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真・三國無双8 Part57 (1002レス)
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383
: 2018/01/25(木)22:53
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383: [sage] 2018/01/25(木) 22:53:49.70 ●長沙近河戦 188年 24歳 陰陽族は舟山を脱した後は、孫堅の水軍に退路を絶たれていたために淮河には戻らず長江へと逃げ活動拠点を移した しかしその一帯は孫堅による統治が行き届いていたため、蒋欽らは孫堅を畏れ、孫堅らが遠征に赴いていた留守を狙って官軍船に攻撃を仕掛けていた 孫堅は区星の乱を鎮圧すると、いよいよ陰陽族の取り締まりに本腰を入れ、文台四帥に蒋欽と周泰を生け捕りにすることを命じた 孫堅が偽の遠征で長沙を留守にするように見せかけ、長沙近河に輸送船を出すと、陰陽族が襲撃してきたために輸送船に潜んでいたい黄蓋らが顔を出し迎撃した 黄蓋は「お前たちは一体何のために水賊をしているのか。この長江に国でも築くつもりなのか。今、長沙の民はみな安らかに暮らしている。孫家の治世は確かなものであり、それは行く末は大陸全土に広がるであろう。それに比べてお前たちのしていることに先はあるのか」と言い 韓当は「んふふふふ。俺はあちこちの賊を討伐するのが趣味のようなものだ。だが残念なことに今度は生け捕りにせよと命じれられているのだ。ただでは返さんぞ」と陰陽族に帰順を勧めるが、蒋欽らは死に物狂いで抵抗した すると程普は「お前は民を襲わないそうだが、お前が襲った官軍の兵もまた民であり家族がある。お前のしていることは所詮賊徒のそれである」と諭し、 祖茂は周泰に向け「我ら兵は物言わぬ刃であるが、その意は全て主にある。そなたの頭領には文台殿に勝る義があると思うのか」と問いかける 陰陽族はなんとか壊滅を免れたが、揚州を追われることとなる 後に孫堅は、蒋欽らを帰順させられなかったことを悔やんだが、いずれ孫家の力になるだろうから蒋欽らが仕官してきたときは厚く迎えるよう諸将に言い含めた ●長江抗争戦 190年 26歳 https://www.youtuberepeat.com/watch?v=AyueD8nNp5E 孫堅の的確な取り締まりにより揚州から追いやられた陰陽族は、益州にまで活動拠点をずらさざるを得なくなっていた そこで、甘寧率いる水賊の錦帆族と接触する このときの甘寧は、劉焉に従い馬相の乱では多くの益州黄巾賊を討伐して大功を立てていたが、劉焉から冷遇を受け非常に荒れていた 錦帆賊は蛋民も構わず襲って略奪して回っていたので、これに腹を立てた蒋欽らは錦帆賊に喧嘩を売った 蒋欽は「蛋民を襲うのは水賊の道義に反する」と咎めたが、甘寧は「陰陽族の噂は知っている。戦で功を立てたこともない義賊気取りの素人が何を抜かす」と取り合わず乱闘騒ぎは酷さを増した 互いに疲れ果てるまで闘ったが決着はつかず、両軍共に倒れ込む そこで蒋欽は文台四帥に言われた言葉を独り言のように呟くと、甘寧は有難い言葉だと応え、蒋欽も全くだと笑いあった 陰陽族と錦帆族は酒を酌み交わし和睦すると、それぞれに引き揚げていった この後甘寧は錦帆族を解散し、書を読むようになり、蒋欽らも水賊稼業から足を洗い仕官の道を探った ●丹陽の戦い 192年 28歳 https://www.youtuberepeat.com/watch?v=2wfff3QHBBY&index=23 蒋欽は陰陽族を解散すると、部下たちを食客とし各地で仕官の口を探したが、役人たちは陰陽族を恐れ取り合わなかった 仕方なく故郷の九江郡に帰ろうとしていたとき、通り掛かった丹陽の地で騒動に出くわす かつて孫堅の取り締まりにあり散り散りに逃げた祖郎ら丹陽道教団が再び結集し、今度は孫堅の後を継いだ孫策の陣営を襲撃していたのだ 蒋欽らは祖郎を止めるために割って入り、それは結果的に窮地に陥っていた孫策を救うこととなる 蒋欽らの加勢により形勢逆転し祖郎らは撤退した 孫策は蒋欽らを讃え迎えると、彼らが仕官に困っていることを聞き孫家に食客として迎えた http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamehis/1516806816/383
長沙近河戦 年 歳 陰陽族は舟山を脱した後は孫堅の水軍に退路を絶たれていたために河には戻らず長江へと逃げ活動拠点を移した しかしその一帯は孫堅による統治が行き届いていたため蒋欽らは孫堅を畏れ孫堅らが遠征に赴いていた留守を狙って官軍船に攻撃を仕掛けていた 孫堅は区星の乱を鎮圧するといよいよ陰陽族の取り締まりに本腰を入れ文台四帥に蒋欽と周泰を生け捕りにすることを命じた 孫堅が偽の遠征で長沙を留守にするように見せかけ長沙近河に輸送船を出すと陰陽族が襲撃してきたために輸送船に潜んでいたい黄蓋らが顔を出し迎撃した 黄蓋はお前たちは一体何のために水賊をしているのかこの長江に国でも築くつもりなのか今長沙の民はみな安らかに暮らしている孫家の治世は確かなものでありそれは行く末は大陸全土に広がるであろうそれに比べてお前たちのしていることに先はあるのかと言い 韓当はんふふふふ俺はあちこちの賊を討伐するのが趣味のようなものだだが残念なことに今度は生け捕りにせよと命じれられているのだただでは返さんぞと陰陽族に帰順を勧めるが蒋欽らは死に物狂いで抵抗した すると程普はお前は民を襲わないそうだがお前が襲った官軍の兵もまた民であり家族があるお前のしていることは所詮賊徒のそれであると諭し 祖茂は周泰に向け我ら兵は物言わぬ刃であるがその意は全て主にあるそなたの頭領には文台殿に勝る義があると思うのかと問いかける 陰陽族はなんとか壊滅を免れたが揚州を追われることとなる 後に孫堅は蒋欽らを帰順させられなかったことを悔やんだがいずれ孫家の力になるだろうから蒋欽らが仕官してきたときは厚く迎えるよう諸将に言い含めた 長江抗争戦 年 歳 孫堅の的確な取り締まりにより揚州から追いやられた陰陽族は益州にまで活動拠点をずらさざるを得なくなっていた そこで甘寧率いる水賊の錦帆族と接触する このときの甘寧は劉に従い馬相の乱では多くの益州黄巾賊を討伐して大功を立てていたが劉から冷遇を受け非常に荒れていた 錦帆賊は蛋民も構わず襲って略奪して回っていたのでこれに腹を立てた蒋欽らは錦帆賊に喧嘩を売った 蒋欽は蛋民を襲うのは水賊の道義に反するとめたが甘寧は陰陽族の噂は知っている戦で功を立てたこともない義賊気取りの素人が何を抜かすと取り合わず乱闘騒ぎは酷さを増した 互いに疲れ果てるまで闘ったが決着はつかず両軍共に倒れ込む そこで蒋欽は文台四帥に言われた言葉を独り言のようにくと甘寧は有難い言葉だと応え蒋欽も全くだと笑いあった 陰陽族と錦帆族は酒を酌み交わし和睦するとそれぞれに引き揚げていった この後甘寧は錦帆族を解散し書を読むようになり蒋欽らも水賊稼業から足を洗い仕官の道を探った 丹陽の戦い 年 歳 蒋欽は陰陽族を解散すると部下たちを食客とし各地で仕官の口を探したが役人たちは陰陽族を恐れ取り合わなかった 仕方なく故郷の九江郡に帰ろうとしていたとき通り掛かった丹陽の地で騒動に出くわす かつて孫堅の取り締まりにあり散り散りに逃げた祖郎ら丹陽道教団が再び結集し今度は孫堅の後を継いだ孫策の陣営を襲撃していたのだ 蒋欽らは祖郎を止めるために割って入りそれは結果的に窮地に陥っていた孫策を救うこととなる 蒋欽らの加勢により形勢逆転し祖郎らは撤退した 孫策は蒋欽らを讃え迎えると彼らが仕官に困っていることを聞き孫家に食客として迎えた
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