[過去ログ] 【世界大戦】自由民主党の派閥22【河破朋充】 (609レス)
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327: (中止 1733-TWMD) 2022/12/24(土)20:40 ID:XnsIb1xV0EVE(5/5) AAS
そうしている内に、ふっと腕時計を見て、ああ『愛のシリーズ』が始まりそうやとそそくさと部屋を出て、テレビを見に行かれた。
僕は、炬燵でテレビを見ている先生の所へ、お別れのご挨拶に行くと、
ここで失礼しますと云われ、またどうぞお出で下さいと仰って下さった。
奥様とさおりさん、竹内さん、黒田さんに見送られて、先生のお宅を辞した。
奈良の土塀に沿って歩きながら、一首浮かんだ。
ひらひらと 行き交う人の 少女等の 春の手の平 蝶の語らい
道々、何だこんなことだったのかと云う思いだった。
道を行く人達が楽しげに見え、女の人がとても美しかった。
天から絶えず星の様に歌が降っていた。
その足で京都の知り合いの家に行くと、今まで読めなかった額がすらすらと読めた。
満天下静ニシテ量寿定マル
『後記』奈良に岡先生をお尋ねしたのは二年前(1976年)の四月二十八日であった。
それから約二年、ほぼメモも無く、春雨村塾の竹内寿康さんから送って戴いた作文集のコピーを頼りに、
後は僕が先生からお聴きした話を、自分流に解釈し、記憶に残っているものでこの文章を作った。
従って、先生ご自身の言葉とは少し違う部分も少なからずあることになる。
イタリアから僕が帰国し、またご挨拶に伺おうと、その日をいつにするか一日延ばしにしている内、
今日か明日には奈良にお電話をと思っている矢先に訃報に接した。
その晩は何度も夢の中で先生とお会いして、何と修業の足らん奴だと叱られていた。
春の夜の 夢ばかりなる 枕辺に 甲斐無く立ちし 人ぞ悲しき
今日は、どう云うご用件でお見えになられたのですかと云われて、
また先生に叱られに参りましたと云ってお会いする日が大分先になってしまった様だ。
——1978年3月12日——
『追記』先生をお尋ねした夢の様な日から歳月が経ち、
先生の言葉の通りテレビ放送の止んでしまった今、
僕はあの天上の世界を見ることが出来ない。
また長い時を掛けて、見失われた小道を探し続けようと思う。
静かな秋の日に、蝮に注意の立札ばかりが不気味に新しい荒れた大学構内の薬草園を散歩しながら、ふと耳を澄ませてみる。
庭園に 遠き世界の 香り満ち 和えかに流る 風琴の曲
——1978年10月28日——
(しが ひろのり/千葉大学)(了)
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