[過去ログ] 邪馬台国纏向説が破綻した理由part4 (418レス)
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7
(1): 2019/04/09(火)15:30 AAS
>>6
オレの推測では・・・。
邪馬台国は卑弥呼の死後の西暦300年ごろ、大和地方に一族の子孫が東進。
大和にいた原住民国家を制圧。神武東征神話。それが大和朝廷となった。
邪馬台(ヤマト)と大和の音の共通性からも、推測できる。

後世、記紀を編纂した当時の権力者からすれば、元々土着民の子孫であったならば、
わざわざ先祖が九州から来たことを記載する必要がないのよ。

そして、300年から350年頃が崇神天皇時代。
ヤマトタケル伝説にあるように、徐々に近隣遠方勢力を制圧、支配権拡大。
390年頃(神功皇后)には、朝鮮半島を侵攻しているから、この頃には、九州北部を含め、
省1
8: 2019/04/09(火)15:57 AAS
>>7
>300年から350年頃が崇神天皇時代。
>390年頃(神功皇后)には、朝鮮半島を侵攻している

すると350〜390の間に、垂仁、景行、成務、仲哀という4代の天皇を
押し込めるわけか?

無理だと思う。
崇神はもっと遡って、200年代(3世紀)に繰り入れた方がいい。
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