[過去ログ] 秋篠宮家資料庫3 (467レス)
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213: 2010/11/10(水)10:46 ID:0uVB+nBC(1/9) AAS
>★女性セブン 5/24 《雅子さまへ!皇太子さまと秋篠宮さまつなぐ紀子さまの「使者」》
>・東宮職に5月1日付けで、民間から中村久之さん(39才)が任命された。
>90年に学習院大学経済学部を卒業後、大手デパートの高島屋に入社、営業部門に勤務。
>96年の結婚を機に妻の実家が営む山形県のコーヒー会社で営業マンとして活躍。
>昨年、埼玉県の環境関連の企業に転職したばかりだった。
>「彼は故・橋本龍太郎元総理の甥なんです。 ←★★★
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>>823 橋本大二郎に接近 ←★★★
紀子さまの伯母さま 2010/09/06 ← ヒソの誕生日
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省11
223: 読みやすくしました 2010/11/10(水)13:23 ID:0uVB+nBC(2/9) AAS
週刊現代 2006.9.23
■ 独占独白 伯母佐藤豊子さん「おめでとう! 私たちの紀子ちゃん」
9月6日、紀子妃(40歳)は秋篠宮家の第3子となる男児を無事出産した。
実に41年ぶりの親王の誕生だ。
一般家庭で育った紀子妃は、’90年6月に秋篠宮と結婚するまで、多くの親族に温かく
見守られながら育った。 なかでも、もっとも仲が良かったのが、紀子妃が“豊子おばちゃま”と
呼んで親しんだ伯母である、父・川嶋辰彦氏の姉・佐藤豊子さん(74歳)だ。
親王誕生にあたり、佐藤さんは滞在中の長野県茅野市の山荘で、3児の母となった紀子妃への
思いや、懐かしい思い出を本誌だけに明かした。
■ 紀子ちゃんとの山の思い出
省8
224: 2010/11/10(水)13:24 ID:0uVB+nBC(3/9) AAS
辰彦一家が山小屋に着いたのは、’90年4月末の深夜のことでした。
もうすぐ5月とはいえ、標高1500mの山中はとても寒く、気温は氷点下まで下がっていました。
ですから、薄手のワンピース姿だった紀子ちゃんは、「寒いわ。あまり夜空がきれいなので、
車を止めて窓を開けて星を眺めていたら、身体の芯まで冷えきってしまいました」 と震えていましたね。
当時、すでに宮さまとご結婚することが決まっていましたから、優に100人を超える報道陣が
ここまで押し寄せてきました。 警備の方も20人はいらっしゃったと思います。あまりの人に、
息子たちとどうやって外に出て行こうかなどと話し合ったりしたものです。
それでも、報道陣が殺到してはせっかくの紀子ちゃんの最後の家族旅行が台なしになると、
警備の方々が配慮してくださったのでしょう。 翌日の午前中いっぱいは、報道陣は山小屋の
省11
225: 2010/11/10(水)13:24 ID:0uVB+nBC(4/9) AAS
■ 麦畑を駆ける姿が映える
紀子ちゃんは、小さいころから七つ違いの弟の舟ちゃんの面倒をよく見ていました。
お手伝いというより、自分から積極的に世話をしていました。笑顔で舟ちゃんをおんぶ
している写真もあります。
他のお子さまに対しても同じで、紀子ちゃんは子供が大好きなんです。
「お子さま方と一緒にいると、ホッとするのよ」 と笑っていました。
そんな紀子ちゃんだから、3児の母になっても大丈夫。立派に母親としてお子さまたちを
育てられることでしょう。
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紀子妃は父・辰彦氏の仕事の関係などで、'67〜'73年(紀子妃1歳から小学1年)を
省4
226: 2010/11/10(水)13:25 ID:0uVB+nBC(5/9) AAS
■ '77年には、夫(故・佐藤英一郎元専修大学教授)と一緒にウィーンを訪れました。
辰彦は仮住まいからアパートに移ったばかりだったので、紀子ちゃんと(辰彦氏の妻の)
和代さん、私の3人で競って部屋の雑巾がけをしたことが、懐かしく思い出されます。
次の年は、私の母とともにフランスに行き、辰彦の家族と合流しました。
辰彦は、どこへ行くにもスケッチブックを持ち歩くほどの絵画好きです。その影響からか、
紀子ちゃんも「一番好きなのは美術、次が運動」と話していたほどです。
辰彦の美術好きは、終戦直後の物資の乏しい時代、母が古本屋で買ってくれたゴッホの
画集がきっかけだったと思います。
私たち4人姉弟はみな、その画集をよく眺めていたものです。
ですから私たちには、ゴッホに対する特別な思い出があり、その年は、ゴッホが晩年に描いた
省7
227: 2010/11/10(水)13:26 ID:0uVB+nBC(6/9) AAS
■ 祖母が「お妃教育」
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紀子妃の名は、川嶋家の出自である紀州・和歌山と、祖母の名「紀子」からつけられたものだ。
それだけ紀子さんの存在は川嶋家にとって大きく、豊子さんや辰彦氏はもちろん、紀子妃も
大きな影響を受けたという。
だが'02年12月、紀子さんは95歳でこの世を去る。
紀子妃は、葬儀と翌年の一回忌に参列した。
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母(紀子さん)は、会津藩士の家に育ち、礼儀作法や言葉遣いに厳格な人でした。
省7
228: 2010/11/10(水)13:27 ID:0uVB+nBC(7/9) AAS
宮さまとの結婚が正式に決まった後、紀子ちゃんはさまざまな「お妃教育」を皇居で
受けていました。 でも、そのうちのお習字についてだけは、鎌倉の母の家で習っていたのです。
実は、美智子さまが「お習字はおばあさまから習いなさい」とアドバイスしてくださったというのです。
それで、紀子ちゃんは半年以上、母のもとに毎週通っていました。
その間、紀子ちゃんはいろいろなものを母から学んだと思います。
私のときにもそうでしたが、母はぼそぼそっと大事なことを話すのです。いかにもお説教と
いった感じではなく、つぶやくように言ってくれる。 結果として、それが頭に残るのです。
ですから、母が亡くなったときは、私もそうでしたが、紀子ちゃんも心にぽっかり穴があいたような
思いをしたのではないでしょうか。
省6
229: 2010/11/10(水)13:27 ID:0uVB+nBC(8/9) AAS
子供のころの話ですが、辰彦は疳の虫をよく起こすことがありました。
そんなとき、母はとくに叱りつけるわけでもなく、気が静まるまで、ずっと弟をただ抱きしめていました。
紀子ちゃんも辰彦からそんな話を聞いているでしょうから、3人目の男のお子さまには
そんなふうに接するのではないでしょうか。
辰彦一家の家訓には、「オールウェイズ・スマイル(いつも笑顔で)」というものがありますが、
笑顔で話すことは、相手の気持ちをほぐす意味があります。
さまざまな人種の暮らす欧米社会で、辰彦は「スマイル」の大切さを、身をもって学んだのでしょう。
紀子ちゃんは家訓どおり笑顔を絶やしませんが、その家訓はお子さまにまで伝わっているのだと
思います。
省8
230: 2010/11/10(水)14:44 ID:0uVB+nBC(9/9) AAS
週刊現代 2006.9.23
■ 独占独白 伯母佐藤豊子さん「おめでとう! 私たちの紀子ちゃん」
■ 紀子ちゃんとの山の思い出
■ 祖母が「お妃教育」
2chスレ:emperor
魚拓
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