反米同盟会 2次会 (902レス)
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18: 2011/03/03(木)21:29 ID:5V2IFOUa0(1/4) AAS
日経ビジネス [2011年1月24日号]
敗れざる不屈の経営者たち【最終回】/グレープシティ、宮城明泉学園 (学校法人)
「隣人の愛」 が成長の礎
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「沖縄の悲劇」が原点に

 それにしても、「英語教育の不毛国」として世界的に有名な日本から、海外でも話題のプログラムが
生まれたのはなぜか。そこでは、1人の米国人伝道師の存在を抜きにしては語れない。その人とは、
昨年末に83歳になったポール・ブローマン氏である。
          (中略)
 ブローマン氏は1950年8月、実弟のダビデ・ブローマン氏とともにキリスト教伝道師として日本に
やってきた。ただ、これは2度目の来日だった。最初の来日は46年。米国の進駐軍の衛生兵として
埼玉県の朝霞キャンプに駐屯した。焼け野原の東京で、毎日のように悲惨な光景を目の当たりにした。
 米軍兵士たちの日本人への暴行だけではない。衛生兵の最も大きな仕事は性病の治療だ。米兵と
性交渉を持った日本人の女性を探し出す。泣きじゃくる女性たちを強制的に連れ出し、ペニシリン注射
などの治療を受けさせる。
 精神的につらい日々を過ごしていたポール氏が「最も衝撃を受けた」と語ったのは、沖縄戦を戦った
同僚の兵士から見せられた写真だった。防空壕から降参して出てくる赤ん坊を抱えた日本人女性が
火炎放射器で焼き殺される連続写真だ。「この世の中で、こんな地獄のようなことが起きるものなのか」。
その頃、ポール氏は毎晩、外出することもなく、聖書を読みふけっていた。
          (中略)
 「日本人を救うため、神の言葉を伝えたい」。朝霞での衛生兵時代に、そう決意したポール氏は50年
に再来日、その2年後には約30人の同志と岩手県に移った。
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