[過去ログ] 邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16 (758レス)
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1(4): 九州王 2020/09/30(水)15:05 AAS
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邪馬壹國は北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)に跨って存在し、
卑弥呼は伊都國を都として邪馬壹國を統治していた。
邪馬壹國とは26か国の国邑で構成されており
その26か国の国邑とは對馬國、一大國、末廬國、伊都國、奴国、不彌國と旁國20か国(斯馬國、已百支國、
伊邪國、都支國、彌奴國、 好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、 呼邑國、華奴蘇奴國、
鬼國、爲吾國、鬼奴國、 邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國)
魏志倭人伝には伊都国に卑弥呼が居たとの記述が2か所あり、その一つが 「世有王皆統屬女王國」である。
「世有王皆統屬女王國」の「A統屬B」は「AはBに統屬する」の意味であり
Aについて「伊都国の代々の王は皆」と理解されていたが、
省12
2: 九州王 2020/09/30(水)15:06 AAS
世有王
? 三国志魏書后妃傳第五
>自夫人以下、世有?損。
夫人以下の妃の扱いについては、「それぞれの帝によって」増減があった。(以下、各帝ごとの変化について記載) 魏の世には増減があったの意味
? 三国志魏書任蘇杜鄭倉傳第十六
>語曰「世有亂人而無亂法」
「世の中に、世を乱す人はいても、世を乱す法律はない」と言います。
? 三国志魏書徐胡二王傳第二十七
>今汝先人、世有冠冕、
現在、貴方たちの先祖は、「代々」冠をつける役職についている、つまりこれも魏の世には冠をつける役職についているの意味
省9
3(1): 九州王 2020/09/30(水)15:07 AAS
2か所目は「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」の文である。
「自女王國以北 特置一大率」・・・一大率が置かれたのは伊都国ではなく女王国の北の諸国
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐してる監察官
「常治伊都国」・・・女王国の北の各諸国の置かれた一大率を治め(統率)ていた 。
つまり
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」では、「女王国の北の各諸国には、特別に一大率を配置して検察させており、畏れ憚られている。
常に一大率は伊都国で統率されている。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で統率しているのと同じようだ。」の意味となる。
全て伊都国についての説明だから「皆統屬女王國」も伊都国についての説明
伊都国を首都とする女王國は倭の国々を統屬していた。
省8
4: 2020/09/30(水)15:11 AAS
【里程】
漢代に楽浪郡を支配していた公孫氏が独自に制定したの里(短里)で実測した
日本側の地名は漢代の地名(倭国の中に、末蘆国、伊都国、奴国・・・
魏が公孫氏の楽浪郡を滅ぼして押収した資料に短里使用が使用されており
これが魏略や三国志魏書の参考資料となる。
【日程】
魏代に魏使が出張日誌に記録したもの
日本側の地名は魏代の地名(邪馬壹国、狗奴国、投馬国、などは魏代に新登場
この出張日誌が三国志魏書の参考資料に更に加わる。
※公孫淵は自立を目指し燕王を自称し独自の年号を制定しており、度量衡も独自のものを制定したと考えられる
省1
5: 2020/09/30(水)15:12 AAS
郷土愛に狂う糸クズを筆頭に、思考を停止させた古田信者や、
在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。
無論だが、女王国は「九州」である。
【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
省14
6: 2020/09/30(水)15:13 AAS
そもそも細石神社に金印があったという情報は「古田史学の会」の四国会員である大政就平が古田に伝えたもので、現地調査した古田が地元民から「侍が持ち去った」という伝承を聞いたと『古田武彦が語る多元史観』に記載した
それでは細石神社(旧・佐々禮石社)について検証してみましょう
紀元前1世紀頃 三雲南小路遺跡が築造
建武中元2年(57年) 漢光武帝が倭国王に金印を下賜
(三雲南小路遺跡の祭祀施設が後に佐々禮石社になった可能性があり、高祖神社との由縁も確認できる)
天正年間(1573〜1586年) 戦火により社殿焼失
天正15年(1587年) 太閤検地により神田没収、筑前の石高に組み込まれる
(祀る神も奉る神主も確認できなかったため神領とは認められなかった=断絶の証拠)
寛永年間(1624〜1645年)末 年貢逃れのために村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施するも再興叶わず
元禄8年(1695年) 細石神社御縁起が書かれる
省15
7: 2020/09/30(水)15:15 AAS
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
2chスレ:history
8: 九州王 2020/09/30(水)15:16 AAS
「南至邪馬壹国女王之所都」
この場合の「都」は「全て」の意味で、和訳すると
「南、邪馬壹国に至る、女王の全領土である。」となる
都は名詞なら、みやこ。用例)都会、都市、京都
動詞なら、取り纏める、統率する。用例)都統、都督
副詞なら、すべて、みな。用例)都合、都度
「儉遂束馬縣車、以登丸都、屠句麗所都、斬獲首虜以數千」
この場合も高句麗を全て滅ぼしたとの意味。
9: 2020/09/30(水)15:18 AAS
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
2chスレ:history
10: 九州王 2020/09/30(水)15:23 AAS
魏使は帯方郡の海岸から出発しており
対岸に着くと至るや到と記している
対馬国や一大国では北岸に着くと至るである
そこから島を半周して、次の目的地へ行く
末盧国に着いた場所も末盧国の北端の呼子付近へ上陸している
更に伊都国へ到ったのは末盧国と伊都国境の伊都国GC付近のことで、この先が伊都国
奴国へ至るは、糸島峠付近のことで、この先が奴国
不弥国へ至るは、小笠木峠付近のことで、この先が不弥国
11: 2020/09/30(水)15:26 AAS
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
2chスレ:history
12: 九州王 2020/09/30(水)15:27 AAS
末盧国から伊都国までは500里(40km)で呼子付近から伊都国GC付近までと一致し
伊都国から奴国までは100里(8km)で伊都国GC付近から糸島峠付近までと一致
奴国から不弥国までは100里(8km)で糸島峠付近から小笠木峠付近までと一致する
魏志倭人伝は正しいのである。
13: 2020/09/30(水)15:32 AAS
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
2chスレ:history
14: 2020/09/30(水)17:04 AAS
この板では重複は珍しくも何ともないんだよなあ。
15: 2020/09/30(水)17:05 AAS
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
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16: 2020/09/30(水)23:03 AAS
自治気取り4ね
17: 2020/09/30(水)23:28 AAS
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女王國=伊都國(笑)=邪馬台国の首都 Part.2
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