ヤマト王権なんだわ (942レス)
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216(1): 2024/01/20(土)12:42 AAS
いくら阿波を自慢しても過去の神山阿波は帰ってこない。
アホ踊りに狂うより、自慢できる未来を考え、県民に示すことだ。
とりあえず、近い将来避けられない南海トラフ巨大地震にどう対処するのか・・、
能登半島は明日の阿波なんだよ。
217: 2024/01/20(土)12:50 AAS
>>216
過去の大阿波があったから、明日の「阿波」に活かされる。 @阿波
218(1): 2024/01/20(土)12:54 AAS
阿波の古代街道線と高名な神社の標高線を調べてみろ。
大方が、海抜33m以上にあるはずだ。そのラインが巨大津波到達線。
明日に役立つというなら、それくらいのことは語って見せろ
219(1): 2024/01/20(土)13:25 AAS
>>218
>大方が、海抜33m以上にあるはずだ
当たり前だ。 「卑弥呼」などの高貴な人は、沼地や平地には葬られない。 そんなの常識。 @阿波
220(1): 2024/01/20(土)13:29 AAS
一方、奈良湿地のような沼地や平地の古墳は、倭国(阿波)王権の臣下(有力豪族)のお墓だ。 @阿波
221(1): 2024/01/20(土)16:42 AAS
それ言うなら巻向の箸墓からの初期古墳の殆どは山辺の道より上だからね
湿地帯から干上がって行く過程の編年が出来そうだけどな
222: 2024/01/21(日)09:12 AAS
>>221
箸墓は違うでしょ
223: 2024/01/21(日)10:05 AAS
>>219
阿波は、自分のあばら小屋が高みにあるから、津波でも大丈夫と慢心してるな。
徳島市の住民多数がおぼれ死んでも、おりゃ知らんで済ますつもり、、
224: 2024/01/21(日)13:30 AAS
明治27-28年の日清戦争に勝った勢いで、
畿内説の祖のコナン以来、垂仁皇女の倭姫だー、孝霊皇女のモモソだー、箸墓だー、とやかましい。
が、つまり畿内説は、(属国だった)古代支那(魏)の使いも、金印と銅鏡100枚担いで、
皇統皇女のところへ朝貢にやって来たと錯覚してる、、
225: 2024/01/21(日)20:54 AAS
大和は漢化した邪馬台
魏の時代から異民族達が漢化を受け入れた歴史は中国、朝鮮、日本の共通事項
226: 2024/01/22(月)07:12 AAS
まぁ、縄文時代晩期末~7世紀末までは、「阿波」がすべての起源と思ってくれてよいから。
「文字」「律令制」「条里制」「古代政務」「白鳳寺院」「三角縁神獣鏡」「鉄器」「水銀朱」「東阿波型土器」「前方後円墳」「勾玉」「銅鐸」
「稲作」「「泥質片岩製石棒」「緑色片岩製柱状片刃石斧」「刻目突帯文土器」「鯨面土製仮面」「弧帯文土器」などなど。 @阿波
227(1): 2024/01/22(月)10:10 AAS
阿波の幽霊、
誰が本気にするものか、、、
228: 2024/01/22(月)10:56 AAS
>>227
記紀を書いた当時の人たちは、倭国(阿波)からの幽霊遷都での資料荷物を一生懸命運んだことだろう。 わははははは @阿波
229(1): 2024/01/22(月)11:04 AAS
幽霊の荷物だから、空気より軽かった
倭国阿波(幽霊)説はその程度。
230(1): 2024/01/22(月)11:07 AAS
>>229
お前の頭もその程度。 わははははは @阿波
231: 2024/01/22(月)13:30 AAS
中華史書の行程記述には、「道行き法」という定型ルールがある。
則ち、出発地の唐津/末盧国から、次の佐賀/伊都国へと、主線行程の国の方角道里を順々に述べ、
折々に傍線国(至〇〇の行き止まり奴国/佐賀城)を付加しつつ、
主線終点の吉野ケ里/不彌国に至る。そして此処で東西南北の四至の国々を紹介して終わる。
即ち「南至投馬国(水行20日・宮崎)」と「南至邪馬台国女王之所都(水行10日陸行1月・高千穂)」は、
終点国からの2国並列説明である。
畿内人は、これを知らずして読むから千年の迷路に入る。九州人は知って読むから、すぐ読み解く。
232: ネトウヨ撲滅隊! 2024/01/22(月)22:22 AAS
四国は古い日本の風習が残っていたようだから古代史を考える上で参考にはなる
例えば記紀によると神武の母は玉依姫と伝えられる
畿内は文化先進地域であり記紀が編まれた時点で玉依の意味は忘れられていたか、古い土俗的習俗だから都会人からはどうでも良いの思われていたと考えられる
しかしながら四国では土俗的な文化が残っていた
真言宗の開祖である弘法大師空海の母は玉依御前と伝えられている
オレはここに日本の古い時代の宗教性を感じるものではある
省3
233(1): 2024/01/22(月)23:45 AAS
四国は若杉山遺跡や銅鐸の最西端、あと佐伯氏の存在から倭国を構成してた海人系の採掘民が隆盛してたのは確実
恐らく中央構造線の鉱脈を追っていた土蜘蛛が渡来したのだろう
辰砂を初めとする鉱物資源での交易を生業とした彼らが行き着いたのが和歌山経由の大和である可能性は高く、ヤマトの王族はこれらの一族を利用し互いに地位を高めたのだと思う
時代は下るが空海の出自も佐伯氏で彼の行動は絶えず採掘と関わってる
鬼を率いた修験道の役行者もまた然りだ
234: 2024/01/23(火)07:13 AAS
>>233
>ヤマトの王族はこれらの一族を利用し互いに地位
奈良に王族の痕跡など、微塵も無い。 「阿波」をちゃっかり利用するな! @阿波
235: 2024/01/23(火)09:59 AAS
畿内説の認識は真逆、
後ろ盾が欲しいヤマト王権の卑弥呼女王が
色気ムンムン粗品を朝貢して、支那の属国にしてもらったんだよww
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