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【アンストッパブル】伊東純也選手応援スレ part12 (1002レス)
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315
: 03/24(日)22:16
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315: [sage] 2024/03/24(日) 22:16:56.12 ID:JXmrhlkk0 1 名前:湛然 ★ :2024/03/24(日) 05:54:45.97 ID:hjXTatto9 大泉 洋、『水曜どうでしょう』の“ゆるさと緻密さ”を語る 2024年03月21日 18:30 J-WAVE NEWS https://news.j-wave.co.jp/2024/03/content-2884.html 俳優でタレントの大泉 洋が、人生に影響を与えた出会いについて語り、おすすめの楽曲を紹介した。 演劇ユニット・TEAM NACSのメンバーとしても知られる大泉は、タレントや歌手、演出家など、幅広いフィールドで活躍している。2023年12月の紅白歌合戦では、歌手として初出場も果たした。 そんな大泉の人生に影響を与えたのは、北海道テレビでスタートした深夜のバラエティー番組『水曜どうでしょう』のスタッフとの出会いだという。 大泉:『水曜どうでしょう』という北海道のローカル番組が始まって、私のタレント人生が大きく変わっていきました。私は、昔から人を笑わせることしか考えていないような子どもだったし、テレビ番組もバラエティーが大好きで、皆さんがハマっていたお笑い芸人さん、ドリフターズにはじまりひょうきん族を見て、とんねるずを見て、ウッチャンナンチャンを見て、ダウンタウンにハマってと、一通り追ってきたと思います。そんななかで、人よりももう少しお笑いを見ていたかな。やすきよ(横山やすし・西川きよし)なんかの漫才も大好きだったし、落語も好きだった。 お笑いにしか興味がなかったという大泉だが、「じゃあ芸人になろう」とは思っていなかったそうだ。そんな自分自身の「笑いの力」を最大限に引き出せる形で作られた番組が、『水曜どうでしょう』だったと、大泉は語る。ネタや面白いトークを強制されるわけでもなく、ハンディカムカメラを回しながら思いついたことをただしゃべればいいという、「素人芸で面白いことができるような番組のスタイル」を確立してくれたのが、同番組だったと振り返った。 ■ロケはゆるく、編集は緻密 大泉:(チーフディレクターの)藤村忠寿さんとのやりとりも面白くて、彼のロケのスタイルは非常に雑。決めきらないでやるわけだけど、彼の編集があまりにも緻密だから、恐らくいろんなクリエイターだったりミュージシャンだったり、ものづくりの人にもあの番組は好かれるのかなと思いますね。また、(レギュラーの)鈴井貴之さんの企画もですし、(カメラ担当ディレクターの)嬉野雅道さん。本来であれば演者を撮るカメラマンが、なぜかずーっと景色を回している。その「景色を回されている」というゆるさ、自分にカメラが向いていないからこそ話せる楽屋トークの雰囲気、そういうものすべてが、私が作り出せる笑いにフィットしたのかなと思います。私の笑いのスタイルのようなものが確立されたのは、やっぱりあの番組、あの人たちのおかげだったのではないでしょうか。 大泉の話を聞いた、サッシャとノイハウスは……。 サッシャ: 1996年に北海道テレビでスタートした、大泉さんを全国的なスターにするという、ちょっと異例のスーパーローカル番組。通常はなかなか全国まで広がらないものですが、話題が話題を呼んで、こういうスタイルがそのあと確立したという。放送開始当時、大泉さんはまだ大学生でした。 ノイハウス:すごい。でもそういうときから始めた番組の自由さは、やっぱりあとにも残りますよね。自分のスタイルをここで確立できたというか、させてくれたというか、本当に大事な出会いですね。 サッシャ:そうですね。たぶん、制限があると人って考えるじゃないですか。「ローカル枠でそんなに予算がない、でもどうやったらいいか」という発想から、新しいものが生まれたというね。なかなか簡単なことではないですけど、そういったところで大泉さんがもともと持っていた才能が爆発したといってもいいと思います。 (※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/eleven/1711185488/315
名前湛然 日 大泉 洋水曜どうでしょうのゆるさと密さを語る 年月日 俳優でタレントの大泉 洋が人生に影響を与えた出会いについて語りおすすめの楽曲を紹介した 演劇ユニット のメンバーとしても知られる大泉はタレントや歌手演出家など幅広いフィールドで活躍している年月の紅白歌合戦では歌手として初出場も果たした そんな大泉の人生に影響を与えたのは北海道テレビでスタートした深夜のバラエティー番組水曜どうでしょうのスタッフとの出会いだという 大泉水曜どうでしょうという北海道のローカル番組が始まって私のタレント人生が大きく変わっていきました私は昔から人を笑わせることしか考えていないような子どもだったしテレビ番組もバラエティーが大好きで皆さんがハマっていたお笑い芸人さんドリフターズにはじまりひょうきん族を見てとんねるずを見てウッチャンナンチャンを見てダウンタウンにハマってと一通り追ってきたと思いますそんななかで人よりももう少しお笑いを見ていたかなやすきよ横山やすし西川きよしなんかの漫才も大好きだったし落語も好きだった お笑いにしか興味がなかったという大泉だがじゃあ芸人になろうとは思っていなかったそうだそんな自分自身の笑いの力を最大限に引き出せる形で作られた番組が水曜どうでしょうだったと大泉は語るネタや面白いトークを強制されるわけでもなくハンディカムカメラを回しながら思いついたことをただしゃべればいいという素人芸で面白いことができるような番組のスタイルを確立してくれたのが同番組だったと振り返った ロケはゆるく編集は密 大泉チーフディレクターの藤村忠寿さんとのやりとりも面白くて彼のロケのスタイルは非常に雑決めきらないでやるわけだけど彼の編集があまりにも密だから恐らくいろんなクリエイターだったりミュージシャンだったりものづくりの人にもあの番組は好かれるのかなと思いますねまたレギュラーの鈴井貴之さんの企画もですしカメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん本来であれば演者を撮るカメラマンがなぜかずーっと景色を回しているその景色を回されているというゆるさ自分にカメラが向いていないからこそ話せる楽屋トークの雰囲気そういうものすべてが私が作り出せる笑いにフィットしたのかなと思います私の笑いのスタイルのようなものが確立されたのはやっぱりあの番組あの人たちのおかげだったのではないでしょうか 大泉の話を聞いたサッシャとノイハウスは サッシャ 年に北海道テレビでスタートした大泉さんを全国的なスターにするというちょっと異例のスーパーローカル番組通常はなかなか全国まで広がらないものですが話題が話題を呼んでこういうスタイルがそのあと確立したという放送開始当時大泉さんはまだ大学生でした ノイハウスすごいでもそういうときから始めた番組の自由さはやっぱりあとにも残りますよね自分のスタイルをここで確立できたというかさせてくれたというか本当に大事な出会いですね サッシャそうですねたぶん制限があると人って考えるじゃないですかローカル枠でそんなに予算がないでもどうやったらいいかという発想から新しいものが生まれたというねなかなか簡単なことではないですけどそういったところで大泉さんがもともと持っていた才能が爆発したといってもいいと思います 以下略全文は引用元サイトをご覧ください
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