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【世界大戦】自由民主党の派閥22【河破朋充】 (609レス)
【世界大戦】自由民主党の派閥22【河破朋充】 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1657313204/
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252: 無党派さん (ワッチョイ dd33-mxiu) [] 2022/11/17(木) 04:07:37.75 ID:44uDX+MZ0 富野監督の『映像の原則』読了。以前から読みたかった(首藤先生のコラムでも推奨されてた)けどようやく読めた!富野作品を扱ったサイトでよく引用されてる「カットは物語に殉死するものなのです。これが、究極の原則です」ってこれかぁ…… どらすと @mobile_sheet http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1657313204/252
253: 無党派さん (ワッチョイ dd33-mxiu) [] 2022/11/17(木) 04:15:55.88 ID:44uDX+MZ0 兄から首藤さんが最初に考えてたエンテイの映画の没話聞いたけどすごいおもしろそうだった いまのポケモンの世界に存在しないはずの恐竜が甦り大暴れする。その恐竜がいれば自分(ポケモン)の世界が壊されるとみんな直感してポケモンでそれを止めようとするけど全く止まらない、とかいう話 綾【ゼロ速】 @saebaaya753 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1657313204/253
255: 無党派さん (ワッチョイ dd33-mxiu) [] 2022/11/17(木) 05:31:20.69 ID:44uDX+MZ0 題『おなかのすいた世界』 先生はこれを第八識、即ち小我無き世界を認識したものと指摘された。 何故これがそう指摘されるのか、今二年の後この作文を読み返した時、僕は奇妙な感じがした。 わずか四百字詰原稿用紙二枚半の素っ気ないレポートに、それだけのものがどうして読み取れるのだろうか? 前の作文では、 “そこに人間の価値がある様に思われる。これは虚言でもなければ、虚構でもない、人間はこうあるべきものであると思う。”と云う一種の強意、 もし云えるなら気負い、その様なものがある。 そして “何か神聖なものが、人間の中に生まれながらにして潜在している様に思われるのである。”と云う、 漠とした言葉によって永遠性への繋がりを垣間見ている。 それに比べ、この作文は明瞭で具体的に対象を捉えている。 そして、今僕は感じるが、この作文には一種の澄んだ調子がある。 道徳的規範から自由であってそれでいて世界への共感がある。 もしこれが『世界の食糧危機』とか、 『バングラデシュへ救済の手を』と云う様な題によって想像される内容の作文であったなら、 第八識には入らないのであろう。 この辺りまで来て、僕は先生の精緻な観察によって指摘されてゆく、 一つ一つの心の彩りの多様さ、それが一段一段と明るくなってゆく様が鏡に次々と映し出される様な思いをしていた。 これは大変な人の世の模型を見せてもらっているのだと思い始めた。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1657313204/255
256: 無党派さん (ワッチョイ dd33-mxiu) [] 2022/11/17(木) 05:36:57.83 ID:44uDX+MZ0 “自我を自分と思っていると、自分は肉体が死ねば死ぬものとしか思えない。 また死に対する恐ろしさを必ず感じる。 これに対して真我が自分だと分ると、悠久感が伴い、実際の季節の如何に拘わらず、春の季節感が必ず伴う。 この真我が前に云った生命のことなのである。 幼児の生い立ちを見ると、情緒のメロディーは一人一人皆異なった彩りを持っている。 幼児はそのメロディーを創るのに実に骨を折っている。 私は四月生まれなので、四月生まれを例に採ると、数え年の一歳は全くそれに掛かりきって、最も基本的なものを用意している。 二歳、三歳ではいろいろな仕草や言葉を繰り返すことによって、メロディーをはっきりとした形に残そうとしている。 このメロディーが一人一人皆異なっている。 性格を創るのは環境だとか、遺伝だとか云うけれども、そんな、今そこにあるもので説明出来るものではない。 幼児がそのメロディーの彩りを取ってくるのは、そんな、三次元的な世界からではない。 『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』の世界、無差別智の大海から取ってくるのだ。 このメロディーが生命なのだから、生命は肉体が滅びたりまたそれが出来たりと云った時空の枠内の出来事とは全く無関係に存在し続けるものである。 そして人類が向上すると云うのは、無限の時間に向かってこのメロディーが深まってゆくことに他ならない。” http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1657313204/256
257: 無党派さん (ワッチョイ dd33-mxiu) [] 2022/11/17(木) 05:37:58.71 ID:44uDX+MZ0 題『おなかのすいた世界』 先生はこれを第八識、即ち小我無き世界を認識したものと指摘された。 何故これがそう指摘されるのか、今二年の後この作文を読み返した時、僕は奇妙な感じがした。 わずか四百字詰原稿用紙二枚半の素っ気ないレポートに、それだけのものがどうして読み取れるのだろうか? 前の作文では、 “そこに人間の価値がある様に思われる。これは虚言でもなければ、虚構でもない、人間はこうあるべきものであると思う。”と云う一種の強意、 もし云えるなら気負い、その様なものがある。 そして “何か神聖なものが、人間の中に生まれながらにして潜在している様に思われるのである。”と云う、 漠とした言葉によって永遠性への繋がりを垣間見ている。 それに比べ、この作文は明瞭で具体的に対象を捉えている。 そして、今僕は感じるが、この作文には一種の澄んだ調子がある。 道徳的規範から自由であってそれでいて世界への共感がある。 もしこれが『世界の食糧危機』とか、 『バングラデシュへ救済の手を』と云う様な題によって想像される内容の作文であったなら、 第八識には入らないのであろう。 この辺りまで来て、僕は先生の精緻な観察によって指摘されてゆく、 一つ一つの心の彩りの多様さ、それが一段一段と明るくなってゆく様が鏡に次々と映し出される様な思いをしていた。 これは大変な人の世の模型を見せてもらっているのだと思い始めた。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1657313204/257
258: 無党派さん (ワッチョイ dd33-mxiu) [] 2022/11/17(木) 05:44:15.17 ID:44uDX+MZ0 題『日本人の原点』 先生はこれを第九識、即ち小我無き世界を自覚したものと指摘された。これを僕なりに解釈してゆく。 ここでは、個を超えた、そして当然時間をも超えた、情緒共同体としての日本と云う、歴史的主体が意識的に語られている。 それは別に権力によって、或いは様式化された国家宗教によって枠付けされた日本と云う一つの政治共同体を指しているのではない。 また、あえて云えば、万葉、古今、新古今、芭蕉と云う日本韻文学の系列の中で創られた美意識を指しているのでもない。 神社や教会で結婚式をして、寺院で葬式をやると云う様に、常に恐ろしく思想的節操を欠いた行動様式を採る我々の共同体。 しかしながら、幼年時代、少年時代と云う言葉の中から浮かび上がってくるこの共同体への強烈な懐かしさ。 石川啄木がかつて地理的な遠さ故に歌い出した、 病の如 思郷の心 湧く日なり 目に青空の 煙悲しも の一首は、僕にとって歴史的な遠さを以て、懐郷の情の中核にある。 柳田國男が『日本の祭』と云う著作の中で語り出している、西洋式の学問の上には載らない、 むしろそう云うものによって死に絶え、或いは死に瀕しているところの、 我々の歴史共同体が持っていたいくつもの風俗習慣とそれに伴う雰囲気、そして人々の春の黒土の様な優しさ。 それを日本と呼ぶべきではあるまいか。 祖先神と山河への慎ましい畏怖より他に、具象化された神も、明文化された規範も無く、暗さから自由な宗教的情操。 それだけが実在するのであって、我々の個的な存在がこの世界で生きると云うことは、 この実在の春に対して一輪の花の様なものではあるまいか。 秋の日の午後僕は浜金谷と云う田舎町の駅に降りた。 そして駅前の雑貨店に入って牛乳を飲んだ時に現れた店のおばさんの静かな優しい顔に、 もう既にマクドナルドの売り子少女からは失われているこの故郷の花を見つけた。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1657313204/258
259: 無党派さん (ワッチョイ dd33-mxiu) [] 2022/11/17(木) 07:47:18.54 ID:44uDX+MZ0 ポケモン映画の歴史は、首藤剛志との戦いの歴史でもある。 2020年12月25日、夏の代名詞として有名なポケモン映画も、今年はコロナウイルスの影響によりクリスマス当日の公開となった。 登場人物たちが薄着であることに違和感を覚えつつ、ポケモン映画を劇場で見ている自分が厚着をしていることにも違和感がある。 大まかなストーリーは公式サイトを見てもらうのが手っ取り早い。 簡単に言えば、幻のポケモン「ザルード」に育てられた少年「ココ」がサトシに出会い冒険をする、という話だ。 冒険をすると言っても、ザルードとココの関係に対する問題提起が起き、その事件を解決するのが本筋だ。 近年のポケモン映画には、ひとつの転換期があった。 それは、「ポケットモンスター キミにきめた!」である。 この映画は、例年通りの「アニポケのサトシが偶然立ち寄った町で幻(伝説)のポケモンとの出会う」というお決まりを崩しにかかってきた。 (この方向転換によりサンムーンのレギュラーメンバーはスクリーンデビューの機会を逃したことになる) サトシは映画オリジナルのサトシという扱いになり、ピカチュウとの出会い、そして我々観客の知らない人物たちと冒険をする。 その後の「みんなの物語」、そして「ココ」にもその設定は引き継がれており(この2作はサトシとピカチュウの2人(?)旅になっている)、 映画オリジナルサトシはポケモンにおいて「ひとつの世界線」として描かれるようになっていく。 しかし私は、「キミにきめた!」を純粋な転換期として扱うことができずにいる。 それは、「キミにきめた!」の本当の目的は「首藤剛志という存在の清算」であったからだ。 首藤剛志はアニポケシリーズの脚本・構成、劇場版ポケットモンスターの第3作までの脚本を手がけた人物である。 (「ミュウツーの逆襲」「ルギア爆誕」「結晶塔の帝王エンテイ」の3つ。結晶塔の帝王は共同脚本) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1657313204/259
260: 無党派さん (ワッチョイ dd33-mxiu) [] 2022/11/17(木) 07:51:27.19 ID:44uDX+MZ0 首藤剛志が圧倒的カリスマであったことは疑う余地がない。 その色が強すぎるが故に、ポケットモンスターという世界観には合わない作風ですらあった。 しかし、「生命の意義」「共存という在り方」「家族の定義」を持ち込むことにより、ポケモン映画を子どもだけの作品にとどめなかったのだ。 そして「キミにきめた!」では彼のボツ案が使われている。これは彼の残した日記調のサイトにて明らかになっている。 「言葉を話すピカチュウ」 「ポケモンのいない世界を生きるサトシ」 どれもポケモンという作品の概念を揺るがす設定だ。しかしここで首藤剛志の残した遺産を清算する必要があったのだろう。 本当の意味で劇場版ポケットモンスターが生まれ変わったのは、首藤剛志という呪いを解いた「みんなの物語」だと私は考えている。 話を本題に戻すと、ポケモン映画は一度、「親子愛」というテーマに触れている。 「結晶塔の帝王エンテイ」は、娘の願いにより姿形の変わった父親が過剰な愛を注ぐ物語である。 最新作「ココ」と比べると、「結晶塔の帝王」の完成度は異常に高い。しかし同時に、わかりにくくもある。 「ココ」で描かれる親子愛は、ココを拾ったザルードが人間とポケモンの垣根を越える様を示す。 ザルードはポケモンでありながら父親としての役割を果たすため、どんな状況であろうと駆けつける存在として描かれている。 しかし、ザルードがどうしてココに対しそこまで入れ込むのか?という理由付けがどうしても弱かった。 ザルード自身も親を知らない、という設定はあったが、うまく絡んでいなかったと思う。 「結晶塔の帝王」は非常に単純で、本当の親子は、姿が変わっても愛だけは残る、という見せ方であった。 当事者たちにしか理解できない領域に、他者を踏み込ませない。(サトシは母親をさらわれたが故に不可抗力でその領域に踏み込んでいく) しかし「ココ」よりもわかりにくいのは、父と娘が互いをどう思っているのか、それについての言及がすくないことにある。 ある意味邦画的であり、悟らせることの美学がにじみ出ていると感じられる。 劇場版ポケットモンスターはこれから先、「わかりやすさ」を求めた作風へと舵をきっていくのだろう。 これは大きくなりすぎたコンテンツの向かうべき姿で、首藤剛志の作る世界が異常であったのは確かだ。 けれど、これは今を受け入れられない幼い大人の意見ではあるが、わかりやすさのために作品の質を犠牲にして欲しくはない。 親子愛を描いた作品は、実はもうひとつある。 それは、「ルギア爆誕」だ。 「ルギア爆誕」自体のテーマは「共存」である。だからこそ、本筋ではないとあるシーンが輝いている。 あまりにも有名なシーンではあるが、物語のラスト、世界を救ったサトシに母親が声をかける場面。 「世界を救う?命がけですること? サトシがいなくなったら、サトシの世界はもうないの。 私の息子はもういないの! あなたがいるから、世界があるの。 サトシ、あなたはこの世界で何をしたかったの…?」 1時間半をかけて愛の形を語るのではなく、たった数行の台詞だけで愛のすべてを表すこともできる。 誰にでも伝わる言葉ではなく、私の言葉が誰かに偶然伝わるかもしれない、そんなスタンスの映画を私は求めている。 追記 ソーナンスのファンを務めてもう20年くらいだろうか。 オリジナルシリーズのソーナンス、かわいすぎる。これだけは絶対にやめないで欲しい。(アニポケ版もかわいいけれど) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1657313204/260
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