中国船に海域を実効支配される尖閣を取り戻す方法は (17レス)
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12: 2024/02/15(木)00:15 ID:nh3TJEJz0(1) AAS
尖閣諸島が閣議決定によって日本領になったのは 1 月 14 日である。
尖閣諸島の日本領編入は、「下関条約」とは関係がないのである。これは中国側が歴史の事
実とするものの中には、事実でないものがあるということである。

15 世紀の台湾は明の領土ではなかった。
では尖閣諸島を中国領とする根拠とは、どのようなものなのか。中国政府の「基本的立
場」では、「数百年前から中国が管理」している。そこで明代の歴史で、その事実を確認し
てみたい。それには明代に編纂された官撰の地理書(『大明一統志』)で確認するのが確実
である。歴史的に中央集権国家であった中国の各王朝では、王朝が管理する疆域を地理書
に記録する伝統があるからだ。その『大明一統志』で、台湾について確認してみると、台
湾と澎湖諸島は「琉球国」の付属島嶼とされている。さらに正史の『明史』(「地理志」)を
見ると、台湾は朝鮮や安南、日本、琉球とともに「外国伝」に記されている。この事実は、
「数百年前から中国が管理」していた、とする中国政府の「基本的立場」には、歴史的根
拠がないということである。
では台湾が「領土の一部」となるのは、いつからだろうか。そこで清代に編纂された地
理書の『大清一統志』(「乾隆版」)【写真 1】で確認すると、次のように記されている。
「古より荒服の地、中国に通ぜずして東蕃という。明の天啓の初、日本国の人ここに
屯聚し、鄭芝龍これに附す。その後、紅毛荷蘭夷の拠る所となる」
ここでは、清朝以前の台湾は、「古より荒服の地、中国に通ぜずして東蕃」に属し、中国
の支配が及んでいなかった。明代には日本人が屯し、その後はオランダが占拠したとして
いる。そこで乾隆版の『大清一統志』では、台湾は「日本に属す」とも記されている。
中国政府は、15 世紀に成立したとする『順風相送』を根拠に、尖閣諸島は中国領だと主
張してきた。だが台湾が「領土の一部」となったのは、明代ではなく、清朝の時代である。
歴史的事実として、台湾と澎湖諸島は、明代の『大明一統志』では「琉球国」の付属島
嶼とされ、正史の『明史』(「地理志」)では外国であった。尖閣諸島を「数百年前か中国が
管理」していたとする中国政府の主張には、何ら根拠がなかったのである。
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