[過去ログ] 5世紀頃までの国境とそれを守備する軍事的長のヒナモリについて語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net (82レス)
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18(5): 2018/01/16(火)23:13 AAS
奈良時代以後も使われているよ
夷守(ヒナモリ)という官職はずっと継続して続いてる
思うに、初期大和政権下では大和民族成立の途中で
政権の支配地域の中でも、飛騨のような山間部ではツチグモ等の他民族が混在していたんだと思う
なので、ヒナモリは必ずしも外夷と接する辺境ばかりではなく
地方の一般的な軍事官職だったんじゃないかと思う
その後も実質的な役目は変わりつつ、形式的に官職名のみが継続したとも考えられるし
20(1): 2018/02/17(土)17:07 AAS
AA省
37: 2019/03/30(土)15:27 AAS
>>18
奈良時代の地方の一般的な軍事官職の長は、
律令制の軍毅(大毅・少毅)ではないか?
40(3): 2019/10/29(火)00:23 AAS
AA省
43: 2020/02/21(金)21:44 AAS
>>18
>外夷と接する辺境ばかりではなく
>地方の一般的な軍事官職だったんじゃないか・・・・・・・・・
一般的な軍事官職名なら、もっと各地に痕跡が遺存しておるはず。
防備すべき敵対集団との境界地にのみ設置されたのでは?
なお『延喜式』記載筑前国糟屋郡「夷守駅」(糟屋郡粕屋町阿惠日守(ひまもり)
八幡宮付近)は、大和王権支配以前の奴国時代の敵対勢力境界地だったか?
44(1): 2020/02/27(木)04:32 AAS
>>18
奈良・平安朝廷が夷守(ヒナモリ)という官職名の表記に
東夷・南蛮等の四夷を意味する「夷」を用いたのには、
如何なる背景があったのか?
「燈台守」・「関守」といった語から類推すれば「夷守」は、
四夷を守護するという不可解な語になり、辺境を守護するなら
「鄙守(ヒナモリ)」と表記されるはずなのに。
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