[過去ログ] 真・三國無双8 Part136 (1002レス)
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823
(7): (ワッチョイ 6b7f-oI+E [218.46.118.185]) 2018/08/28(火)22:30 ID:KqjHuLbc0(2/2) AAS
まじかー
関羽、ウキンがなんやかんや言って終るというズコーな終わりかたしてポカーンやったわ
826: 2018/08/28(火)22:48 AAS
>>823
そう。あの話では筋が通らない
だから于禁文則にはこういうことが必要

于禁文則 鴛鴦三叉 エンオウサンサ
実在武器の閉血鴛鴦幡画像リンク[jpg]:i1.kknews.ccがモチーフ
穂先がフォーク型の槍で、ストックにある鉄製の鳥像がトリガーフローで分離して怪鳥となって飛び回って、
敵を啄く、引っ掻く、撥ね飛ばす、目から怪光線を出す、口から火を吐く、など暴れ回る
フォーク穂の刃の数は3本で、三尖刀持ちだった頃の名残にする
TPSモードではフォークを地面に突き立てて、怪鳥を飛ばしてドローンのような視点で操作して怪光線で空爆できる
動画リンク[YouTube]
省33
827: 2018/08/28(火)22:48 AAS
>>823
■189年〜190年 自由行動
●虎牢関の戦い 191年 28歳 外部リンク:www.youtuberepeat.com
泰山での惨劇から回復していた昌氏は再び二胡を手に取るようになり、于禁が戦に出立するときは二胡の音で送り出していた
于禁は鮑信軍の将として反董卓連合に加わった
鮑信軍は呂布の猛威を避けるため曹操軍と共に迂回路の間道を攻めたが、左右に李傕、郭汜を展開した精強な徐栄の軍に阻まれた
汜水関や虎牢関での関羽や孫堅軍の活躍の知らせを聞いて、鮑信の弟の鮑忠は功を焦り不用意な突出をして戦死してしまう
さらにそれを止めようとした鮑信配下の衛弘までも討たれたことで、狭い間道で将を失った前線部隊は混乱し、それに巻き込まれて曹操軍も総崩れとなる
鮑信と曹操は負傷し撤退を余儀なくされたが、李傕、郭汜が激しい追撃をしてくるのを于禁は曹操軍の夏侯惇ら猛将たちと共に迎え撃った
この時の活躍を見て曹操は于禁に注目するようになる
省22
828: 2018/08/28(火)22:49 AAS
>>823
●徐州復讐戦 194年 31歳
徐州への侵攻を宣言した曹操に、郭嘉が徐州へ攻め入るときは民を殺すよう献策した
あまりの申し出に肝が冷えた曹操は一時怒りを仕舞い込み「そのようなことをしては天下に示しがつかぬ」と郭嘉にその真意を尋ねると「陶謙がこのような行為に及んだ原因は飢饉によるものでしょう。しかしそれは我らとて同じです。
青州黄巾の民百万を受け入れた矢先にこの飢饉。これを捨て置けばいずれ我らも陶謙と同じ蛮行に走らざるを得ますまい。今曹操殿には陶謙を討つ復讐の義ができました。その怒りを隠れ蓑にし徐州の民を除き、そこに青州黄巾の民を入れるのです」と答えた
これに曹操は感嘆し、曹嵩の亡骸を今一度見て自らを鼓舞すると、徐州の全てを抹殺する命令を出した
諸将らが納得できずにいると郭嘉は「各々方の悩みは私が引き受けます。民を討つ軍は私で用意しますので、諸将は武門の敵のみお討ちください」と説いたが、曹操はそれを制し「このような業を部下に擦り付けるほど儂は狭量ではない。その役目は青州兵を率い儂自らが担おう」と先頭に立った
出陣する于禁を、昌氏は于圭を連れて「この子にはあなたの教えが必要です。どうか生きてお帰りください」と二胡の音で送り出した
于禁は広威城を攻めると、陶謙の増援として公孫瓚麾下の劉備軍が現われるが、李典、楽進らと協力して桃園三兄弟を退け広威を陥落させる
●兗州奪還戦 195年 32歳
省20
829: 2018/08/28(火)22:49 AAS
>>823
●下邳の戦い 198年 35歳 外部リンク:www.youtuberepeat.com
曹操は下邳で呂布を包囲すると、昌氏は「呂布は恐ろしい相手です。くれぐれもご自重ください」と于禁を送り出すが、于禁は「今の我が軍は艱難辛苦を乗り越え結束が固いのだ。足並みの揃わない呂布の軍勢など恐るるに足らぬ」と鼻息も荒く出かけて行った
于禁はここでも李典、楽進と協力して呂布軍を散々に打ち破るが、戦いの最中意外な人物と再会した
それは呂布軍に援軍としてやってきた、臧覇の元に身を寄せていた昌豨であった
于禁は昌氏が息災であることを伝え曹操に降るよう勧めるが、昌豨は怒りを以てそれを撥ね付けた
「俺は陶謙の元にいたが、奴の泰山攻めには参じずに奴の元を離れた。それなのに曹操は徐州で民に虐殺を働いた。皆殺しにされた中には俺の妻子もいたのだ」そう言う昌豨の怒りは相当なものであり、于禁の取り付く島もなく互いの鴛鴦三叉が交錯する
呂布が敗れると、撤退した臧覇と共に昌豨も行方をくらました
●Q母討伐戦 199年 36歳
東郡でQ母が反乱を起こし、それが昌豨と通じていると聞いた于禁は、呂虔の討伐軍に志願して従軍した
省17
830: 2018/08/28(火)22:49 AAS
>>823
■201年〜205年 自由行動
●昌豨最終討伐戦 206年 43歳
昌豨は曹操の徐州虐殺に恨みを持つ者らを兵として集め故郷の泰山を乗っ取ると、再び反乱を起こした
事の仔細の報告を受けていた曹操は于禁に決着をつけて来いと命令すると、于禁は昌豨とゆかりのある臧覇を伴い討伐軍を出す
それを送り出す昌氏の二胡にも決意の音色が漂っていた
于禁と昌豨は、もはや言葉もなく鴛鴦三叉を激突させた
于禁は「私が司令である以上、お前であろうと軍令に則り処刑せねばならぬ」と言うと、昌豨は「望むところだ」と応じた
曹操を憎む反乱軍の気力は予想外の善戦を生み曹操軍は押し返されそうになるが、夏侯淵の部隊が援軍として入ることで制圧を推し進めた
やがて反乱軍は殲滅され、昌豨ただ一人が残った
省24
831: 2018/08/28(火)22:49 AAS
>>823
■210年 自由行動
●潼関の戦い 211年 48歳
昌氏は于圭のために二胡を奏で見送った
李典を支援して馬超軍を迎え撃つと、猛将龐徳が于圭を襲った
龐徳の勢いに于圭は腰を抜かし、危うく斬られそうになったところを于禁が助けに入った
「そのような情けないありさまは、それがしが聞き及んだ常勝の于将軍とその精兵にあらず。なぜそのような未熟者を戦場に連れているのか」と龐徳が問うと、「私の息子を愚弄するか」と于禁は怒ったが、
「愚弄したのではない。戦場のありようを説いたまで。それがわからぬ于将軍ではあるまい」と屹然と返された
その後韓遂が馬超から離反し西涼同盟軍が瓦解したため龐徳は撤退した
●青泥の戦い 212年 49歳
省4
834: 2018/08/28(火)22:51 AAS
>>823
>>823
■213年〜218年 自由行動
●樊城の戦い 219年 56歳 外部リンク:www.youtuberepeat.com
関羽が樊城を攻めたという報に、曹操は于禁を援軍として出す
大雨により昌氏の二胡は鳴り響かず、昌氏は二胡を強く弾きすぎたため弦が切れてしまう
凶兆に取り乱した昌氏は、「兄も死に、私どもにはもうあなたしかいないのです。どうか、どうか生きてお帰りください」と于禁に縋り付いた
雨で体が冷えて体調が優れなかった于圭を残し、于禁は静かに出立した
于禁は龐徳を副将に付け、七軍の大軍勢を率いて樊城に向かったが、龐徳とは潼関の一件から仲が悪く軍の足並みは揃わなかった
その上龐徳は新参の将として曹操軍の中では肩身が狭く、転戦した各地で韓遂の件を持ち出され西涼人は二心ありとからかわれ続けていて疑心暗鬼になっていて、ますます于禁とは溝が深まった
省25
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