はすばる
こういった棲み分けができるのを楽しみにしてる
ということですばるに乗り換えますw
349(1): 2021/11/07(日)05:21 AAS
大事なことを一つ言っておく
小説における「私」≠筆者あるいは、≒であることが大前提であるのに対して
批評においては
「私」=筆者
でなければ根底から力を失う
350: 322 2021/11/07(日)06:44 AAS
もし万一この新人賞で入選することがあれば、何らかの形で賞金の半額を福島に寄付することが私の(若干の売名行為を含んだ)ささやかかつ愚かな夢でした。「すばる」の編集長および担当者の方、どうも申し訳ありません(笑)。願わくは、今後のクリティークが批評の立場から時事問題に目を向けた応募作に目を向けていただけると幸いです。たとえ受賞作が私以外のものになるとしても。
351: 322 2021/11/08(月)07:33 AAS
323、349両氏へ
もう発表の日が終わってるにもかかわらず、何度も立て続けにスレして恐縮ですが、現実問題として「私=筆者」の公式が全く意味をなさない場合のあることを改めて補足しておきたい。憶測だけでものをいうのは良くないと思って今まで黙ってたけど、323さんは多分この問題で深い挫折を味わった人なんじゃないだろうか? H氏の問題にしても、本当はあの作品はそこそこ出来がいい、でも根本的なところは大嘘(単なる「ウソ」ではない)なのが問題なのに、剽窃の有無(というか過失でやっちゃったかどうか)ばかりが騒がれてる。当事者が「当事者」としてあの作品を非難している内容の本質は、全く顧みられてないーー
352: 349 2021/11/09(火)02:55 AAS
私は、批評において
「私」=筆者
でなければ根底から力を失う
と書いたのであって、それは全くの同一ということは有り得ないとしても、筆者である「私」が同一性を信じるか、または俄かには信じられないが極力信じられるところまで論旨を深めなければ、批評としての力は弱まるという当たり前なことを言っただけです
353: 322 2021/11/09(火)03:59 AAS
349さんへ
もう遅いので寝ますが、349さんのおっしゃっていることを「全」否定したつもりはありません。ただそれは基本的にあくまでイデアだと思っています。
354: 2021/11/09(火)05:58 AAS
ご返信ありがとうございます。
元より私はそれほど評論を好む者でないことをもうお判りでしょう このスレには誤って迷い込みました ついでにといってはなんですが、ご教示いただけると幸いです
それでは、小説でなく批評において、「私」と「筆者」に同一性がない、あるいは乖離した方が却って説得力を持ち得る場合とは、具体的にどんな事例が考えられますか?
私の書いた小説が批評されると想定したとき、批評する「私」なるものが曖昧だったり両義的だったり一貫性がなかったら、最初から逃げ道を作っていると思ってムシしますが
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