[過去ログ] 真・三國無双8 Part118 (1002レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
494: 2018/03/29(木)01:42 AAS
■189年〜190年 自由行動
●虎牢関の戦い 191年 28歳 外部リンク:www.youtuberepeat.com
泰山での惨劇から回復していた昌氏は再び二胡を手に取るようになり、于禁が戦に出立するときは二胡の音で送り出していた
于禁は鮑信軍の将として反董卓連合に加わった
鮑信軍は呂布の猛威を避けるため曹操軍と共に迂回路の間道を攻めたが、左右に李傕、郭汜を展開した精強な徐栄の軍に阻まれた
汜水関や虎牢関での関羽や孫堅軍の活躍の知らせを聞いて、鮑信の弟の鮑忠は功を焦り不用意な突出をして戦死してしまう
さらにそれを止めようとした鮑信配下の衛弘までも討たれたことで、狭い間道で将を失った前線部隊は混乱し、それに巻き込まれて曹操軍も総崩れとなる
鮑信と曹操は負傷し撤退を余儀なくされたが、李傕、郭汜が激しい追撃をしてくるのを于禁は曹操軍の夏侯惇ら猛将たちと共に迎え撃った
この時の活躍を見て曹操は于禁に注目するようになる
やがて虎牢関が突破される報告が入ると、徐栄軍は本体の援護のため撤退したので曹操は夏侯惇ら諸将に本体と合流するよう命令すると、鮑信と共に撤退した
●青州黄巾賊討伐戦 192年 29歳
鮑信が曹操と共に青州の黄巾賊残党を討伐することになったため、于禁はそれに従軍することになる
出立のとき、昌氏は「私にはもうあなたしかいないのだから、どうか私を一人にしないでくださいませ」と、いつものように昌氏は二胡の音で送り出した
于禁が駐屯地に到着すると、偵察に出ていた鮑信と曹操が黄巾残党軍に包囲されたという急報が入る
于禁はそのままの足で急行し包囲網を突破したが、救助できたのは曹操だけで、曹操を守った鮑信は戦死してしまう
主君を失った于禁だったが、于禁の才に注目していた曹操が配下に招くとそれに応じ、鮑信の仇討ちも兼ねて青州黄巾軍を散々に打ち破った
●泰山奪還戦 193年 30歳
中原を襲った蝗による飢饉に悩んでいた陶謙に、元黄巾賊の部下張闓が下邳の闕宣との同盟を勧めた
闕宣は泰山の寺院に収められていた宝具の神農赭鞭を盗み出してきた者で、それにより稲を生み出し、豊穣をもたらした奇跡を広め天子を名乗り評判を集めていた
陶謙が下邳へ赴くと、闕宣は早速術を披露したが生み出す稲の量が少なくとても州の民を食べさせられるとは思えなかった
陶謙が眉をひそめていると、闕宣から「泰山の寺院にはまだたくさんの神仙の宝物がある、それを用いればこの飢饉を切り抜けられよう」と襲撃計画を持ちかけられる
略奪に難色を示した陶謙だったが、毎日のように徐州の民が飢饉への助けを求めてきていることを思うと、やむにやまれず闕宣の計画に乗った
しかし泰山は曹操の所領であったため、その反撃を懸念した陶謙は、曹操の父曹嵩が兗州へ招かれてる動きに乗じ、それを張闓に手厚く護衛させることで恩を売って恨みを避けようとした
泰山襲撃はすぐに曹操に伝わり、それを聞いた于禁は故郷の大事と志願してすぐさま討伐に出る
于禁を送り出す昌氏の二胡の音色は、故郷を想う不安なものであった
于禁が泰山に布陣する頃、陶謙の陣内では揉め事が起きていた
張闓が護衛する曹嵩の一団が丁度泰山を通り、その惨状を見た曹嵩が陶謙らを激しく叱責した
陶謙は返す言葉もなく立ち尽くしたが、曹嵩を恨んだ闕宣は、張闓に曹嵩の殺害と共に所有している一団の馬車一杯の財物を奪い山分けすることを持ちかける
それに応じた張闓は闕宣と共に曹嵩の家族を皆殺しにすると、青ざめた陶謙は闕宣を咎め斬り殺したが、その隙に張闓は財宝の乗った馬車を奪い逃走した
于禁が闕宣軍を攻略して陶謙の本陣に近づくと、陶謙は闕宣の首を差し出し事情を説明したが怒りに燃える于禁には通じず、陶謙は曹嵩殺害の汚名を着たまま撤退せざるを得なかった
于禁が曹嵩一家の亡骸と共に帰還し事態を説明すると、曹操は烈火のごとく怒り狂った
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 508 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.010s