[過去ログ] DQの音楽を語るスレ 第110曲 すぎやんバレエ (1002レス)
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942(1): (ワッチョイ 7f7b-Cwx9) 2021/01/11(月)22:17 ID:l5jsd8GZ0(1/2) AAS
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いまや、国内のみならず世界中のファンからも愛される作品となった「ドラゴンクエスト」シリーズ。その生みの親である堀井雄二さん(67)に、同作のルーツや創作の秘密、今後の「ドラゴンクエスト」について聞いた。
――86年、その「ドラゴンクエスト」が発売され、「国民的RPG」と呼ばれるほど人気のゲームになりました。
80年代前半はプレーヤーが行動を選択して物語が進んでいくアドベンチャーゲームがはやっていました。でも謎解きに詰まってしまうとプレーヤーのやることがなくなっちゃうんです。その点、RPGならレベル上げで遊べる。ただ当時「ウィザードリィ」(81年)のようなRPGはありましたが、自由度が高い分、何をしていいのかわからない人も多かった。そこで、シナリオを作ることでレールを引いてあげれば、とっつきやすくなるんじゃないかと考えたんです。83年に発売されたファミコンは、ゲームセンターでやるようなゲームを家で遊べるという点で画期的でした。「もしファミコンでRPGを遊べたら、きっと皆がハマるんじゃないか?」と思い、それで、ファミコンの世界でRPGを表現しようと決めて、エニックス(現在はスクウェア・エニックス)に打診したんです。
中略
――発売当時の「ドラゴンクエスト」は新しく画期的な作品でしたが、受け入れられる自信はありましたか?
当時のRPGはマニアックな分野だったので、いきなりファミコンに持ち込むのはハードルが高いという見方もありました。それを見越して、実は担当していたジャンプのゲーム紹介ページで、「RPGはこんな遊びだよ!」「こんなに面白いよ!」と啓発していたんです。ジャンプでさんざん啓発していたので、わからないことはないだろうと(笑)。
――シリーズを重ねるごとにゲームのシステムも様変わりしていきました。
「I」ではデータの容量がかなり限られていたので、職業や転職など、やりたかったことをほとんど切り捨てました。「II」になると容量が倍に増えて、できることが増えていった。「ロト三部作」の最後になった「III」では、やりたかったことを全てやり終えた感じでしたから、「IV」では「何をしようか」とずいぶん悩みました。前作が社会現象になって期待が高まっていた分、プレッシャーだらけでした。
――シリーズの中で一番苦労したのは「IV」ですか?
いや。実は「VII」ですね。ちょうどその作品から、メディアがCD−ROMになったんです。容量を気にしなくなったことで、世界を大きくし過ぎて、逆に開発が終わらなくなり、発売が2年も延びてしまいました。プレイ時間も長くなったので、プレーヤーも大変だったと思います(笑)。
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