[過去ログ] 邪馬台国畿内説 Part961 (1002レス)
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449: 1 ◆ondZSOlfxeS6 2023/11/09(木)17:13 AAS
◆FAQ 101
Q:纒向の大型建物Dというのは東西二間しか見つかってないではないか!
  四間x四間に復元して大型大型というのはインチキだ!

A:「本来の建物規模は調査の状況や建築学的な検討から東西も4間であったと」
 と調査機関は公式発表している。

 事実、東西6・2m、南北19・2mはアンバランスに長大である。一般に偶数柱間の総柱建物は居館の系譜と考えられており、このような形態は異例であろう。
 建物Bと建物Cの間隔は建物Cの東西二間に等しく計画的に設計されている。
 建物Dで発見された柱列西端から建物Bまでの間隔は建物Dの東西四間に等しい。
 また建物Dと南柵列との間隔は建物Dの南北一間(束柱をカウントすれば南北二間)である。
 全体が規則的・計画的な配置であることを考慮すれば、総柱建物が正方形を志向する傾向も鑑み、建物CとDの間隔も建物Dの東西二間に等しく復元することは合理的である。つまり建物Dを東西四間、南北四間とした復元は合理的かつ妥当である。
省7
450: 1 ◆ondZSOlfxeS6 2023/11/09(木)17:13 AAS
以上テンプレ
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注意*前スレが終了してから書き込んでください。

なお、書き込みは
 邪馬台国畿内説に関係が有って
 根拠のある内容をお願いします。
 畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。

 前スレ終了以前及び本スレ立て作業中の書き込みは
 荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
省1
451: 2023/11/09(木)17:37 AAS
テンプレ①
関川尚功
「どうやったら箸墓古墳の土器が3世紀という事になるのかまったくわからない。どう観てもあれは古墳時代の土器で、卑弥呼の時代のモノではない。3世紀の墓に4世紀の土器をどうやって埋葬するのだろうか」
452: 2023/11/09(木)17:38 AAS
テンプレ②
清水眞一 前・奈良県桜井市教委文化財課長

私は二十年間、大和の中央部・桜井市で「邪馬台国は何処」とのテーマを持って、
発掘調査に従事してきた。その結果として、邪馬台国が成立して女王卑弥呼を擁立する
までの弥生時には代中・後期に、大和には他地域を圧倒するような「ムラ」や「墓」が
見られないことに気付いた。
代表的なムラである唐子・鍵遺跡も、畿内の同時期の池上・曽根遺跡や田能遺跡などと
比較して、飛び抜けて大きいムラとは思えなかった。逆に、墓に関しては、
西日本各地と比べて遅れた地域との思いも抱いたことだった。
であれば、その次の古墳時代に入って、纏向の地に百メートル以上もの巨大古墳が、
省4
453: 2023/11/09(木)17:38 AAS
テンプレ③
纒向遺跡を目の当たりに見てきた人の見解

坂靖・著『ヤマト王権の古代学―「おおやまと」の王から倭国の王へ』(2020/2/5)
著者の坂氏は奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の学芸課長を経て、現在、奈良県地域振興部文化財保存課の主幹という、
現役の奈良県の考古学者でありながら、邪馬台国北部九州説の立場をとっています。
(中略)
「ヤマト王権は、布留式期に日本列島各地に強い影響力を行使することをはじめたのであって、
初期のヤマト王権の版図は、きわめて限定されていたとみるべきである。
・・・弥生時代中期から後期の近畿地方においては、中国との直接交渉を示す資料がほとんど知られていない。
楽浪形土器は北部九州に集中し、松江市以東にはまったく認められない。
省4
454: 2023/11/09(木)17:38 AAS
テンプレ④
東海大学教授の考古学者北條芳隆氏
「いわゆる邪馬台国がらみでも(旧石器捏造事件)と同じようなことが起きている」
「証明を抜きにして仮説だけがどんどん上積みされておりマスコミもそれをそのまま報じている」
「近畿地方では古い時期の古墳の発掘も多いが
、邪馬台国畿内説が調査の前提になっているために
遺物の解釈が非常に短絡的になっている。
考古学の学問性は今や崖っぷちまで追い詰められている。」
455: 2023/11/09(木)17:38 AAS
テンプレ⑤
関川氏、建物Dについて
○最も規模が大きく中心的とされる建物Dについても、主柱の半数以上が失われているため、建物の全体像については理解が及ばないところがある
○主柱の多くが欠失しているのは、その後に築かれた…特に前期の大きな区画溝による掘削のためである
○遺構の中心になるような重要な建物であれば、その後があまり時間をおかずにいくつもの遺構によって簡単に壊されるようなことはないであろう
○はたしてこの場所が纏向遺跡の中枢ともいえるような特別な地点であったのかは明らかではない
○推定復元の結果が先行しており、積極的評価が困難なところがある
456
(1): 2023/11/09(木)17:39 AAS
テンプレ⑥
石野博信氏の土器年代測定に関するコメント
外部リンク[htm]:www.yamataikokunokai.com
奈良県の場合は、年代の決め手がほとんどないので、次のようにして年代を決めている。
まず、須恵器の年代を決める。須恵器は400年前後ごろから始まるので、判定対象の土器がそこから何形式ぐらい古いものかを調べる。そして、土器の一形式をおよそ30年と見て年代を導き出す。
しかし、この方法にはいくつかの問題がある。
土器の一形式の継続期間が、人によってちがう。ある人は30年と言うし、別の研究者は20年と言ったりする。
土器型式の細かい区分をどうするかということも、人によって異なる。たとえば、布留0式というのを認める研究者と認めない研究者がいる。
布留0式を認めなければ、1形式分の年代が狂ってくる。

中略
省2
457
(1): 2023/11/09(木)17:39 AAS
テンプレ⑦
畿内説重鎮の寺澤氏も箸墓=卑弥呼の墓説から後退
寺沢薫著『卑弥呼とヤマト王権 (中公選書)』より

 第一に築造年代の問題である。箸墓古墳の築造は布留 0式古相期にはじまり、同じ布留 0式古相期のなかで終わっている。布留 0式古相期の暦年代を三世紀後葉とする私の考えでは、卑弥呼の墓の第一候補からは外れることになる。それに卑弥呼の墓が寿陵であった可能性を考えると、墓の基礎部分の造成は、卑弥呼が共立された三世紀初めの庄内式の早い時期にはじまっていなければならない。可能性はますます薄らぐ。  
 第二に墳形の問題である。箸墓古墳の後円部の径は約一六五メートル、高さは約二八メートルだ。これに対して前方部の長さは約一三五メートル、高さは約一八メートルに達する。側面からは双子山のようにみえる。はたして箸墓古墳を目撃した当時の魏の使者が、前方部(方丘)を無視して後円部(円丘)の大きさのみを記録するだろうか。日本独特の墳形である前方後円墳は、彼らの目にも異様に映ったはずなのである。  この疑問点を解消するために、後円部が先行して築造されたと主張する研究者もいる。本来は円墳であったが、のちに前方部が付加されたというのである。この手法は前方後円墳の築造手順としては存在する。しかし円墳であったものを、ある年月の経過後、あらためて前方後円墳に仕立てたというのであれば、その時間差を証明する考古学的根拠が必要だ。」
458: 2023/11/09(木)17:41 AAS
以上テンプレ
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注意*前スレが終了してから書き込んでください。

なお、書き込みは
 邪馬台国畿内説に関係が有って
 根拠のある内容をお願いします。
 畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。

 前スレ終了以前及び本スレ立て作業中の書き込みは
 荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
省1
459
(1): 2023/11/09(木)18:08 AAS
>>457
>畿内説重鎮の寺澤氏も箸墓=卑弥呼の墓説から後退

なんで九州説はこんなすぐバレる嘘を繰り返すんだろうね
460: 2023/11/09(木)18:10 AAS
>>456
>石野博信氏の土器年代測定に関するコメント

なんで九州説はこんな一瞬でバレる嘘を繰り返すんだろうね
461: 2023/11/09(木)18:17 AAS
>>459

「箸墓古墳の被葬者として、台与のあとに立ち、泰始二年に使者を送った男王の可能性も高いと私は考えている。」

—『卑弥呼とヤマト王権 (中公選書)』寺沢薫著

と書いてるけど
462: 2023/11/09(木)18:21 AAS
畿内説は日本の歴史へのテロリストだな
463: 2023/11/09(木)18:35 AAS
すぐバレる嘘は畿内説の方だったな
464
(3): 2023/11/09(木)18:45 AAS
真実を発表します。

大物主神の子孫を自称した者達の痕跡かもしれない遺蹟を発掘破壊し、
ジグザグの溝を、「方形周溝墓の溝なのだ。」と誤認したのと同時に、
明確な切り合い関係も確認できないスケッチを示すだけで、(ホウケイシュウコウボの)溝が、建物Dの(ハシラの)穴を破壊したのだ、と発表した者達が、いるのだが、
その疑惑の箇所とは別に、建物Dのハシラ群の最南列の東から2番目のハシラ穴の箇所は、発掘破壊直後に示されたスケッチでは、ハシラ穴だけが描かれていました。スケッチ(以下、「笑いリラックス図」と呼びます。)では、このハシラ穴(以下、ハシラ穴★南1東2)は、別のどのような穴や溝とも、切り合い関係どころか、接触も確認できません。
ところが、後日、その遺蹟の南側を、更に、発掘破壊し、調査し、
ジグザグの溝を、「方形周溝墓の溝なのだ。」と断定したことは、完全に、間違いだったことに、気付き、
また、ジグザグの溝の先に、桃の種等のゴミが捨てられた、祭祀の跡なのだと断定されてしまった、マツリの穴を、発見したのだが、
その発掘破壊では、布留1式期の溝が、発見されました。
そして、布留1式期の溝が、マツリの穴やジグザグの溝やそれ以前に発見された建物Dのハシラ穴とともに、「笑いリラックス図」に繋げて、スケッチされました。
省5
465: 2023/11/09(木)18:46 AAS
>>464
「笑いリラックス図」ならば、
「巻向遺蹟第166次調査報告」という語句で、画像検索という物事を、実行すれば、獲得することが、出来そうですね。
466
(353): 2023/11/09(木)18:47 AAS
>>464
最初の発掘破壊で、建物Dのハシラ穴★南1東2を発見し、その底面まで、掘り下げたにも関わらず、そのハシラ穴内の堆積土では、他の痕跡との切り合い関係が、発見できなかったのだから、
後日の調査で、ハシラ穴★南1東2と重複して存在していた事が確認された、布留1式の溝は、やはり、その堆積後に掘られた建物Dのハシラ穴★南1東2に、痕跡が破壊されたことになるな。
つまり、建物Dは、布留1式期以降の建物だったのだ。
467: 2023/11/09(木)18:48 AAS
>>466
最初の発掘破壊で、建物Dのハシラ穴★南1東2を発見し、その底面まで、掘り下げたにも関わらず、そのハシラ穴内の堆積土では、他の痕跡との切り合い関係が、発見できなかったのだから、
後日の調査で、ハシラ穴★南1東2と重複して存在していた事が確認された、布留1式の溝は、やはり、その堆積後に掘られた建物Dのハシラ穴★南1東2に、痕跡が破壊されたことになるな。
つまり、建物Dは、布留1式期以降の建物だったのだ。
468: 2023/11/09(木)18:49 AAS
それにしても、不思議なのは、二度の調査の平面図を見比べれば、容易にバレてしまう、布留1式の溝と建物Dのハシラ穴★南1東2の切り合い関係の逆転の誤認の可能性に対して、なぜ、関係者や報道機関からは指摘がないのだろうか。
客観的精査を通じて積み上げられる理数系科学分野とは方法論が、完全に異なり、主観的な意見が罷り通る文学部では、権威者に反対できないのだろうか。
つまりは、権威者が、ゴッドハンドを、擁護し続けていたときにもあったように、
権威という💩のような物事に、文学部出身の者達は、体質的に、怯んでしまうのだろうか。
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