出身地別天才を挙げていこう (657レス)
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240: 2011/12/03(土)19:57 ID:t9wb1Q9S0(1) AAS
明神は兵庫出身だけどね
241: 2011/12/04(日)00:21 ID:dPUS8qfs0(1) AAS
明神は兵庫生まれの千葉育ち
楢崎は徳島生まれの奈良育ち
242: 2011/12/04(日)11:04 ID:apTSh+6S0(1) AAS
>>234
藤田東湖、よくご存知ですね。
私はその名を維新の嵐というゲームで初めて知りました。
243: 2011/12/04(日)23:09 ID:TbLuR2WH0(1) AAS
維新の嵐
続編希望
244
(1): 2011/12/05(月)00:19 ID:2dyZvGrT0(1) AAS
この人はどこ出身になるの?
本人の意識では大阪っぽく感じるけど、住んでいたのは実質5年ほど。

福沢諭吉年譜(大阪関連)
01歳 大坂中津藩蔵屋敷(豊前国中津の奥平家)に生まれる。父百助は中津の人。家禄13石2人扶持。福沢家の先祖は信濃国中津出身。
03歳 父百助死去(死因は諸説あり)により、母子6人中津に帰る。
21歳 蘭学を学ぶため長崎へ。
22歳 大坂に行き緒方洪庵(備中国足守の人)の適塾に入門。
24歳 適塾の塾長となる。
25歳 中津に帰省の後、江戸に向かう。中津藩中屋敷の長屋で蘭学塾を開く(慶応義塾の起源)。
26歳 横浜見物をきっかけに英語を学び始める。
省8
245: 2011/12/05(月)12:23 ID:kokpB6bS0(1) AAS
日露戦争の勝利の立役者の出身地は?
246: 2011/12/07(水)08:32 ID:/UKnhdLi0(1) AAS
山中氏がケチのつけようのない近畿からのノーベル賞受賞者になるよ。
247
(2): 2011/12/17(土)11:55 ID:shpX2//s0(1) AAS
日本人ノーベル賞受賞者出身地のデタラメが貼られ続ける理由を説明する。

湯川秀樹(京都府)×父の京大教授就任により京都で育っただけ。
朝永振一郎(京都府)×父の京大教授就任により京都で育っただけ。
(長崎出身)△というのもあるが、父はそうだが母は違う。
福井謙一(大阪府)×父の仕事(貿易)の関係で大阪で育っただけ。
利根川進(愛知県)×祖父母は地方からのお上りさん。
野依良治(兵庫県)×父が兵庫県の鐘淵化学勤務のため関西で育っただけ。
小柴昌俊(愛知県)×父が豊橋陸軍第18連隊所属のため豊橋で生まれただけ。
南部陽一郎(福井県)△福井が「両親の故郷」とは絶対にどこにも書かれていない。
下村脩(京都府)×父が福知山陸軍第20連隊所属のため京都で生まれただけ。
省4
248: 2011/12/17(土)13:43 ID:4vEwXFF40(1) AAS
やっぱり関西と愛知はノーベル賞受賞者多いし優秀だな
249
(2): 2011/12/17(土)21:28 ID:aaZdDM3L0(1) AAS
>>247
凄まじい劣等感・・・
ノーベル賞ゼロ地域の方ですよね?
250: 2011/12/17(土)22:26 ID:smDSFYmk0(1) AAS
>>249
>>171>>174
赤の他人の業績で威張っている奴のおつむのレベル。
251
(1): 2011/12/17(土)23:50 ID:FMZt+Ha7O携(1) AAS
韓国の名前出してまで関西のノーベル賞に嫉妬するなんて。
劣等民族だね。
252: 2011/12/18(日)01:27 ID:PxJM3e3m0(1) AAS
>>244
これ直すと、福澤は12月生まれで翌々年には中津に移ってるから、
大坂に居たのは生後1年半ほど。
それから先祖のところは信濃国福沢の誤り。
253
(1): 2011/12/18(日)08:47 ID:Jvemg0bQ0(1) AAS
関東はノーベル賞受賞者いないから
卑屈になるんだろうな
かわいそう
254
(1): 2011/12/18(日)11:38 ID:eiLH/6ey0(1) AAS
近年で一番肝心なまともな政治家を出してるのは福岡と北海道だけだよw

内部までズブズブ神奈川、千葉、兵庫、大阪
鳩山由紀夫は東京
京都もズブズブだが西田昌司は大きい
255: 2011/12/19(月)18:11 ID:J3aqqjfU0(1) AAS
>>254
福岡県民はまず漢字のお勉強から始めましょうねwww
256: 2011/12/19(月)21:05 ID:iIp8tP7b0(1) AAS
AA省
257: 2011/12/25(日)10:15 ID:dgpiwCPJ0(1/3) AAS
朝永振一郎の父三十郎は、真宗大学在職中に、旧川越藩士大枝美福の長女ひでと結婚
している。(『素粒子の世界を拓く』京都大学学術出版会)
朝永三十郎は、東京で真宗大学に勤めている間にひでと結婚し、振一郎をもうけた。
ひでは旧川越藩士で、明治維新後は東京女学館で漢文の教師をしていた大枝美福の長女。
結婚当時は女流歌人だった。(『別冊宝島 湯川秀樹』宝島社)

私は1926(大正15)年9月19日に、愛知県の豊橋で生まれた。軍人だった父の小柴俊男が
そのころ豊橋の陸軍第18連隊に所属していたからだ。
(小柴昌俊『物理屋になりたかったんだよ』朝日新聞社)
母親は、はやといって、千葉の木更津の農家の末娘だった。どういうなれそめで知り合った
のかは知らないが、父も千葉の館山の生まれだから誰か紹介する人でもいたのだろう。
省5
258: 2011/12/25(日)10:31 ID:dgpiwCPJ0(2/3) AAS
中間子論の本筋を離れて考えるならば、湯川理論が陽の目を見たことには、かなり
偶然がさいわいしていた。R研からO大学に移った坂田は、湯川と共同で中間子論の
検討にあたった。ところが驚いたことに、調べ直した結果では中性子と陽子とには
反発力しか得られない。湯川がはじめに発表した理論では途中で計算を誤って都合の
よい結果を出していたわけだ。それでは湯川中間子論は本質的に間違っていたので
あろうか。だがこの事に気づいたその年、既に宇宙線中にそれらしき粒子が見つかって
いた。細部はともかく、理論の大筋は違っていない。それならば、解決の道はかならず
ある筈だ。
湯川理論を救う道は沢山あった。そのいずれが正しいのか。最終的判定ができたのは
ずっとのちの1951年(昭和26年)になってからである。それによると、中間子はやはり
省2
259: 2011/12/25(日)10:36 ID:dgpiwCPJ0(3/3) AAS
>>171>>174>>247
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