[過去ログ] 【世界大戦】自由民主党の派閥22【河破朋充】 (609レス)
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244: (ワッチョイ cb33-qyjv) 2022/11/12(土)01:03 ID:CbOFe20H0(2/3) AAS
題『人間は何故に生きるか』
先生のコメントがあり、作文の冒頭の様に質問されて、おろおろすると云う書き方をしている故、
この筆者は女性であることが分る、と仰られた。
そして、このレポートは、この質問の答えを模索する形で進行し、結ばれる。
これを先生は、
次の段階即ち、小我を脱した心の世界、その世界をおぼろげに感じ取った、初覚の意識を描いたものとし、第七識上層であると指摘された。
先生は、人が新しい世界を発見してゆく時、初覚し、認識し、自覚すると云う三段階を経て完全なものになると考えられている。
言葉で云うならば、初覚はあるものが存在すると云う予感あるいは直観の様なもの、
あると定かには云えないがある、そのあるものに心を澄ませると惹かれてゆく、そう云う段階であろう。
1902年の二変数冪級数(にへんすうべききゅうすう)についてのFabryの定理などはこれに当たるのであろうか。
“この発見は多変数函数の固有な分野の発展に対して、最初に投げられた淡い光の様である。”とこの定理を指して云っておられたと云う
(『数学の歩み』西野利雄『岡先生の研究について』による)。
そして、認識の段階とは、それがもう疑念の余地無くはっきりとある。
これがそうだと云う様に、言葉で指摘しうる程に明らかになった状態を云う。
自覚とは、いつでもその世界を他の助け無しに自分の力で現出させ、展開することが可能になった段階を指して云う。
さて、前の作文が何故、第七識中層なのか、
先生によれば、第七識とは自我と物質的世界観の心である。
小我の世界である。仏教はこの小我を脱するところまでを教えてくれている。
西洋の文化は原則的に、第七識で作られている。
アメリカなどはほとんどそれだけであり、ほとんど文化は無く文明だけである。
ヨーロッパではキリスト教が入っている分だけまだましであると云う意味のことを先生は云われた。
畢竟第七識を考察することは、西洋を考察することである。
西洋はつまるところ、ギリシャとキリスト教である。
その両者を貫いているものは、ロゴス即ち世界の内的必然性へ向かおうとする人間の意志である。
この意志がある時は、ライプニッツやヘーゲルの様な形で世界を一つの思弁的模型として理解する。
その様な、悟性を以て認識する心の例として、先生はこの作文を置かれたのではないかと僕は思っている。
この第七識が僕の躓きの石である。数学を通じて僕は小我から離れる修業をしたい。
それでは、小我無き世界、自他の別無き世界と云うのはどの様なものなのだろう。先生の文章を引用させて戴く。
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