高校地学の教員になりたければ (701レス)
1-

45: 2022/09/25(日)17:25 AAS
宮 内庁が所蔵する舶載書目を参考にして,上記のように享保四 (1719) 年から寛保元 (1741) 年までの『嘉興蔵』輸入部数は 9 部にも至った

3.1 日本に広く流布する史的背景 

明代私刻業と印刷業が最も発達した杭州・嘉興など江南地域の都市は,日本に輸出しや すい歴史・地理的要素を備えている.

章宏偉 [2011] では,前代経験の積み重ね,紙など 印刷材料の供用が充分であり,彫刻コストの低下,浙江省における科挙受験の参考書とし て多く購入されたこと,江浙二省に蔵書家が多く存在したこと (仏寺の蔵書も含む),杭 州・嘉興の地理的近さと交通的利便性などが,明代に杭州嘉興の民間刻書業が発達した 原因として分析された.そのなかでも嘉興の楞厳寺は,『嘉興蔵』の発行によって有名で あった.

明清時代,日中海上貿易の港は主に江蘇・浙江・福建あたりに集中し,寧波から長崎ま で海上交通は非常に便利になり,刻本が容易に商船によって長崎までもたらされた14.特
に 18 世紀以降,長崎までの中国商船の出発地は,浙江・江蘇両地に固定された15

江戸時代,商品経済と町人層の発展によって,印刷出版業は隆盛し,個人の刻坊が多く 現れた.刻坊の漢籍刊行の先駆は,文祿五 (1596) 年小?P甫庵の活字刊本『補注蒙求』であ ろう17.寛永年間以後の出版センターは寺院から京都の書肆に移動する傾向があった18. たとえば,当時僧侶の講義原稿は講義終了後まもなく刊本となり流布した.当時,鎖国政 策がとられていたが,中国仏典は幕府に禁止されることなく,大量に江蘇・浙江・福建・広 東から輸入され,日本の書肆店頭で直接販売され,あるいは自らも開板して江戸「覆刻本」 「和刻本」として出版された.前述のように,その速さには想像を超えるものがある19.
1-
あと 656 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 2.379s*