【訃報】流石だったよな林光 (65レス)
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53: 2012/07/18(水)11:13 ID:e1XM9xy6(1) AAS
東混による日本抒情歌曲集+死んだ男の残したものは
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林 光:指揮・ピアノ・編曲による『日本抒情歌曲集』全曲

音楽家という枠に収まらないその独自な活動によって、現代日本の芸術文化の一翼を牽引した林 光[1931-2012]。
本年1月5日の急逝は多方面にわたって大きな悲しみと衝撃を与え、その計り知れない業績と影響力をあらたに再認識することとなりました。
 本作はいまだ記憶に新しい、東京混声合唱団(東混)創立55周年記念特別演奏会(2011年6月19日)のライヴ録音です。
演奏プログラムは、東混の求めに応じて1964〜80年に林によって編曲された『日本抒情歌曲集』全曲。たんねんに選曲され、
原曲の魅力を損なわず、新しい光を当てられた日本の名曲たちを、林 光本人の弾き振りと、数々の作品を林に委嘱し、
演奏してきた東混の歌により、それぞれが一粒の宝石のような輝きを放ちます。演奏会当日の林 光の肉声(お話)も収録。

「『日本抒情歌曲集』は、共に30代だった岩城宏之との、忘れられないしごとの一つ。
そのもとには、ふたりがこのクニの作曲の先達たちの不朽のメロディーに寄せる畏敬の念がある。
 もともと、岩城が振り、林が弾くというコンセプトではじまった曲集にもかかわらず、林が本番でどうしても間違えずに弾けない曲があり、
岩城はそれを面白がって林とのコンサートには忘れずにその曲を入れるのだった。
 編曲の手法はさまざまで、というより曲ごとに原曲にない楽しみを見つけようとした。
 「浜辺の歌」の伴奏部にはあの「歌の翼に乗って」が一瞬顔を出す。「早春賦」では、作曲者の背中をひょいと押したにちがいない
「春へのあこがれ」が一瞬どころか大きな顔してしゃしゃり出て、ピアノ・コンチェルトを奏でてしまう。かと思うと、
原作のあまりの見事さに脱帽してそっくりそのまま書き写してしまった「曼珠沙華」など。
 「ゴンドラの唄」をお聴きになりながら、完成したばかりの小さな遊園地でブランコに揺られながら、志村喬が
「いーのちーみじーかしー」とつぶやく「生きる」の一場面を思い出してくださる年輩のお客さまも、いらっしゃるだろうか。」〜林 光、演奏会プログラムより転載(FONTEC)
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