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【インディーズ】諸派・無所属列伝 復刻巻四【泡沫】 (940レス)
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(ワッチョイ 6388-gwOC
[157.147.178.217])
2019/08/14(水)23:29
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332: (ワッチョイ 6388-gwOC [157.147.178.217]) [sage] 2019/08/14(水) 23:29:06 ID:IYAs6CXZ0 れいわとN国党に通じる不安な個人への訴求力 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190814-00297287-toyo-bus_all 参院選で世間の注目を集め、その後も話題が尽きない「れいわ新選組」と「NHKから国民を守る党」(N国党)。 この2つの政党の台頭を強引に一言で説明するとすれば、 「政治とメディア」をめぐる状況の地殻変動に根差す「直接民主主義的なものへの期待感」が、 「国政選挙」へダイレクトに反映された結果ということになるだろう。そして、今後この動きは加速しそうだ。 「誰が本当のことを語っているか」についての「リアリティーの分断」が深刻化するかもしれない。 「政治とメディア」をめぐる状況の変化は、2013年の公職選挙法改正が起点だ。 同年4月からインターネットによる選挙運動が解禁され、同年7月の参院選から実質的に導入された。 それから6年を経てついに新しいフェーズに突入したと言っていい。 ■ソーシャルメディアを巧みに使った「れいわ」 「れいわ」は、短期間の間にソーシャルメディア上で効果的な情報発信をした。ライブ配信をはじめ代表の山本太郎氏の演説動画をアップし、 公約の訴え方、候補者の人選を含めて「エンターテインメント性」の高いコンテンツに仕上げ、 「れいわ祭り」と銘打った街頭演説会は、野外フェスのような熱気に包まれ、参加者の当事者意識を呼び覚ました。 両党に共通しているのは2つ。直接民主主義に近い感覚をもたらす「政治家と対話が可能な距離感」と、 絶望的な社会状況に嫌気が差している多様な階層に対する「個人的な不安へのアプローチ」の重視である。 「れいわ」は最初から有権者と直接コミュニケーションができる「街頭演説」に軸足を置いていた。 そこでは、山本氏が自ら言及していたように「想定外の質問」なども寄せられる。 当然手元に資料がなかったり、勉強不足で答えられなかったりするものも出てくる。 一般的に、政治家にとってリスキーともいえる場だが、それを「市井の人々」に直に向き合う機会と捉え、 「庶民と対話できる政治家」というブランディングに見事成功した。 自分たちの声を確実に国政に届けてくれるという信頼性を獲得したのである。 9月以降、山本氏は全国を「しつこく回る」と言っており、この運動のスキームはより盤石なものになりそうだ。 ■利益団体にではなく、「庶民」に寄り添うスタイル 既存の政党は、基本的にいくつかの主要な利益団体の意見を吸い上げざるをえないため、 表向き口当たりのいいことを言っていても、 最終的に「庶民」が切実に求めている政策から乖離しやすく、個々の政策の優先度にもズレが出がちだ。 だが、れいわとN国党はその手段や方向性にかなりの違いがあるものの、 「消費税廃止」「NHKのスクランブル化」という庶民の生活実感に密着した公約を打ち出し、 前述のような個人の意見に耳を傾けるスタイルを貫いている。 もちろん、両党とも議会制民主主義=間接民主主義の枠組みの中にいる。 しかし、山本氏は政見放送で「私たちがお仕えするのは、この国に生きるすべての人々」と言い、 立花氏は「令和の百姓一揆」と表現したように、どこかの利益団体に与せず「一人ひとりの庶民の意志」に従うイメージを明確に掲げ、 支持者らに「政治上の意志決定への直接参加」に近い納得感を与えている。 いわば“間接化”の弊害によって、自分の存在すら認知してもらえず、社会的に屈辱的な境遇を強いられ、 未来の展望を描けない世界にノーを突き付ける「直接民主主義的なものへの期待感」である。これをポピュリズムと言い切るのは簡単だが、 「れいわ」も「N国党」も右派・左派系問わず広範な人々を取り込んでいることが、 既存の政治体制に対する「絶望の深さ」を表してしまっている。 ■「れいわ」と「N国党」が支持された必然 言うまでもないことだが、「誰が本当のことを語っているか」は自明ではない。 1つの真実などというものはなく、現実は多層的である。 しかし、「消費増税で商売が苦しくなったり、家計が圧迫されている人」 「NHKの受信料を支払う余裕がなかったり、集金人に困っている人」などが身近にいなければ、 今回の2党の躍進をそもそも“リアルなもの”として受け止めることすらできないだろう。 「リアリティーの分断」は、この日本社会の想像を絶する地盤沈下の進行についての現状認識のギャップから始まっている http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1562111025/332
れいわと国党に通じる不安な個人への訴求力 参院選で世間の注目を集めその後も話題が尽きないれいわ新選組とから国民を守る党国党 このつの政党の台頭を強引に一言で説明するとすれば 政治とメディアをめぐる状況の地殻変動に根差す直接民主主義的なものへの期待感が 国政選挙へダイレクトに反映された結果ということになるだろうそして今後この動きは加速しそうだ 誰が本当のことを語っているかについてのリアリティーの分断が深刻化するかもしれない 政治とメディアをめぐる状況の変化は年の公職選挙法改正が起点だ 同年月からインターネットによる選挙運動が解禁され同年月の参院選から実質的に導入された それから年を経てついに新しいフェーズに突入したと言っていい ソーシャルメディアを巧みに使ったれいわ れいわは短期間の間にソーシャルメディア上で効果的な情報発信をしたライブ配信をはじめ代表の山本太郎氏の演説動画をアップし 公約の訴え方候補者の人選を含めてエンターテインメント性の高いコンテンツに仕上げ れいわ祭りと銘打った街頭演説会は野外フェスのような熱気に包まれ参加者の当事者意識を呼び覚ました 両党に共通しているのはつ直接民主主義に近い感覚をもたらす政治家と対話が可能な距離感と 絶望的な社会状況に嫌気が差している多様な階層に対する個人的な不安へのアプローチの重視である れいわは最初から有権者と直接コミュニケーションができる街頭演説に軸足を置いていた そこでは山本氏が自ら言及していたように想定外の質問なども寄せられる 当然手元に資料がなかったり勉強不足で答えられなかったりするものも出てくる 一般的に政治家にとってリスキーともいえる場だがそれを市井の人に直に向き合う機会と捉え 庶民と対話できる政治家というブランディングに見事成功した 自分たちの声を確実に国政に届けてくれるという信頼性を獲得したのである 月以降山本氏は全国をしつこく回ると言っておりこの運動のスキームはより盤石なものになりそうだ 利益団体にではなく庶民に寄り添うスタイル 既存の政党は基本的にいくつかの主要な利益団体の意見を吸い上げざるをえないため 表向き口当たりのいいことを言っていても 最終的に庶民が切実に求めている政策から離しやすく個の政策の優先度にもズレが出がちだ だがれいわと国党はその手段や方向性にかなりの違いがあるものの 消費税廃止のスクランブル化という庶民の生活実感に密着した公約を打ち出し 前述のような個人の意見に耳を傾けるスタイルを貫いている もちろん両党とも議会制民主主義間接民主主義の枠組みの中にいる しかし山本氏は政見放送で私たちがお仕えするのはこの国に生きるすべての人と言い 立花氏は令和の百姓一と表現したようにどこかの利益団体に与せず一人ひとりの庶民の意志に従うイメージを明確に掲げ 支持者らに政治上の意志決定への直接参加に近い納得感を与えている いわば間接化の弊害によって自分の存在すら認知してもらえず社会的に屈辱的な境遇を強いられ 未来の展望を描けない世界にノーを突き付ける直接民主主義的なものへの期待感であるこれをポピュリズムと言い切るのは簡単だが れいわも国党も右派左派系問わず広範な人を取り込んでいることが 既存の政治体制に対する絶望の深さを表してしまっている れいわと国党が支持された必然 言うまでもないことだが誰が本当のことを語っているかは自明ではない つの真実などというものはなく現実は多層的である しかし消費増税で商売が苦しくなったり家計が圧迫されている人 の受信料を支払う余裕がなかったり集金人に困っている人などが身近にいなければ 今回の党の躍進をそもそもリアルなものとして受け止めることすらできないだろう リアリティーの分断はこの日本社会の想像を絶する地盤沈下の進行についての現状認識のギャップから始まっている
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