中止されたオリンピック作戦と小コロナ作戦、実行されたブラックリスト作戦(1945年) (224レス)
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2021年のブラックリスト

来日したIOCコーツ氏の“知られたくない黒歴史” 欧米豪メディアの過去記事を探る 東京五輪(飯塚真紀子) - 個人 - Yahoo!ニュース
飯塚真紀子 | 在米ジャーナリスト
6/15(火) 9:39
外部リンク:news.yahoo.co.jp

 東京五輪の開催準備ために、IOC(国際オリンピック委員会)副会長でIOC調整委員会委員長のジョン・コーツ氏が来日した。コーツ氏は、先日、「緊急事態宣言下でも五輪を開催する」と明言し、国内外で大バッシングを浴びたが、そんなコーツ氏には“知られたくない黒歴史”がある。
 それは、2000年の五輪入札に関するエピソードだ。
 2000年の五輪開催地としては、シドニー、マンチェスター、北京、ベルリン、イスタンブール、ブラジリアが入札していた。当時、オーストラリアオリンピック委員会会長(現在もだが)でシドニー五輪入札チームのリーダーでもあったコーツ氏は、何としてもシドニーに五輪を招致したかった。ブリスベンやメルボルンを、それぞれ1992年と1996年の五輪に招致することに失敗していたからだ。

アフリカのIOC委員2名に計7万ドルをオファー

 そこで、コーツ氏は、シドニーに五輪を招致すべく、あの手この手で票を握っているIOC委員たちを接待した。IOC委員たちは入札した都市を訪問することができるが、コーツ氏は、IOC委員たちを、格安の航空運賃でシドニーに招待して高級ホテルに宿泊させたり、オーストラリア移住を望んでいたルーマニアのIOC委員の娘婿に職を斡旋したり、スイスのIOC委員の娘がシドニー大学に入学するのをアレンジしたり、モンゴルのIOC委員に馬を送ったりするなど様々な手を講じてIOC委員たちを喜ばせたという。
 遂には、コーツ氏は、開催地を決める最終投票を前に、アフリカのIOC委員2名にそれぞれ35,000ドルずつ、計7万ドルをオファーしたのである。しかも、そのお金が支払われるのは、シドニーが開催地に選ばれた場合という条件付きだった。
 さらには、オファーのタイミングにも驚かされる。それは1993年9月22日、五輪開催地を選考する最終投票日の前夜だったからだ。オファーは、モンテカルロのホテルで、ディナーを食べながら行われたという。

2票差で北京に勝つ

 オーストラリアのメディアによると、このディナーはコーツ氏にとって重要だった。
 2000年の五輪の候補地として最終的に絞られていたのはシドニーと北京だったが、当時、力を持っていたブラジルのIOC委員が北京の方に投票するようアフリカのIOC委員にロビー活動を行っており、北京が候補地に選ばれることが有力視されていたからだ。焦ったコーツ氏は、アフリカの2名のIOC委員にお金をオファーするという“最後のカード”を切ったわけである。
 その結果、どうなったか。翌日行われた最終投票では、45-43という2票差で、シドニーが北京から候補地を勝ち取った。当然のことながら、アフリカのIOC委員にお金のオファーをしたコーツ氏の“賄賂疑惑”が浮上する。
 “賄賂疑惑”に対し、コーツ氏は、記者会見で、シドニーが勝てなくなると感じたからお金をオファーしたことを認め、そのことは最終投票と関係があるかもしれないと、お金のオファーと投票結果の関係を肯定する発言をした。

賄賂ではない?

 どうみても賄賂にしかみえないお金のオファー。しかし、コーツ氏は、そのお金は賄賂には当たらないと主張した。
 お金はケニアやウガンダのIOC委員という個人に対してオファーしたものではないし、シドニー五輪の入札チームから直接オファーしたものでもない、お金はあくまでオーストラリアオリンピック委員会とケニアやウガンダのオリンピック委員会の間でやりとりされ、ケニアやウガンダのスポーツ振興のために使われるという理由からだ。各国のオリンピック委員会間で交わされるお金のやりとりは、IOCのガイドラインに沿ったもので、IOCのルールには違反していないと釈明したのである。
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