[過去ログ] 三重県の学校ってどうなのよ11 (631レス)
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496: 2018/10/30(火)01:02 ID:kyLsJk4w(14/26) AAS
●山口県出身の 2.2.6事件の首謀者の将校
●長州閥が大好きだった財閥を、嫌悪して死んだ将校

磯部 浅一(いそべ あさいち、1905年(明治38年)4月1日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、日本の陸軍軍人、国家社会主義者。
陸軍主計官として階級は陸軍一等主計(大尉)に至るが、陸軍士官学校事件で免官、後に二・二六事件に関与し銃殺に処される。

●生誕地 山口県 大津郡菱海村
昭和4年10月陸軍歩兵中尉に進級するが、昭和7年6月主計将校を志願し陸軍経理学校に入校する。昭和8年(1933年)5月経理学校を卒業、
主計に転科し陸軍二等主計(中尉相当)に任官される。同年6月近衛歩兵第4連隊附を命ぜられ、昭和9年(1934年)8月陸軍一等主計(大尉相当)進級と共に、
野砲兵第1連隊附に移る。同年陸軍士官学校事件に巻き込まれ11月に拘禁、翌年3月停職、4月に釈放される。その後村中孝次とともに「粛軍に関する意見書」を執筆し、8月に免官。
早くから北一輝の下に出入りし、皇道派青年将校グループの先駆者的存在として知られた。昭和11年(1936年)の二・二六事件では、栗原安秀らとともに計画の指揮に当たり、翌昭和12年(1937年)8月に銃殺刑に処された。

獄中で「行動記」「獄中日記」「獄中手記」[1]を執筆し、暗黒裁判の実態と共に計画の正当性を後世に訴えた。特に「獄中日記」(昭和11年8月31日分までが現存しており、以降の1年分は所在不明)には、昭和天皇に対し責任を追及している文があり、
凄まじい怨念と共に注目に値する。彼(と北一輝)によると、日本は明治維新革命以来、
「天皇の独裁国家ではなく」「重臣の独裁国家でもなく」「天皇を中心とした近代的民主国」(これは戦後の日本国憲法の捉える日本像に近い)なのだが、「今の日本は重臣と財閥の独裁国家」なのだという。
そしてその大義を理解しなかった昭和天皇を獄中から「御叱り申して」[2]いた。 
なお、磯部は銃殺時には北と同じく「天皇陛下万歳」は唱えなかったという。
三島由紀夫は「獄中日記」を高く評価し、『「道義的革命」の論理――磯部一等主計の遺書について』[3]を著している。三島の晩年の作『英霊の声』は北一輝だけでなく、磯部の影響をも受けた。
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