[過去ログ] 【HONDA】F1ホンダエンジン【60基目】 [無断転載禁止]©2ch.net (1001レス)
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23(3): 2015/12/06(日)21:52 ID:en2OH2eR0(1) AAS
■ホンダ世界GP
1959年 経営危機に際し、健全性偽装と社名宣伝を意図し藤沢武夫の発案で二輪世界GPに参戦。
四輪F1GPに参入 1964年 0勝、1965年 1勝、
1966年 0勝、1967年 1勝(ローラシャシー、サーティース('64チャンピオン)、完走4回/12戦)
1968年、宗一郎推しの空冷V8(オーバーヒート・オイル漏れ欠陥持ち)でドライバー事故死、
ローラシャシー・V12エンジン・サーティースで0勝、
フォードコスワースDFVエンジンにボロ負かされF1撤退
〜〜〜15年の歳月〜〜〜
(ホンダ、フォードDFVのコピーに勤しむ)
1983年 ホンダ、エンジンでF1再参入(ルノーから6年遅れのターボ最後発)
1983年ピケ(ブラバムBMW)、1984年ラウダ(マクラーレンTAGポルシェ)
1985・1986年プロスト(マクラーレンTAGポルシェ)がドライバーズタイトル
他エンジンは基本的にF1チームからの注文を受けての、契約額内・担当部署内での開発。
対してホンダは、受注ではなく自主的エンジン参戦であり事実上予算制限のない全社開発体制。
他エンジンが予算問題やターボ規制により開発を撤退/縮小する中、
1987年、ピケ(ウィリアムズホンダ)がタイトル
しかしNAエンジン規定になり、他メーカーも集中的開発体制を取るようになると、
ルノーV10やフォードV8に対しセナを持ってしてもホンダV12は対抗できず、1992年で再度撤退。
2000年 再々度エンジン参戦復帰(結局撤退まで頻繁にエンジンブローを起こし最も脆弱なエンジンだった)
2005年 車重違反工作が発覚し、失格・ポイント剥奪・出場停止処分を受ける。
2006年 ハンガリーGP 荒天レースで上位陣のリタイヤにより優勝(第三期優勝はこの1回のみ)
2008年 雨天のイギリスGPでの3位1回、コンストラクター9位(実質最下位)に終わり再々々度F1撤退。
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