日本がロシアと平和条約を結ぶべき、これだけの理由 (736レス)
上
下
前
次
1-
新
599
: 2016/10/25(火)06:52
ID:oYwMPftr0(1)
AA×
[240|
320
|
480
|
600
|
100%
|
JPG
|
べ
|
レス栞
|
レス消
]
599: [] 2016/10/25(火) 06:52:26.08 ID:oYwMPftr0 モスクワは間一髪のところで陥落を免れた。一二月第一週にはドイツ軍がクレムリンから三五キロの 地点に迫っていた。ドイツ軍将校の双眼鏡でモスクワの主要な建造物を確認できる距離だった。先導し ていたのは装甲部隊である。一二月五日から六日にかけて、ジューコフは集中攻勢を仕掛けた。主力は 「シベリア兵」からなる部隊。ソ連極東部から送り出されてた新来の予備兵力で、そのなかにはノモンハ ンで彼自身が指揮した部隊も多数含まれていた。ノモンハンよりも危機的な状況に陥っていたが、ジュ ーコフは当時と同様の諸兵科連合戦術を、今回はもっと積極的に採用した。その結果ドイツ軍を約一六 〇キロ後退させることに成功し、冬季の間、ドイツ軍をその地点に釘付けにしたのである。まさに食う か食われるかの戦いだったが、完全な冬季装備の予備兵を東部から送り込んだことが決定打となった。 一九四一年一二月にソ連を訪問したイギリス外相のアンソニー・イーデンによれば、スターリンはこの とき彼に、「最近の戦局好転は、新たな援軍を導入できたためだ」と語ったという。 ジューコフが大反抗を開始した翌日、日本は真珠湾を攻撃した。ドイツはアメリカに、アメリカはド イツに宣戦布告し、アメリカは太平洋とヨーロッパの戦争に巻き込まれることとなった。この週は第二 次世界大戦の転機を画す、枢軸国の運命を決する一週間であった。 だが日本の軍首脳部が一九四一年の段階で、ノモンハン事件以前と変わらず赤軍を過小評価していた とすると、事態はまったく違う方向へ進んでいたことだろう。もし一九四一年七月または八月に北進が 決定されていたなら、おそらくソ連は崩れ去っていたと思われる。日本軍はソ連軍を撃破する必要すら なかったのではあるまいか。アジアに長大な戦線が存在することだけでもソ連には重荷になったろう。 一八個もの師団に加え、戦車一七〇〇両、軍用機一五〇〇機をヨーロッパの戦場に移動させるなどとい うことは不可能だったはずである。それだけではない。戦争を遂行するうえで、ソ連極東部は貴重な経 済的貢献を果たしていた。独ソ開戦の初年に西部の産業が壊滅的な被害を受けたことに鑑みれば、その 重要さのほどがうかがわれよう。一九四一年のモスクワ攻防戦も、また四二年のスターリングラードの 戦いも、ソ連にとっては薄氷の勝利だったのである。難敵の日本が極東で猛攻を加えたなら、戦局はき っとソ連軍の不利に傾いたであろう。一九四一年から四二年の段階で二正面作戦を強いられたとすれば、 ソ連は存亡の危機にさらされたはずである。ソ連軍の将官を含め、そのように考える軍事研究家は少なくない。 <ノモンハン1939 スチュアート・D・ゴールドマン みすず書房> http://egg.5ch.net/test/read.cgi/diplomacy/1405383647/599
モスクワは間一髪のところで陥落を免れた一二月第一週にはドイツ軍がクレムリンから三五キロの 地点に迫っていたドイツ軍将校の双眼鏡でモスクワの主要な建造物を確認できる距離だった先導し ていたのは装甲部隊である一二月五日から六日にかけてジューコフは集中攻勢を仕掛けた主力は シベリア兵からなる部隊ソ連極東部から送り出されてた新来の予備兵力でそのなかにはノモンハ ンで彼自身が指揮した部隊も多数含まれていたノモンハンよりも危機的な状況に陥っていたがジュ ーコフは当時と同様の諸兵科連合戦術を今回はもっと積極的に採用したその結果ドイツ軍を約一六 キロ後退させることに成功し冬季の間ドイツ軍をその地点に釘付けにしたのであるまさに食う か食われるかの戦いだったが完全な冬季装備の予備兵を東部から送り込んだことが決定打となった 一九四一年一二月にソ連を訪問したイギリス外相のアンソニーイーデンによればスターリンはこの とき彼に最近の戦局好転は新たな援軍を導入できたためだと語ったという ジューコフが大反抗を開始した翌日日本は真珠湾を攻撃したドイツはアメリカにアメリカはド イツに宣戦布告しアメリカは太平洋とヨーロッパの戦争に巻き込まれることとなったこの週は第二 次世界大戦の転機を画す枢軸国の運命を決する一週間であった だが日本の軍首脳部が一九四一年の段階でノモンハン事件以前と変わらず赤軍を過小評価していた とすると事態はまったく違う方向へ進んでいたことだろうもし一九四一年七月または八月に北進が 決定されていたならおそらくソ連は崩れ去っていたと思われる日本軍はソ連軍を撃破する必要すら なかったのではあるまいかアジアに長大な戦線が存在することだけでもソ連には重荷になったろう 一八個もの師団に加え戦車一七両軍用機一五機をヨーロッパの戦場に移動させるなどとい うことは不可能だったはずであるそれだけではない戦争を遂行するうえでソ連極東部は貴重な経 済的貢献を果たしていた独ソ開戦の初年に西部の産業が壊滅的な被害を受けたことに鑑みればその 重要さのほどがうかがわれよう一九四一年のモスクワ攻防戦もまた四二年のスターリングラードの 戦いもソ連にとっては薄氷の勝利だったのである難敵の日本が極東で猛攻を加えたなら戦局はき っとソ連軍の不利に傾いたであろう一九四一年から四二年の段階で二正面作戦を強いられたとすれば ソ連は存亡の危機にさらされたはずであるソ連軍の将官を含めそのように考える軍事研究家は少なくない ノモンハン スチュアートゴールドマン みすず書房
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 137 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
ぬこの手
ぬこTOP
0.087s