松果体開発総合【番外編】 (570レス)
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: 2021/03/29(月)19:16
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240: [] 2021/03/29(月) 19:16:13.15 ID:nQc98G1g 瞑想の潮流には大きく分けて2つあって、サマタとヴィパサーナ。 詳しくは調べていただくとして、簡単に言うとサマタは一点に集中して 自分と対象、主と客の境界線を無くして一体化する。 ヴィパサーナは、心の変化を偏りなく見ることで変化の関係性の中で 主客の関係性を消失させる。 この2つの違いは技法の違いではなくパラダイムの違い。 存在論的パラダイムで超越しようとするのがサマタ瞑想。 認知論的パラダイムで超越しようとするのがヴィパサーナ。 釈迦が行ったのは存在論から認知論へのパラダイムシフト。 サマタは想念を消して無意識と繋がる部分「止」として残された。 そしてヴィパサーナで認知論的アウフヘーヴェンを 意識から無意識、気の領域まで深めると もともとその認知のために用意されてる生理的器官の松果体が自然に開く。 世の中の気の修行法の多くは存在論的パラダイムでサマタ的集中の仕方を 選択している、だから努力の割に効果が出ない。 ヴィパサーナ的な方向性は心理的技法として一部に取り入れられているだけ。 釈迦の認知論的パラダイムシフトを再認識して、気の集中の仕方に取り入れるなら 短期間で松果体は開く。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/esp/1607336854/240
想の潮流には大きく分けて2つあってサマタとヴィパサーナ 詳しくは調べていただくとして簡単に言うとサマタは一点に集中して 自分と対象主と客の境界線を無くして一体化する ヴィパサーナは心の変化を偏りなく見ることで変化の関係性の中で 主客の関係性を消失させる このつの違いは技法の違いではなくパラダイムの違い 存在論的パラダイムで超越しようとするのがサマタ想 認知論的パラダイムで超越しようとするのがヴィパサーナ 釈迦が行ったのは存在論から認知論へのパラダイムシフト サマタは想念を消して無意識と繋がる部分止として残された そしてヴィパサーナで認知論的アウフヘーヴェンを 意識から無意識気の領域まで深めると もともとその認知のために用意されてる生理的器官の松果体が自然に開く 世の中の気の修行法の多くは存在論的パラダイムでサマタ的集中の仕方を 選択しているだから努力の割に効果が出ない ヴィパサーナ的な方向性は心理的技法として一部に取り入れられているだけ 釈迦の認知論的パラダイムシフトを再認識して気の集中の仕方に取り入れるなら 短期間で松果体は開く
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