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法医学スレッド (234レス)
法医学スレッド http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/
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1: 名無しさん@おだいじに [] 2009/05/03(日) 13:39:19 ID:gdTDJ3Vx ないのでたてました http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/1
215: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 12:38:34.52 ID:??? そして彼らは、天上・地上には彼らの哲学が夢想する以上のものがあることを偉大な同国人にはっ きり語らせようとはしなかった。――往時の魔術の一部は、民衆のあいだではいまでも大っぴらに、 毎日実施されている。こうした魔術は福祉に役立っている。つまり感応療法に使用されているが、 この種の治療の有効性については疑う余地がない。最も普通に実施されているのは疣の感応療法で、 これが効果があることを、慎重で経験的なヴェルラムのベーコンも、すでにおのれの経験にもと づいて確証している(『森また森』第九九七節)。さらにこれは顔面に生ずる丹毒の治療にもしば しば効果的であるために、これなら大丈夫という確信をもつことができる。また同様に発熱のさ いの治療にも成功した例がある。――このさい本源的な動因となるものは無意味な言葉や儀式で はなく、磁気療法のときと同じく治療にあたる者の意志であることは、すでに磁気について述べ てきた以上、詳細な説明を必要としないだろう。感応療法の実例は、この種の治療となじみのな い人でも、キーザーの『動物磁気のための記録』第五巻・第三冊一〇六頁、第八巻・第三冊一四 五頁、第九巻。第二冊一七二頁、それに第九巻・第一冊一二八頁に見いだすことができる。『感 応的手段と治療について』(一八四二年)と題するモスト博士の著書も、この問題と、当面なじ みになるうえで役立つ。――したがって、動物磁気ならびに感応療法という二つの事実は、経 験のうえから、物理的なるものとは対立する魔術的作用の可能性を確証してくれる。前世紀にお いては、物理的なるもの、すなわち把握できる因果の結びつきから導かれた作用以外のものが まったく承認されなかったために、魔術的作用は決定的に非難された。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/215
216: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 12:38:59.68 ID:??? 現代になって行なわれたこの種の見解の修正が薬学からはじまったことは、幸運であった。な ぜならこのことは同時に、意見の振り子が、まったく逆の方向にむかう強い衝動を再びもつこと はなく、われわれが粗野な時代の迷信にまたもや投げ入れられることがないことを保証している からだ。しかも、よくいわれているように、動物磁気ならびに感応療法によってその有効さが救 いだされたのは、魔術のなかのごく一部分である。同じ魔術といっても数多くある。その大部分 はさしあたり、昔と同様に有罪の判決を受けたままであるが、それとも死滅したものとみなされ る。しかし他の一部は、動物磁気と類似していることからも、少なくともありうることだと考え なくてはなるまい。ということは、動物磁気と感応療法は、治療を目的とする福祉的な作用を及 ぼすのだ。これらの作用は、魔術の歴史のなかで、スペインでいわゆる「サルダドレス」の仕事 として出現したもののやはり教会の有罪宣告をうけた作用と類似している(デルリオ『魔術論』 第三巻二〜四頁および七頁およびボディヌス『悪魔の魔術』第三巻・第二章)。これに反し、魔 術は、ずっとひんぱんに、腐敗した意図のもとに利用されてきた。類比推理をした結果によれ ば、他人に直接作用しつつ効果的な影響を与えることのできる内在的な力は、少なくとも、他人 に有害に、破壊的に作用する点でも同様に強力であることは確かだ。したがって、動物磁気なら びに感応療法にもとずくもの以外の古い魔術が有効であるときは、これはまさしく「妖術」、 「たぶらかし」として特筆されているものであり、ほとんどの場合、魔女裁判のきっかけをつ くっている。前掲のモストの著書のなかにも、明らかに妖術とみなすべき二、三の実例がのって いる(四〇、四一頁、それに第八九号、九一号、九七号)。またキーザーの例の記録のなかにも、 第九巻から第一二巻までつづく、ベンデ・ベンドセンの病歴をあつかったくだりに、転移させら れた病気、とりわけこれがもとで死亡したイヌの症例がたくさんのっている。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/216
217: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 12:39:14.69 ID:??? デモクリトスは「たぶらかし」をすでに知っており、これを事実として説明しようと試みたことが、 プルタルコスの『疑問の饗宴』のなかにうかがわれる(第五問、七の六)。もしここに書かれた物語 が真実であるとされるならば、魔法使いによる犯罪の謎を解く鍵となろう。この物語によれば、熱心 な魔女迫害はけっして根拠のないことではない。たしかに、魔女迫害は、ほとんど大多数の場合は誤 謬にもとづくものである。そうはいってもわれわれは、祖先の人びとが、じつはなにごとでもな い犯罪をあのような残忍なきびしさで何世紀にもわたって迫害するほど眩惑されていたとは、考 えるべきではあるまい。こうした観点からすれば、今日にいたるまで、すべての国において、な ぜ民衆がある種の病気をがんこに「妖術」のせいであるとし、かたくなにこの考えを変えよう としないのかがわかってくる。――したがって、たといわれわれが時代の進歩の波に乗って、例 の悪名高き技術の一部を過去数世紀におけるように無益・無価値なものと考えないとしても、 ネッテスハイムのアグリッパ、ヴィールス、ボディヌス、デルリオ、それにビンズフェルトらの 著作にふんだんに見うけられるような、いんちき、いかさま、でたらめのごみ箱から、一条の真 理を見いだそうとするときには、他のどんな場合よりも用心が必要である。なぜなら、世界いた るところにある嘘いつわりでも、自然の法則から離脱し、ひいては自然の法則が廃止されたと宣 言されるところほど、自由に闊歩できる場所はないからである。したがってわれわれは、同じ魔 術でも真であるとされるわずか少数の魔術の貧弱な基盤の上に、このうえもないほどひどい冒険 で埋められた童話と、とてつもないしかめっつらの装飾がついた天までとどくような高い魔術と いう高層建築が立っているのを見ることになる。しかもこうした魔術のおかげで、血なまぐさい 残忍さが、数世紀にわたって大手を振って行なわれてきた。このように観察してくると、まった く信じられないそれこそ無限に無意味なことを人間の知性が受け入れている点や、こうしたもの をひたすら残虐・非道な行動によって封じこめようとする人間の心のあり方を、ぜひ深く心理学 的に研究してみなくてはなるまいという気持ちになる。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/217
218: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 15:26:40.71 ID:??? 動物の保護は、したがってそれを目的とする協会や警察の仕事になるわけだが、両者とも賤民ども のあの一般的な無道な仕打ちに対しては、ほとんどお手あげのかっこうだ。なにぶんにも訴えることの できない動物相手のことであり、百の残虐行為で見つかるのは一つあるかないかであり、とりわけその 刑罰が軽きにすぎるからである。最近イギリスでは苔刑が提案されたが、わたしには至当のことと思わ れる。しかし、人間と動物が本質的には同一であるという熟知の事実さえ承認せず、誠実で理性的な仲 間の者が、人間を動物の当該部門に編入したり、あるいは人間がチンパンジーやオーラン・ウータンに 酷似していることを証明したりすると、それこそ躍起になって反駁したりするほど、はなはだ頑迷・愚 昧な学者どもや動物学者までいるありさまでは、何を賤民どもから期待できよう。 しかしほんとうに腹が立つことは、きわめてキリスト教的な考えをもった敬虔なユング=シュティリングが、 その著『幽界の光景』第二巻・第一景一五頁で、次のような比喩をあげていることだ。「突如として骸骨は 収縮して、 言いあらわしようのないほど不気味な小さな侏儒となった。それはちょうど、大きな女郎蜘蛛を 沸騰点 にあるビーカーに入れて、膿のような血が灼熱のなかでぐつぐつと煮えたぎったときのようであった。」 つまりこの神のしもべは、こういう恥さらしの行為を自分でやったか、あるいは平静な観察者として傍 観したのだ。――この場合、どちらでも同じことだ。――じっさい、彼はそういうことを悪いともなん とも思っていないから、話のついでに淡々として語っているのだ! これは創世記第一章、一般にユダ ヤ的自然観の影響である。これに反して、インド教徒や仏教徒にあっては、偉大な言葉「それはおまえ なのだ」(Tat-twam asi)が重んじられる。これは動物と人間んお内的本性が同一であることを銘記する ために、われわれの行動の基準として、どういう動物に向かってもたえず口にする必要のある言葉なの だ。――まことにいたれりつくせりの道徳ではないか!―― http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/218
219: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 15:27:07.32 ID:??? わたしがゲッティンゲン大学で勉強していたとき、ブルーメンバッハは生理学の講義で、生体解剖の おそろしい面について切々とわれわれに語った。それがいかにも残忍でおそろしいことであること、し たがってめったに用うべきではないこと、ごく重要で、直接役立つ研究にだけこの措置に踏みきるべきで あること、それを行なう場合には、科学の祭壇にささげられた残忍な犠牲が最大の利益をもたらすよ う、大講堂で最大限に公開し、あらゆる医学者を招待したうえで行わなければならない、と説明して くれたのである。 ――ところが今日では、どんな藪医者でもいろいろな問題を決定するために、その拷問室で残忍きわまる 動物虐待をやる権能があると思っている。じつはその問題の解決はとっくに書物に載っているのであって、 ただ彼らがあまり怠惰・無知であるために、その書物をのぞかないだけのことなのだ。昔の医者は古典的 教養によって、ある種の人間性と気品をそなえていたが、いまの医者はもはや古典の素養をもっていない のだ。いまはできるだけ早く大学に行って、そこでせめて膏薬塗りだけでも覚え、それで世間的成功を 得ようというわけだ。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/219
220: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 15:27:39.93 ID:??? 生体解剖ではフランスの生物学者が先例を示したように思われる。そしてドイツ人はフランス人と張 り合って、しばしば大量に、罪のない動物に残虐きわまる拷問を加えるのであるが。その目的とすると ころは純理論的な、往々愚にもつかない問題を決定するためにすぎない。わたしはここにとくに憤慨に たえない二つの実例をあげたいと思うのであるが、それはけっして散発的なものでなく、似たような例 は百をもって数えることができる。マールブルクのルートヴィヒ・フィック教授はその著『骨の形の原 因について』のなかで、幼い動物の眼球を摘出したことを報告している。それは何のためかといえば、 そのあとの間隙に骨が成長していくという彼の仮設を確証するためなのだ!(一八五七年十月二十四日 付「中央新聞」を見よ。) ニュルンベルクのエルンスト・フォン・ビブラ男爵が行なった非道の仕打ちは、特記するに値する。 彼がその著『人間ならびに脊椎動物の頭脳にかんする比較研究』(マンハイム、一八五四年、一三一頁 以下で、いかにもしたり顔に、不可解なほど素朴に、読者に語っているところによると、二匹の兎を 計画的に餓死させたというのだ! しかもそれは餓死によって脳髄の化学的成分に比例的変化が起こる かどうかという、まったくのんびりした無益な研究のためなのだ! 学問のために――とおっしゃるの でしょ? いったい解剖刀や坩堝のこの先生がたは、自分がまず人間であること、科学者であることは 二の次だということを、夢にもお考えにならないのか? http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/220
221: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 15:28:06.57 ID:??? ――母親の乳を飲んで育っている無邪気な動物を南京錠やかんぬきをかけて閉じこめ、拷問にも似てじわり と餓死させながら、どうして高枕で眠れるのか? 眠っていてもびくりととび起きはしないのか? こうい うことがバイエルンでは起こるとは? バイエルンでは王子アダルベルトの保護のもとに、尊敬すべき功績 顕著な宮中顧問官ペルナー氏が、粗暴・残忍から動物を守るために全ドイツに範をたれているではないか。 ニュルンブルクには、大いに成果をあげているミュンヘン動物愛護協会のごときものがないのか? ビブラ の残虐行為は、たとえ阻止されえなかったとしても、罰せられずにすんだのであろうか?――このフォン・ ビブラ氏のように、まだまだ多くのことを本から学びとらねばならぬような人は、自分の知識を豊富にしよ うとして、つまりはおそらくはとうの昔に知れわたっているような自然の秘密をしぼりだすために、残忍な 方法で究極の答えをしぼりだそうと考えたり、生き物を拷問にかけようと考えたりしてはいけないのだ。と いうのは、この種の知識のためならば、哀れなよるべない動物を拷問で殺す必要はさらさらなく、まだ他に 罪のない宝庫がいくらもあるからである。いったいなんのために哀れにも無邪気な兎を捕えて、徐々に餓死 する苦しみをなめさせるような罪なことをするのか? 研究されるべき関係について書物に記載されている ようなことを、完全にすべて熟知していないような者は、生体解剖をする資格はないのである。 すくなくとも動物にかんするかぎり、たしかにいまこそユダヤ的自然観に終止符をうつべき時であ り、われわれのなかに生きているのと変わりなく、あらゆる動物のなかにも生きている永遠の本質を正 しく認識し、保護し、尊重すべき時である。わたしはそれを本気で言っているのであり、たとえ全ヨー ロッパがユダヤ人の教会堂で蔽われようとも、一歩もゆずる気のないことを銘記しておいてもらいたい! http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/221
222: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 15:28:26.87 ID:??? 動物は本質的に、また主要な点で、われわれ人間とまったく同一なものであり、その差はたんに 偶有的属性、すなわち知性にあるだけで、意志という実体にあるのではない。こういうことがわからぬ のは、あらゆる感官がめくらであるか、ユダヤ的悪臭のクロロホルムで完全に麻酔にかかっているに相 違ないのだ。世界はわれわれが使うためにこしらえたものではなく、動物はわれわれが使うための製品で はない。こういう見解はユダヤ人の教会堂や哲学の講堂にまかせておけばよい。この二つは、べつに本 質的に大差はないのである。これに反し上述の認識は、動物を正しく取り扱うための規則をわれわれに 手渡してくれる。狂信的にいきまく連中や坊主どもに対して、この問題ではあまり反対しないようにわ たしは勧告する。というのは、この場合、真理だけではなく、道徳までもわれわれの味方についている からである。 鉄道がもたらした最大の恩恵は、そのおかげで何百万の輓き馬が苦役を免れたことだ。―― イギリスには菜食主義者というのがいるけれども、北方に押しよせて行って、そのために白色になっ た人間が動物の肉を必要とするということは、残念ながら真実である。しかしその場合でも、クロロホ ルムを用いたり、致命的な急所をすばやく一撃を加えたりすることで、動物たちがその死を感じないよ うにしてやるべきだ。しかもそれは旧約聖書が言いあらわしているような「憐れみ」からではなくて、 われわれのなかに生きているのと変わりなく、あらゆる動物のなかにも生きている永遠の本質に対する どうしようもない責任からである。屠殺されるあらゆる動物にはあらかじめ麻酔をかける必要があろ う。これこそ人間の名誉をそこなわない高貴なやり方と言えるだろう。西洋の高度な科学と東洋の高度 の道徳が、このやり方ならば手に手を携えて行けるであろう。バラモン教や仏教はその掟を「隣人」に 限定することなく、「生きとし生けるもの」をその保護のもとに包容する域に達しているからである。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/222
223: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 15:28:45.02 ID:??? ユダヤ的悪臭のためにその頭が朦朧となっていない人、倒錯した考え方をもっていない人ならば、だ れにでもおのずからわかる真理、端的に確実な真理が、あらゆるユダヤ的神話や坊主どもの威嚇をしり めにして、いいかげんヨーロッパでも認められるべきであり、これ以上握りつぶされるようなことがあっ てはならない。それは動物が、主要な点で、本質的に、われわれとまったく同一なものであり、その差 はたんに知性の度合い、すなわち頭脳の活動にあるだけだということだ。もちろん知性の程度は、動物 の種の異なるに応じて非常なひらきがあるけれども、この真理を認めることによって、もっと人間らし い取り扱いを動物たちにあたえることができよう。というのは、あの単純であらゆる疑問をこえた真理 が民衆にしみわたったときになってはじめて、動物たちはもはや権利をもたないものとして放置された り、粗暴な悪童どもの意地悪い気まぐれや残忍性の犠牲になったりすることもなくなるからである。 ――そして今日行なわれているように、あらゆる藪医者どもが、自分の無知からくる冒険的気まぐれ を、無数の動物の身の毛のよだつ苦痛によって実験するような勝手なまねもできなくなるだろう。もち ろん今日では動物もたいがいの場合クロロホルムで麻酔がかけられることを頭におく必要はある。おか げで手術中も苦痛をまぬかれるし、手術後は急速に死をあたえて彼らを救うこともできるのである。し かし今日しばしば行なわれている、神経系統の活動とその感受の度合いをしらべる目的の手術では、麻 酔という手段はとうぜん使うことはできない。つまりまさに観察しようとする活動が停止するからであ る。そして残念なことには、生体解剖に最も頻繁に用いられるのは、あらゆる動物のなかで道徳的に最 も高尚な動物、すなわち犬である。しかも犬はその神経系統が非常に発達しているため、苦痛の感受度 は他の動物よりも高いのである。良心のやましさを感じるような動物の扱い方は、ヨーロッパでもこの あたりでやめなければならない。―― http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/223
224: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 15:28:58.10 ID:??? 犬について: 犬を鎖につなぐことの残虐さについて。人間のこの唯一真実な仲間、最も忠実な友、Fr.キュ ヴィエのことばで言えば、かつて人間が獲得したなかでもいちばんだいじなこの腹心、しかも最高にものわ かりがよく感受性も鋭敏なこの生き物を、まるで犯罪者のように鎖につなぐとは! つながれた犬は朝から 晩まで、自由と運動にあこがれるばかり。その切なる願いもかなえられることなく、その一生は緩慢な拷問 と化すのだ! こうした残虐さのために、はては犬も犬の本性を失って、かわいげのない、野性むきだし の、忠実さの欠いた畜生となり、また人間という悪魔にいつもおののいて、びくびくはいつくばる姿に変 わってしまうのである! このようなみじめな姿がもしわたしのせいであり、あけくれその歎きを見ていな ければならないとしたら、むしろわたしは犬など飼うのをやめて、泥棒にあったほうがましだと思う。(あ る貴族と彼の鎖につないだ犬については、第一五三節参照。)籠の鳥も恥ずかしいおろかな残虐行為だ。こ んなものは禁止されるべきで、この場合も警察が人間性の代役をなすべきだろう。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 動物界についてのユダヤ的見解は、道徳にそむいているから、ヨーロッパから一掃される必要があ る。本質的に、また主要な点で、動物がまったくわれわれと同じものである、ということ以上に明白な ことがあろうか。そういうことを見誤るようでは、五官のすべてがめくら同然であるにちがいないか、 あるいはむしろ見ようという気がないにきまっているのだ。それというのは、だれでも真理よりは飲み しろのほうがありがたいからだ。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/224
225: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 22:38:47.53 ID:??? 第三二章 狂気について (本章は正編第三六節の後半と関係する) 精神の真の健全さは、追憶が完全であるという点にある。追憶が完全であるとはいっても、もちろん これをわれわれがすべてを記憶にとどめているという意味に理解してはならない。というのは、来し方 を顧みる旅人には、たどり来った道もその空間が収縮するように、われわれの人生行路も、たどり来っ たあとではその時間が収縮するからである。個々の年を区別するのが、ときとしてわれわれには困難に なる日になると、たいていは知るよしもなくなってしまう。しかし事の真相は、まったく同じ出来事が 何度も繰り返され、その像がいわば重なりあって記憶のなかで合流し、個々に識別することができなく なるにすぎない。これに反し、なにか独特の、あるいは重要な出来事なら、どういう出来事でも記憶を さぐればふたたび見つけだすことができるに相違ない。もっともこれは、知性が正常で力があり、まっ たく健全な場合のことであるが。――わたしは正編で、記憶というものは、このように内容がますます 空漠としたものになり、ますます不明瞭なものになりながら、むらなく継続するものであるが、この 記憶の糸の寸断されたものが、すなわち狂気にほかならぬと述べておいた。次の考察が、その確証に役立 てば幸いである。 健全な人間の記憶は、彼がその目撃者であった出来事に関して、それが確実であることを保証する。 そしてこの確実性は、現に彼が或る事柄を眼前に見聞きしているのと同じぐらい確実で動かしえないも のと見なされる。そこでこの出来事は、彼が誓言すれば法廷で確認されることになる。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/225
226: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 22:39:00.56 ID:??? これに反し、狂気ではないかと疑われるだけでただちに、証人の陳述は無効になる。すなわちここに、精神が 健全かそれとも発狂しているかを判断する基準がある。わたしが、自分の記憶している出来事が実際に起こっ たかどうかを疑うやいなや、わたしは自分自身に狂気の疑いをかけているのである。もっとも、それが単 なる夢でなかったかどうか自分に確信のない場合は別であるが。他人が、わたしが目撃者として語って いる出来事の真実性を、わたしの言葉に嘘のないことを信じながら疑うならば、彼はわたしを気違いだ と考えているのである。がんらい自分が捏造した事件をなんども繰り返して話すうちに、ついに自分自 身の言葉を信ずるようになれば、その人はほんらい、この一点ですでに狂っている。気違いにも、気の きいた思いつきとか、ひとつひとつをとってみれば賢明な考えとかあるいは正確な判断さえ不可能でな いことは認めてもよいが、過去の事件に関する彼の証言だけは認めるわけにはいくまい。周知のように釈 迦牟尼の伝記である『普曜経』には、釈迦生誕のおりに、全世界の病ある者はすべて癒え、盲たる 者はすべて物が見えるように、聾せる者はすべて音が聞こえるようになり、狂せる者はすべて「その記 憶を回復した」と語られている。記憶の回復に関しては、二個所にもわたって述べられている。 これは、わたし自身の多年にわたる経験から推測するようになったことであるが、狂気は、俳優の場 合に比較的もっともひんぱんに現われる。じっさいまたこの連中は、彼らの記憶をなんと濫用すること であろう。彼らは毎日、新しい役を覚えこむか、古い役を思い出さねばならない。ところがこれらの役 は、すべてなんの関係もなく、それどころか相互に矛盾撞着することさえあり、彼らは毎晩まったく別 な人間になるために自分自身を完全に忘れ去ろうと努力している。これがまさに狂気にいたる道を開く のである。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/226
227: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 22:39:13.51 ID:??? われわれの利害や誇り、あるいは願望をひどく害する事柄を考えるのが、われわれにとっていかにい やなことであるか、こうしたことを自分自身の知性でいっそう厳密かつ真剣に調べてみようと決心す ることがわれわれにとっていかに困難であるか、ところが無意識のうちにそこから飛びだすか、あるい はこっそり逃げだすほうがわれわれにとっていかに容易であるか、またこれと逆に、愉快な事柄はまっ たく自然にわれわれの心に浮かび、追い払えばまたしても忍び寄ってきて、そのためわれわれが数時間 もそのことを反芻することがある、などということを思い出せば、狂気の発生に関して正編で述べてお いたことが、いっそうよく理解できるであろう。意志は、自分の心に染まぬことを知性によって照らし だすことに抵抗するのであるが、この抵抗が、狂気が精神に襲いかかることのできる場所である。すな わち、新しい出来事はどんないやな出来事でも、知性によって同化せられねばならないとしても、つま り、その出来事のために、いっそう満足な事柄が、その事柄のいかんを問わず追いだされねばならない としても、われわえの意思とその関心に関係のあるもろもろの真理の体系のなかに、このいやな出来事 も席を獲得しなければならない。これがなされてしまえば、この出来事の与える苦痛は、はるかに減少 する。ところがこの同化の操作そのものがしばしば非常に苦しいもので、しかもそれがたいてい、抵抗 を受けながらおもむろにしか逆行しない。ところで、この操作がそのつど正確に遂行される場合にか ぎって、精神が健全だと言いうるのである。これに反し、或る特殊な場合に、認識した事柄の受容にた いする意志の抵抗ともがきが激しくなりかの操作が障害なく遂行されなくなると、そのため或る種の出 来事や事情が知性に完全に隠蔽されることになる。それは、意志がそれを見るのに堪えることができな いからである。そしてつぎに、このために生じた空隙が、関連が必要なため勝手に埋められることにな る。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/227
228: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 22:39:28.40 ID:??? ――こうして狂気が現われる。というのは、知性が意志の歓心を得るためにその本性を放棄したか らである。人はいまや、ありもしないものを想像する。とはいえ、こうして生じた狂気が、いまは、忘 れがたい苦悩を忘却させるレーテの河となる。狂気こそ、苦悩を性とするもの、すなわち意志にたいす る、最後の救治療であったのだ。 ついでながら、わたしの見解にたいする注目すべき証拠を、ここで述べよう。カルロ・ゴッツィは、 戯曲『トルコの怪物』第一幕・第二場で、忘却をもたらす魔法の飲料を飲んだひとりの人物を登場させ ているが、この者の所作を見れば、まったく狂人同様である。 そこで以上述べたところに従って、なにか或る事柄をむりやり「自分の頭から叩きだす」ことが狂 気のもとである、と見ることができる。ところがこの「自分の頭から叩きだす」のは、なにか或る他の 事柄を「自分の頭のなかに押しこむ」ことによってのみ可能なのである。これより稀なのは、経過が逆 になることである。すなわち、「自分の頭のなかに押しこむ」のが第一で、「自分の頭から叩きだす」の が第二になる。しかし、こういう経過をたどるのは、そのために発狂するにいたった誘因となるものを つねに念頭に置き、それから脱れることができない場合である。たとえば、多くの恋狂い、色情狂の場 合がそうである。この場合には、誘因となったものが終始頭にこびりついて離れない。また。とつぜん 生じた驚愕すべき出来事から起こった狂気の場合もそうである。こういう患者は、一度思いこんだが最 後、偏執的にそれに執着し、そのため、ほかの考えが、少なくともそれに対立する考えが、どうしても 思い浮かばないのである。しかしこの二つの経過を見ても、狂気の本質は同じである。すなわち、追憶 がむらなく連なりあうことが不可能なのである。ところでこのような追憶が、われわれの健全な、理性 的な思慮の基礎である。――ことによると、ここで述べた、狂気の起こり方に見られる対立は、よく判 断して用いれば、真の妄想を鋭くかつ深く分類するための証拠の代わりにならぬものでもあるまい。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/228
229: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 22:39:42.23 ID:??? ところでわたしがこれまで考察してきたのは、もっぱら狂気の精神的な起源、すなわち、外的・客観 的な誘因によって生ずる起源であった。しかし狂気はそれよりも、純粋に身体的な原因、すなわち、脳 やその外皮の畸形、あるいは局部的な解体とか、また他の病的に衰弱した部分が脳髄に及ぼす影響な どにもとづく場合のほうが多い。まちがった感覚的直観や幻覚が現われるのは主として、のちにあげた 種類の狂気の場合である。しかしこれら両種の狂気の原因は、たいていは互いに関係しあい、とくに精 神的原因は、身体的な原因を伴う。これは自殺の場合と同様である。自殺が外的な誘因のみによって生 ずるのは稀であって、或る種の肉体的な苦痛が自殺の根底にあり、この苦痛が達する程度に応じて、必 要とされる外部からの誘因が大きくもなれば小さくもなる。苦痛が最高度に達した場合にのみ、外部か らの誘因がまったく不必要となる。したがって、どれほど大きな不幸であっても、すべての人に自殺を 決心させるとはかぎらず、また、どれほど小さな不幸であっても、それだけでもう自殺へ導く場合があ る。わたしがここに述べたのは、狂気の精神的な発生で、少なくとも外見上はどう見ても健全な人間の 場合に、大きな不幸によって生ずるたぐいのものであった。ところが、身体的に狂気の強い素質をもっ た人間の場合には、非常に些細な不満でも発狂するのにじゅうぶんである。たとえば、精神病院へ入れ られたひとりの男をわたしは覚えているが、その男は兵士だったが上官から「あなた Er」呼ばわりさ れたために、狂ってしまったのである。肉体的な素質が決定的な場合には、この素質が熟しさえすれ ば、発狂する誘因はまったく不必要となる。単に精神的な原因から生じた狂気は、思考の歩みを無 理に逆転させることから生じ、そのため逆転によって、どこかの脳髄の部分に一種の麻痺やその他の変 敗を起こし、これは、早いうちに除かないと、永くあとに残ることになる。したがって狂気は、初期に は治療が可能であるが、かなり時がたてば不可能である。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/229
230: 幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP [kotchian] 2020/06/14(日) 22:39:55.13 ID:??? 発狂を伴わない躁病があるということは、ピネルが説き、エスキロルがこれに反対したが、爾来これ にたいして、賛否両論が大いに戦わされてきた。しかしこの問題は、経験によって決定する以外方法は ない。ところで、こういう状態が実際に現われるとすれば、それは次のことから説明できる。すなわ ち、この場合には、意志は知性の、したがってまた動機の支配と指導から完全に脱れ、そのため意志は 盲目的で凶暴な、破壊的な自然力として登場し、途を塞ぐいっさいの妨害物を壊滅せずんばやまない執 念となって現われるのである。そうなると、このように解放された意志は、堤防を破った河や、騎手を 振り落した馬、制動するねじを抜きとられた時計に等しい。しかし、こういう休止状態に見舞われる のは、理性すなわち反省的な認識だけであって、直観的な認識までそうなのではない。というのは、直 観的な認識までそうだとすると、意志にはなんの指導も与えられず、人間は動くことができないからで ある。むしろ躁病患者は、客観〔事物〕に向かって襲いかかるのだから、客観を知覚しているのである。 また彼は、現在の行為を意識もしておれば、あとになってこれを思い出すこともできる。しかし彼に は、反省、すなわち理性による指導がいっさい欠けており、そこで、現に存在しないもの、すなわち、 過去と未来に関する事柄を熟慮したり顧慮したりすることが、いっさい不可能である。発作が終わり理 性が支配を回復すると、理性の機能は正常に帰る。というのは、この場合には理性自身の活動は狂って もそこなわれてもあらず、ただ意志が、理性からしばらく脱れる手段を発見したにしぎないからである。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/230
231: 名無しさん@おだいじに [] 2020/06/15(月) 11:06:20.43 ID:nhSH9UdY 法医学者の内藤道興さんの経歴について知りたいです。 https://research-er.jp/researchers/view/416463 この人です。 藤田保健衛生大学で教授をされていたようですが、何年から何年まで在籍されていたのかなど大学に問い合わせても答えてくれませんでした。 どこに問い合わせればわかるでしょうか? http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/231
232: 名無しさん@おだいじに [sage] 2020/09/19(土) 00:27:05.52 ID:??? https://i.imgur.com/bKwQWPa.jpg 乗車用ヘルメット着用義務違反(ノーヘル) 杉原克幸 愛知県田原市池尻町 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/232
233: 名無しさん@おだいじに [] 2021/06/19(土) 23:58:33.11 ID:Rzyj4nCO 法医学教室に入ろうと思っているんだけどもし別の大学の法医学教室に転職しようとしたらほぼ不可能? http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/233
234: 名無しさん@おだいじに [sage] 2021/07/06(火) 22:32:58.23 ID:??? 昨日は薄晴れだったので今朝はたっぷりと庭に水やりと門扉出て ホース持って水だしたところでマスミが出てきて水やりしだした こいつほんと真似するんだよ コッチは散々こいつの動向見て行動してるのに真似してくる 洗濯物は日の出る4時台に干したり一番を取ってご満悦の顔する癖に 水やりや庭周りの掃除となると合わしたように出てくる お前がいなくなるとこの近隣は穏やかになるよ あ、お前んちの東隣の男ヤモメと洗濯戦争やってるだろう みんな笑ってるよ http://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1241325559/234
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