[過去ログ] 【都なう!】「京」「洛」貴族は出自で使い分け? 滋賀大准教授が日記調査てふ! [無断転載禁止]©2ch.net (16レス)
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1(1): 朝廷 ★ [US] 2017/07/04(火)04:34 ID:CAP_USER9(1) AAS
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「京」か「洛」か―。ともに都の意味を持つ二つの字を、平安貴族はどう使ったのか。滋賀大教育学部の安藤哲郎准教授(37)=人文地理学=が貴族の日記を網羅的に調べた研究がまとまった。「帰京、京中」など「京」を用いた言葉が元は主流だったが、11世紀半ば以降、「帰洛、洛中」など「洛」の記述数が「京」を上回る日記も現れる。ただ、「洛」が増えた時代でも、特に古式を守る摂関家の人は「京」にこだわり、多用した傾向が分かった。
藤原道長の「御堂関白記」をはじめ、活字化されている平安貴族19人の日記を対象に「京」と「洛」を含む言葉を拾って数えた。
平安京を指す言葉では古くから「京」が使われ、右京は「長安」、左京は「洛陽」とも称された。しかし右京の衰退に伴い、「洛」が京都全体を表す言葉として広まったとされる。調査した日記のうち、最も古い藤原忠平の「貞信公記(ていしんこうき)」や道長の「御堂関白記」は、「京」が多く使われたのに対し、「洛」は1件も確認できなかった。
その後「洛」を用いる日記が増え、院政期に入る11世紀半ば以降の源俊房を最初に源経信、藤原宗忠、藤原為隆、九条兼実の日記は「洛」が「京」を上回った。安藤准教授は「洛が多い貴族は、大まかに言うと世相や家柄的に出世があまり望めなかった実務家タイプが多い。九条兼実だけは後に摂関になるが、当初は平清盛にくみせず、雌伏の時を過ごした」と解説する。
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