[過去ログ]
【上級国民許すまじ】氷河期代弁団体1【打倒竹中】 (1002レス)
【上級国民許すまじ】氷河期代弁団体1【打倒竹中】 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/haken/1512879772/
上
下
前次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
抽出解除
必死チェッカー(本家)
(べ)
レス栞
あぼーん
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
957: 名無しさん@そうだ登録へいこう [sage] 2018/01/03(水) 17:07:56.32 ID:gI/Cgu6g0 >>783-784から続き ・・・もちろん、このような機会の不平等も解消されていくべきだということは正しい。 ただし、持って生まれた差異を完全に解消するなどということを目指すべきではないし、また、不平等をなくすために、誰もがチャンスを実現していこうとする時(に)、それに依存できる(→どうしてもそれに依存せねばならないところの)、自由社会の非人格的な制度 (→自由な文明社会が漸次的進化をする時に生じる自生的自由秩序のこと。この自由秩序は文明社会が進化するときに自生的に生じ、自然成長する非人格的秩序であって、人間が意図的に設計する設計主義的制度ではない) が破壊されるようなことがあってはならない。 また、(不平等をなくすために)何が正しく望ましいかについての誰かの見解が、他者に押し付けられるようなことがあってもならない (→例えば、国家の計画主義者が決定した唯一の計画を正しいものとして、すべての国民に平等に押し付ける平等主義は間違いであるということ)。 確かに競争社会では、貧しい人に開かれている機会は、富裕な人のそれ(=機会)よりきわめて限られている。しかし、それでも彼ら(=貧しい人)が、 (自由主義とは)異なった形態の社会(=北朝鮮やスターリン時代のソ連邦などの全体主義社会)で(=において)もっと多くの物質的安楽を意のままにしている人(=全体主義社会の人民)より自由であることは、変わらず真実である。 もちろん、競争のもとでは、貧乏な状態から人生を始めた人が富豪になる可能性は、まとまった私有財産を相続した人がそうなる(=富豪になる)可能性よりはるかに少ないことも事実である。 だが、その(=富豪になる)可能性はいちおう存在するし、より重要なことは、競争体制(=自由主義体制)こそ、権力者の好意(→権力者が党員やその家族などだけに差別的・優先的に与える恣意的な便宜など)によってではなく、 ひとえに自分の努力や運によってそれを可能にさせ、また誰かがそれ(=自分の努力や運=個人的自由)を妨害しようとすることに楔を打ち込みうる、唯一の体制だということである。 ・・・このような形で(→生産手段としてのあらゆる私有財産を国有化するような形で)国家へと委託された(政府)権力が、 単に財産の保有者を人々(=国民個人)から http://mao.5ch.net/test/read.cgi/haken/1512879772/957
958: 名無しさん@そうだ登録へいこう [sage] 2018/01/03(水) 17:08:52.77 ID:gI/Cgu6g0 >>783-784から続き ・・・もちろん、このような機会の不平等も解消されていくべきだということは正しい。 ただし、持って生まれた差異を完全に解消するなどということを目指すべきではないし、また、不平等をなくすために、誰もがチャンスを実現していこうとする時(に)、それに依存できる(→どうしてもそれに依存せねばならないところの)、自由社会の非人格的な制度 (→自由な文明社会が漸次的進化をする時に生じる自生的自由秩序のこと。この自由秩序は文明社会が進化するときに自生的に生じ、自然成長する非人格的秩序であって、人間が意図的に設計する設計主義的制度ではない) が破壊されるようなことがあってはならない。 また、(不平等をなくすために)何が正しく望ましいかについての誰かの見解が、他者に押し付けられるようなことがあってもならない (→例えば、国家の計画主義者が決定した唯一の計画を正しいものとして、すべての国民に平等に押し付ける平等主義は間違いであるということ)。 確かに競争社会では、貧しい人に開かれている機会は、富裕な人のそれ(=機会)よりきわめて限られている。しかし、それでも彼ら(=貧しい人)が、 (自由主義とは)異なった形態の社会(=北朝鮮やスターリン時代のソ連邦などの全体主義社会)で(=において)もっと多くの物質的安楽を意のままにしている人(=全体主義社会の人民)より自由であることは、変わらず真実である。 もちろん、競争のもとでは、貧乏な状態から人生を始めた人が富豪になる可能性は、まとまった私有財産を相続した人がそうなる(=富豪になる)可能性よりはるかに少ないことも事実である。 だが、その(=富豪になる)可能性はいちおう存在するし、より重要なことは、競争体制(=自由主義体制)こそ、権力者の好意(→権力者が党員やその家族などだけに差別的・優先的に与える恣意的な便宜など)によってではなく、 ひとえに自分の努力や運によってそれを可能にさせ、また誰かがそれ(=自分の努力や運=個人的自由)を妨害しようとすることに楔を打ち込みうる、唯一の体制だということである。 ・・・このような形で(→生産手段としてのあらゆる私有財産を国有化するような形で)国家へと委託された(政府)権力が、単に財産の保有者を http://mao.5ch.net/test/read.cgi/haken/1512879772/958
959: 名無しさん@そうだ登録へいこう [sage] 2018/01/03(水) 17:11:59.14 ID:gI/Cgu6g0 ・・・人々(=国民個人)から国家へと写したにすぎないと信じるのは誤っている(→私有財産の国有化とは、そのような単純なことでは済まない)。 そこで(=私有財産を国有化し政府に委託した時)生まれる権力は、新たに創り出された権力(であり)、競争社会(=自由主義社会)では誰も所有することがない権力なのである。 (自由社会の私有財産制の下で)財産が多くの民間所有者に分割されているかぎり、独立して活動するそれら所有者が、 人々の所得や地位を決定する権力を独占して持つことはありえない(→例えば、所得や地位について、政府権力や特定集団などの決定に国民が隷従する必要がない)。 もっといい条件を提示してくれる(別の)人や国があれば、人はそちらへ雇用を求めることができる(=選択する自由がある)からである。 今日の世代が忘れ去ってしまっていることは、私有財産制は、財産を所有する者だけでなく、それ(=財産)を持たぬ者にとっても、最も重要な自由の保障であるということである。 つまり、生産手段の管理が独立活動をする多数の人々に分割されているからこそ、誰も人々の運命を左右する完全な権力を持ち得ないし、人々はそれぞれ自分がどうやっていくかを決定することができる。 もし、あらゆる生産手段が一つの手にゆだねられるとするならば―――それが「社会」全体といった名目であろうが、 あるいは独裁者であろうが―――、その管理権を行使する者は、人々に対して完全な(独裁)権力を振るうことになろう。 たとえば、ある人種的ないし宗教的小集団に属している人(A)がいて、彼(A)はまったく財産を持っていなかったが、同じ集団の仲間が財産を持ち(→仲間が財産を持っていたおかげで)、彼(=A)を雇うことができたとする。 その時の彼(=A)は、私有財産が完全に撤廃(=国有化あるいは公有化)され、社会全体の財産の名目的な共同保有者となった場合の彼(=A)自身と比べて、ずっと自由であることを誰が疑うだろうか? http://mao.5ch.net/test/read.cgi/haken/1512879772/959
上
下
前次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
1.565s*