女による女のためのR18 8 (919レス)
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537: 02/11(日)23:01 AAS
幸い、この時は大聖人は難を逃れ、一時、鎌倉を離れることになりました。
538: 02/11(日)23:01 AAS
翌・弘長元年(1261年)5月12日、幕府は鎌倉に戻られた大聖人を捕らえ、伊豆の伊東への流罪に処しました(伊豆流罪)。
539: 02/11(日)23:02 AAS
弘長3年(1263年)2月、伊豆流罪を赦免(罪を許されること)されて鎌倉に帰られた大聖人は、翌年、病気の母を見舞いに郷里の安房方面に赴かれます。
540: 02/11(日)23:02 AAS
文永元年(1264年)11月11日、大聖人の一行は、天津の門下の工藤邸へ向かう途中、東条の松原で地頭・東条景信の軍勢に襲撃されました。この時、大聖人は額に傷を負い、左の手を骨折。門下の中には死者も出ました(小松原の法難)。
541: 02/11(日)23:03 AAS
仏教を開いた釈尊は、古代インドに王子として生まれました(生誕の地ルンビニーは、ネパールに位置しています)。
542: 02/11(日)23:03 AAS
若き日、生・老・病・死という免れられない人間の苦しみを目の当たりにし、今は青春の真っ只中で健康に生きていても、生・老・病・死は免れがたいことを知り、その根源の苦悩の解決法を探究しようとして出家しました。
543: 02/11(日)23:03 AAS
釈尊は、王子として万人が羨む、満たされた境遇にいました。しかし、人々が求める贅沢さも所詮、はかなく空しいと知り、楽しむことはなかったと回想しています。
544: 02/11(日)23:04 AAS
そこで、人間が生きる意味を明らかにする正しい思想・哲学を求めたのです。
545: 02/11(日)23:04 AAS
釈尊は、伝統的な教えにも、また同時代の革新的な教えにも満足できず、瞑想修行によって、種々の苦悩の根本原因とその解決について探究しました。
546: 02/11(日)23:04 AAS
そして、一人ひとりの生命、宇宙を貫く永遠普遍の?法?に目覚めたのです。
547: 02/11(日)23:05 AAS
釈尊は、古代インドの言葉で?目覚めた人?という意味の「ブッダ」と呼ばれます。後に中国では漢字で「仏」「仏陀」などと表記しました。また、?釈迦族出身の聖者?という意味で「釈迦牟尼」「釈尊」ともいいます。
548: 02/11(日)23:05 AAS
仏教の教えの中核は、この釈尊が目覚めた「法」です。
549: 02/11(日)23:05 AAS
釈尊は、人々が、自己の本来的な尊厳性への無知から、自己中心的な目先の欲望にとらわれ、他の人を不幸に陥れても幸せになろうとするエゴイズムに覆われていると喝破しました。
550: 02/11(日)23:05 AAS
そして、内なる永遠普遍の法に目覚めて、根源的な無知(無明)から解放された自己の本来の清浄な生命に立ち返る生き方こそ、人間が人間らしく生きるために必要な最も尊く優れたものであると教えました。
551: 02/11(日)23:06 AAS
それは、内なる智慧の発現によって、無上の尊厳性を人間自身の生命に取り戻し、無限の可能性の開花を促す?人間の価値の再生?であったといえるでしょう。
552: 02/11(日)23:07 AAS
釈尊は、自己の尊厳性を自覚することによって、他者の尊厳性を知り、尊敬することを教えました。これが「慈悲」の基本精神です。
553: 02/11(日)23:07 AAS
釈尊は、ある大王に対して?だれにとっても自分以上に愛しいものはない。自己を愛する者は他人を害してはならない?と教えています。
554: 02/11(日)23:07 AAS
仏教で説く?慈悲?とは、他の人も自身と同じように大切な存在であると知って、他の人を大切にすることであり、万人に双方向性をもつものです。
555: 02/11(日)23:09 AAS
おい
誰だか知らんが当事者同士で解決しろ
恥の上塗りたぞ
556: 02/11(日)23:09 AAS
釈尊が五十年に及ぶ弘教の人生を終えて亡くなった後、釈尊のさまざまな言行が弟子たちによってまとめられていきました。
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