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【世界大戦】自由民主党の派閥22【河破朋充】 (609レス)
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(ワッチョイ dd33-mxiu)
2022/11/17(木)07:51
ID:44uDX+MZ0(8/8)
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260: (ワッチョイ dd33-mxiu) [] 2022/11/17(木) 07:51:27.19 ID:44uDX+MZ0 首藤剛志が圧倒的カリスマであったことは疑う余地がない。 その色が強すぎるが故に、ポケットモンスターという世界観には合わない作風ですらあった。 しかし、「生命の意義」「共存という在り方」「家族の定義」を持ち込むことにより、ポケモン映画を子どもだけの作品にとどめなかったのだ。 そして「キミにきめた!」では彼のボツ案が使われている。これは彼の残した日記調のサイトにて明らかになっている。 「言葉を話すピカチュウ」 「ポケモンのいない世界を生きるサトシ」 どれもポケモンという作品の概念を揺るがす設定だ。しかしここで首藤剛志の残した遺産を清算する必要があったのだろう。 本当の意味で劇場版ポケットモンスターが生まれ変わったのは、首藤剛志という呪いを解いた「みんなの物語」だと私は考えている。 話を本題に戻すと、ポケモン映画は一度、「親子愛」というテーマに触れている。 「結晶塔の帝王エンテイ」は、娘の願いにより姿形の変わった父親が過剰な愛を注ぐ物語である。 最新作「ココ」と比べると、「結晶塔の帝王」の完成度は異常に高い。しかし同時に、わかりにくくもある。 「ココ」で描かれる親子愛は、ココを拾ったザルードが人間とポケモンの垣根を越える様を示す。 ザルードはポケモンでありながら父親としての役割を果たすため、どんな状況であろうと駆けつける存在として描かれている。 しかし、ザルードがどうしてココに対しそこまで入れ込むのか?という理由付けがどうしても弱かった。 ザルード自身も親を知らない、という設定はあったが、うまく絡んでいなかったと思う。 「結晶塔の帝王」は非常に単純で、本当の親子は、姿が変わっても愛だけは残る、という見せ方であった。 当事者たちにしか理解できない領域に、他者を踏み込ませない。(サトシは母親をさらわれたが故に不可抗力でその領域に踏み込んでいく) しかし「ココ」よりもわかりにくいのは、父と娘が互いをどう思っているのか、それについての言及がすくないことにある。 ある意味邦画的であり、悟らせることの美学がにじみ出ていると感じられる。 劇場版ポケットモンスターはこれから先、「わかりやすさ」を求めた作風へと舵をきっていくのだろう。 これは大きくなりすぎたコンテンツの向かうべき姿で、首藤剛志の作る世界が異常であったのは確かだ。 けれど、これは今を受け入れられない幼い大人の意見ではあるが、わかりやすさのために作品の質を犠牲にして欲しくはない。 親子愛を描いた作品は、実はもうひとつある。 それは、「ルギア爆誕」だ。 「ルギア爆誕」自体のテーマは「共存」である。だからこそ、本筋ではないとあるシーンが輝いている。 あまりにも有名なシーンではあるが、物語のラスト、世界を救ったサトシに母親が声をかける場面。 「世界を救う?命がけですること? サトシがいなくなったら、サトシの世界はもうないの。 私の息子はもういないの! あなたがいるから、世界があるの。 サトシ、あなたはこの世界で何をしたかったの…?」 1時間半をかけて愛の形を語るのではなく、たった数行の台詞だけで愛のすべてを表すこともできる。 誰にでも伝わる言葉ではなく、私の言葉が誰かに偶然伝わるかもしれない、そんなスタンスの映画を私は求めている。 追記 ソーナンスのファンを務めてもう20年くらいだろうか。 オリジナルシリーズのソーナンス、かわいすぎる。これだけは絶対にやめないで欲しい。(アニポケ版もかわいいけれど) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1657313204/260
首藤剛志が圧倒的カリスマであったことは疑う余地がない その色が強すぎるが故にポケットモンスターという世界観には合わない作風ですらあった しかし生命の意義共存という在り方家族の定義を持ち込むことによりポケモン映画を子どもだけの作品にとどめなかったのだ そしてキミにきめた!では彼のボツ案が使われているこれは彼の残した日記調のサイトにて明らかになっている 言葉を話すピカチュウ ポケモンのいない世界を生きるサトシ どれもポケモンという作品の概念を揺るがす設定だしかしここで首藤剛志の残した遺産を清算する必要があったのだろう 本当の意味で劇場版ポケットモンスターが生まれ変わったのは首藤剛志という呪いを解いたみんなの物語だと私は考えている 話を本題に戻すとポケモン映画は一度親子愛というテーマに触れている 結晶塔の帝王エンテイは娘の願いにより姿形の変わった父親が過剰な愛を注ぐ物語である 最新作ココと比べると結晶塔の帝王の完成度は異常に高いしかし同時にわかりにくくもある ココで描かれる親子愛はココを拾ったザルードが人間とポケモンの垣根を越える様を示す ザルードはポケモンでありながら父親としての役割を果たすためどんな状況であろうと駆けつける存在として描かれている しかしザルードがどうしてココに対しそこまで入れ込むのか?という理由付けがどうしても弱かった ザルード自身も親を知らないという設定はあったがうまく絡んでいなかったと思う 結晶塔の帝王は非常に単純で本当の親子は姿が変わっても愛だけは残るという見せ方であった 当事者たちにしか理解できない領域に他者を踏み込ませないサトシは母親をさらわれたが故に不可抗力でその領域に踏み込んでいく しかしココよりもわかりにくいのは父と娘が互いをどう思っているのかそれについての言及がすくないことにある ある意味邦画的であり悟らせることの美学がにじみ出ていると感じられる 劇場版ポケットモンスターはこれから先わかりやすさを求めた作風へと舵をきっていくのだろう これは大きくなりすぎたコンテンツの向かうべき姿で首藤剛志の作る世界が異常であったのは確かだ けれどこれは今を受け入れられない幼い大人の意見ではあるがわかりやすさのために作品の質を犠牲にして欲しくはない 親子愛を描いた作品は実はもうひとつある それはルギア爆誕だ ルギア爆誕自体のテーマは共存であるだからこそ本筋ではないとあるシーンが輝いている あまりにも有名なシーンではあるが物語のラスト世界を救ったサトシに母親が声をかける場面 世界を救う?命がけですること? サトシがいなくなったらサトシの世界はもうないの 私の息子はもういないの! あなたがいるから世界があるの サトシあなたはこの世界で何をしたかったの? 時間半をかけて愛の形を語るのではなくたった数行の台詞だけで愛のすべてを表すこともできる 誰にでも伝わる言葉ではなく私の言葉が誰かに偶然伝わるかもしれないそんなスタンスの映画を私は求めている 追記 ソーナンスのファンを務めてもう年くらいだろうか オリジナルシリーズのソーナンスかわいすぎるこれだけは絶対にやめないで欲しいアニポケ版もかわいいけれど
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