[過去ログ] 邪馬台国畿内説 Part850 (1002レス)
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(1): 2023/01/15(日)18:03 AAS
細石神社は三雲南小路遺跡の祭殿であり、その成立は三雲南小路遺跡と同じ紀元前後と考えられる。
特筆するべきは三種の神器や璧などの王権の象徴となる威信財が大量に副葬されていて、銅鏡の出土枚数は平原遺跡を抜いて弥生時代の最多記録を誇っている。
時代は倭奴国が漢から金印を拝領した頃であり、その金印は目と鼻の先の志賀島から出土したとされている。
すなわち、卑弥呼より前の漢の時代の倭王は糸島平野にいたことになる。
細石神社の社殿によると、その祭神は木花佐久夜姫だが、遺跡に葬られていたのは王と王妃であったことから、被葬者は天孫邇邇芸と木花佐久夜姫と考えられる。
その息子である彦火火出見は近くにある高祖山の高祖神社に祭られている。
これが卑弥呼の前の男王たちと考えると年代的にも矛盾がない。
記紀にある日向三代の王家は、魏志倭人伝にある卑弥呼の前の男王70〜80年に相当するのだろう。
記紀にある長寿の天皇の年代を現実的な長さに補正すると、神武東征は200年頃となるという説がある。
天孫族が伊都を去り、その後に卑弥呼が伊都で倭王に即位したと考えると、伊都における甕棺墓から木棺墓への変遷も説明ができる。
卑弥呼は天孫族ではなく、他から招かれて倭王に共立されたのである。
記紀に卑弥呼が登場しない理由は、天皇家の一族ではない卑弥呼が倭王となった歴史を認めたくないからだろう。
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